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私の旅行観ー②小学生の頃を振り返る

前回の記事は下のリンクから

私が何故旅に出たいのか。前回、幼児期にはすでにまだ見ぬ景色を見たいという思いが強かったということを振り返りました。
今回は、小学生の頃を振りかえってみます。

小学生の頃といえば、家族と旅行に行ったり、親戚とショッピングモール行ったりしてました。

遠出するのはワクワクしたし、いつもと違う道をドライブしてもらったのは楽しかったです。

観光地をめぐって、山で虫取りをするみたいなこともしたり、コテージみたいな所に泊まったり、良い刺激になったと思います。

しかし、なんだかんだで鉄道での旅行が一番楽しみでした。父親は自動車派で、東京出張で新大阪に出ることすら苦痛に思うくらい、鉄道に興味はなく、むしろ嫌いでしたが。

近鉄のフリーパスで近鉄全線乗りつぶすみたいなことも長期休暇の時にはしていました。

小学3年生くらいの時には近鉄時刻表をみて、「移動」計画とかたてて乗りつぶしたものです。

時間に余裕を持った計画やかつかつな計画など、色々考えて実行してました。

ダイヤ乱れで急遽変更したこともありましたね。

鉄道旅行で撮ったときの写真
2両編成と文字をいれている。
今の四日市あすなろう鉄道だが、当時は近鉄だった。

ただ、少々わがままな所もあり、鉄道旅行ではないですが、予定してたところが行けなくなるとごねたりしたこともありました(無理通した)。
劇か何か観に行く前に串カツ食べるかなんかで時間ないから行けないと言われた事を書いていて思い出しました。
スポーツ観戦とかでもそうでしたが、花より団子です。

こういう所が結構引きずりやすかったり、嫌な事あると投げてしまいがちな性格になってしまった所ではあるかなと思います。

また、鉄道好きの同級生が親と長距離歩いたという話を聞いてめちゃくちゃ羨ましくおもった事もあります。まあ、その同級生とはめちゃくちゃ仲が悪かったけど。

しかし、こういう所がもっと自由に旅行したいと思う動機にもなっているのでしょう。

利己的、利他的でいえば、利己的に生きるべきと考えてきた。辞書的な意味では利己的といえば、わがままに近い意味で誤解をうむ言い方だ。しかし、利他的の意味にはそこに自己犠牲や滅私奉公的な意味を含んでいるので好かない。

そもそも、自分の為に良いことをしていればそれが自然と人の為の行動にもつながるのが理想だ。良い意味で自分らしく生きたいし、その方が他人を思いやれる。
確かに利己的というと言い過ぎだが、自利利他円満やお互い様という考え方の方が性に合う。
そういう意味で人の為か自分の為か誰の為に生きるかでいえば、小学生当時から批判されたが、迷わず自分の為に生きると答えていた。
自分という存在がないと他人との関係は存在し得ないから。

もっと自分を大事に、、、

少し話が逸れましたがざっくりこんな感じでしょうか。こういう価値観だからこそ旅行するというのもあるかもしれない。

中学に進級すると、また家族旅行していたのは変わらないけども、見えるものが少し変わって来ました。

それはまた次回ということで、ここまでお読み頂きありがとうございました。

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