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紀年法(年の数え方)に思うこと

あけましておめでとうございます。元旦2本目の記事は「2024年」という表記の仕方を考える記事です。
さて、年が変わりましたが、皆さんは年をどのように数えるでしょうか?2024年、令和6年、辰年、2684年、色々な数えかたがあり、浸透しているもの、いないものがあります。
そんな紀年法からどんな紀年法がベターなのか、使い慣れていない人(外国人)へどう対応すべきなのか、自分の考えを書いていきます。


行政書類は和暦(元号)が中心 外国人の何気ない要望が炎上

 新年早々昨年の話をほじくりかえす訳ですが、熊本市長と熊本市に住む外国人が対話する機会があり、ニュースになりました。
そして、記事のタイトルにもあった「和暦が使いにくいから配慮してほしい」という要望が炎上したようです。
具体的には外国人のわがままになぜ合わせる必要があるとか、日本の文化慣習潰しとか、郷に入れば郷に従えとか嫌なら帰れとか、そんな罵詈雑言が飛び交った訳です。

和暦(元号)はぶっちゃけ分かりにくい

確かに、文化の違いなどから外国人のマナーが気になることはあります。
しかし、和暦って正直分かりにくい。記事の投稿時点で年が変わり、令和6年になった訳ですが、10年前が平成何年だったかぱっとは出てこない。昭和なら尚更わからない。まずは西暦の下二桁に12足すらしいけど煩い。
しかも、元年の年は基本的に年の途中から始まります。
一元一世なので、昭和こそ64年まで続きましたが、大正は15年まで、江戸時代までは何か大きな厄災がある度に元号が変わったのでその都度何年前か計算するのが面倒です。
また、元号がいつ変わるか読めないので、かつて運転免許証に西暦表示がなかった頃、更新時期を忘れてしまうというトラブルもあったと聞きます。
一方の西暦なら何千年も使っている暦なので、10年前は2014年と直ぐに分かるので非常に使いやすいです。
また、10年後は2034年と不変です。

皇紀を使え!という人はなぜか殆どいない

橿原神宮の皇紀表示(2676年(西暦2016年)撮影)

実は、西暦のように何千年と通しの暦があることをご存知でしょうか?
それは皇紀です。皇紀は日本書紀の神武天皇即位を元年とする紀年法です。今年は2684年です。
広く使用されたのは江戸時代から戦前で元号より慣習としては短いかもしれません。また、西洋のパクりといえばそうかもしれません。
しかし、神武天皇が実在したかどうかはともかく、日本の代表的な存在である、皇室の歴史、あるいは神話に基づいた紀年法でこれこそ日本の歴史と文化を尊重した紀年法だとも言えます。現在でも写真にあるように神武天皇をまつる橿原神宮などでも掲載される紀年法です。
一方の和暦、元号というのはネット民が大嫌いな中国からの伝来であり、日本書紀によると西暦645年の「大化」が和暦の最初と言われており、皇紀に比べれば通算では短いものです。
日本の文化の維持がどうこういうなら、輸入もんの元号でどうこういうだけでなく、通算でも使える皇紀の浸透を訴えるべきだと考えます。しかし、SNSでこれを訴える人はわずかという実感です。

因みに私は西暦表記で十分だという考えです。正直元号はいらないとも思います。

これまでもこれからもいわゆる外国人とは共存共栄していく

どうしてもSNSでは問題を起こす外国人に目が行きがちで、外国人は日本から出ていけという意見が目立ちがちです。
しかし、さかのぼれば平安京遷都を決断した桓武天皇の母親は朝鮮半島にルーツがあるとされていますし、この前後の時代は渡来人が文化を伝えたともされています。
また、漢字はいうまでもなく、中国発祥の文字です。
歴史的に開国と鎖国を繰り返し、時に侵略や敵対的な流入もあったのも事実ですが、何らかの形で外国の文化というのは常に流入したうえで、日本の文化というのは成立しています。
国民国家の概念は明治期以降の新しい価値観であり、日本人というアイデンティティもこの頃に浸透したと言われています。
過去に遡れば日本人というアイデンティティも揺らいできます。
何をもって日本人と外国人を線引きするのか、考え出すと難しい問題です。
日本国籍を持っているから?ルーツが日本列島だから?どの線引きでも例外も出てきたりします。
文化的な違いからイラッとすることがないとは言いませんが、それは日本人同士ですら言えることです。
だから安易に一括りに在日外国人に出ていけなどとは言うべきではないと考えます。
今回の熊本の事例でも絶対自分たち西暦つかってるからそれに合わせろと言った訳ではなく、和暦って分かりにくいから西暦表記もあればいいなというくらいのニュアンスでしょう。
仮に和暦廃止でも私、個人的にはは受け入れてもいいとは思います。
日本は世界に例を見ないほど、平和な時代が長いと言われています。しかし、平和とされる平安時代や江戸時代は独自の文化が発展する一方、産業的には大陸とはおくれをとってしまった時代とも言えます。
現代は観光したり働く外国人こそ多いですが、一昔前の勢いはあまりありません。今世界で際立った産業はトヨタ筆頭とした自動車産業くらいでしょうか?
ある意味江戸時代に近い状態なのかもしれません。閉鎖的では何も解決はしないし、むしろ外国人差別になり、問題は悪化します。
このような停滞期こそ外の原動力というのが必要な気がします。日本列島に住む人も減ってきてる訳で、歯止めがかかっていません。
日本より貧しいとされる国の方が人口が増えていて、行政や議会がどうこうして、どうこうなる問題ではない気がしますし、過剰に問題視しない方がいいのかもしれません。
そうなると、在日外国人とされる人達と今まで日本に住んできた日本人が上手く折り合いつけて、さらに外国文化を吸収するくらいの勢いで、共存していくことこそ、むしろ日本の発展につながるのではないでしょうか?

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