ゴーン・ガール 比べられ続けた女

ものすごく今さらかもしれないが、「ゴーン・ガール」観ました。

(このコピー、どうなんでしょう…)

あらすじやレビューはネタバレ含みたくさんネット上にありますので、ここでは省略して、わたしの感想のみを書こうと思います。(個人の感想です)ってやつですね。だから、基本、この映画を観ていない人が観たくなるように書いているのではなく、すでに観た人に向けて「わたしはこう思ったんだけど〜」と言っているような文章です。
もしも間違ったことを書いていたら教えてください。

以下、ネタバレ含みます。

☆ ☆ ☆

比べられ続ける人生

多くの人々の感想は、「エイミー、怖え〜」で、それぞれの人に「結婚とはなんなのか?」を投げかける映画だと思う。わたしもそうだ。
でも、わたしが引っかかったのは、主題としては表現されていなかったと思うが、「エイミーの両親は毒親だよな〜」ということ。両親は作家で、自分をモデルにした「Amazing Amy(完璧なエイミー)」という本で有名。しかし、それは彼女に、完璧なエイミーと常に比べられる人生を強いてしまった。現実を下敷きにしたフィクションである小説の中のエイミーは完璧で、現実のエイミーは完璧なエイミーより何から何まで劣っている。小さな頃からそうやって「完璧」と比べられてきた娘がどうなるか…ということ。
自分に接してくるほとんどの人が、「あの」完璧なエイミーと同一人物だと思うだろう。それ前提で人々が接してくる。きっと、「いえ、本当の私は違うんです」と思い続けてきたのではないか…(まあ、これは映画なんだけど)。そうすると、「このままではダメだ。もっと完璧にならないと」「ありのままの自分では愛されないんだ」という思考になる。もう、無邪気な子供ではいられなくなってしまうのだ。そのあたりのケアを、両親はしていなかったのではないか。

完璧であるためにはどうすればいいか
が、彼女のすべての行動の出発点になる。すると、本当に自分がどうしたいのかは消えてしまって、完璧を演じることだけが目的になり、演じることしかできなくなってしまう。自分の中心が空洞になり、大きな闇を作る。それがエイミーなのではないかと思う。そして、その原因を作ったのは、両親だ。

マスコミとか世間の人々とか

真実がどうなのかではなくて、どういう印象を与えるかが「真実」になりつつある社会を表していると思う。イライラしていても、イライラしているように見せなければ、イライラしていないのである。それも、怖い。近い将来、街のあちこちに「演技教室」ができるんじゃないの?

クリニックでの妊娠判定について疑問

エイミーが妊婦の尿を使ってクリニックで妊娠判定を受けたということだけど、あの妊婦って、もうけっこうお腹出てたよね? 
市販されている妊娠判定薬は、着床から七週〜九週間くらいにわたって分泌されるヒト絨毛性性腺刺激ホルモンが尿に含まれているかどうかで判断する(と、村上春樹著 1Q84 BOOK3  11章に書いてある)。あの妊婦はどう見てもヒト絨毛性性腺刺激ホルモンの分泌は終わっていると思うのね。クリニックでの妊娠判定は、別の物質を使ってやるのかな? 知っている人がいらっしゃったら教えて欲しい。
さらに、クリニックなら、妊娠してたらエコーとかもするんじゃないかなと思うんだけど…。

アメリカ人だろ!!

わたしが思わず突っ込んでしまった場面。それは、最後の方で、シャワー室でエイミーとニックが話したところ。シャワー室なのは、エイミーが、ニックに盗聴器を使われることを恐れたからだ。そこで、ニックはシャワーを浴びているエイミーに裸になって近づくんだけど、わたしはそこで、「背中にガムテープで盗聴器貼り付けていくよね? ね? ね? えっ? 貼ってない。貼ってないの? あんたアメリカ人なのにダイハード観てないの!!」と突っ込んでしまいました。

とっても好きな映画の一つ

デビッド・フィンチャー監督の映画でいっちゃん好きなのは、ダントツで「ドラゴンタトゥーの女」。ドラトゥーは、好きな映画10本の中に入ると思う。次が「セブン」と「ソーシャル・ネットワーク」が同率。「ゴーンガール」はとっても好きだけど、その次かな。

おしまい。

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スピカ

大人の外斜視手術の記録と、日々のこと。夫婦のこと。

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