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まだまだあるぞ!いろんな人の「第九」を聴こう!(後編)

前編に引き続き、さまざまな作曲家の「第九」のボク的オススメを紹介していこう。

マーラー:交響曲第9番〜ベートーヴェンのジンクスを意識した先の「ラスト・シンフォニー」

マーラー

主にオーストリアやアメリカで活躍した作曲家で指揮者のマーラーもベートーヴェンと同じく9曲の番号付き交響曲を残している。10番は第1楽章のみがオーケストレーションまで完成させたが、それ以降はスケッチ(下書き)が残されているのみで、死後にそれをもとにして何人かが10番を編曲完成させている。同じ素材を使ってはいるがそれぞれが違った曲になっているので興味を持たれた方は聴いてほしい。

マーラーは死に対して他の人よりも恐怖心があり、またベートーヴェンが第九を作曲したのちに死去した「第九のジンクス」をかなり気にしていたそうだ。そのため、マーラーは9番目の交響曲的作品に「第9番」をナンバリングせずに「大地の歌」と命名した。その後第9番を作曲したわけだが、「ベートーヴェンのジンクス」なのか、マーラーが完成させた交響曲は第9番が「ラストシンフォニー」となってしまった。

余談だが、僕が指揮者を引退するとき、人生最後の演奏会ではこの、マーラーの「第九」を…と密かに思っている。しかし、まだまだ引退の予定はないし、首尾よくこの作品を指揮する機会があっても安易と引退はしないが。

僕のオススメポイントは、なんといっても第4楽章。この交響曲のフィナーレは心揺さぶられる美しい旋律に満ちている。「死」に対する強い恐れを抱き続けたマーラーの導き出した答えのようなものが音楽全般に溢れた楽章だ。そしてフィナーレに向かう過程の中で、徐々に演奏するパートが減っていく。形こそ違えど、奏者が徐々に帰っていく演出で知られるハイドンの交響曲第45番「告別」のようでもある。ハイドンのほうは「ラストシンフォニー」ではなく、ハイドンが楽長をしていた楽団の主人に対して「休みをくれ」という意思を音楽で示したものだ。今回のテーマと外れてはしまうが、機会があれば聴いていただきたい。

ブルックナー:交響曲第9番〜「未完」という名の「完成品」

ブルックナー

マーラーとほぼ同時期を生きた作曲家ブルックナーも、現代のクラシック音楽ファンに人気の作曲家。生涯に残した交響曲は11作品あるのだが、前出のシューベルトのナンバリング事情とは異なり、1番の前に「0」と「00」という番号を付した。したがってブルックナーのラストシンフォニーは「第9番」ということになる。

ブルックナーの交響曲の特徴は、なんといっても「曲の長大さ」だ。この曲も3楽章までで約65分ある。この作品の前に作られた第8番は4楽章形式で約80分。もし第9番が4楽章まで完成していたら、きっと第8番より長い作品になっていたのではないだろうか。

ブルックナーはこの作品を自分が完成できないと悟り「ワシがこの曲を完成できなかったら、ワシが書いた《テ・デウム》を4楽章として演ってけれや!」と言っていたそうで、現在でもその形式で演奏されることがあるが、決してスタンダードではない。また、後世の音楽学者などが残された草稿から第4楽章を補筆完成させたものもいくつかある。それも最近演奏されることが増えてきたが、大部分は3楽章で終わらせる場合が圧倒的に多い。

理由は簡単だ。この作品は3楽章でしっかり「完結している」からである。もちろん聴き方によっては「次もありそう」な終わり方にも感じるが,僕はこの終わり方が好きだ。また、この3楽章でブルックナーは自分の技法や響きを完成させて、これまでのものを超越したのだと思う。「全て出し切った感」が静かな感動とともに感じられる。

作品のオススメポイントは、3楽章の冒頭、弦楽器で奏される部分だ。この部分で9度の跳躍がある。簡単に言えば「ドから1オクターブ上のドの上のレ」まで一気に駆けあがる。現代の音楽ではよくあるものだが、基本的にオクターブ(8度)の範囲内での跳躍がこの時代では基本で、実際聞いてみると不安定というか新鮮な進行のように感じる。カトリックの敬虔な信者で教会音楽も多数作曲しているブルックナーは、どちらかといえば「保守層」に当たるとおもうのだが、そのブルックナーが定石を飛び越えた「9度」を書いた瞬間が、僕にはブルックナーの超越と完成の瞬間に思えてならない。

そのような点で、僕はこの作品を「未完の完成品」と称して讃えたいと思う。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番〜遅咲きなのに「第九」まで書けた!

ヴォーン・ウィリアムズ

一気に馴染みの薄い作曲家の作品を紹介したい。それはイギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズの「第九」だ。

ヴォーン・ウィリアムズはイギリス近代を代表する作曲家のひとりで、英国では「偉大な老人(グラン・オールドマン)」とよばれ尊敬を集める人物だ。作品のみならず、他の音楽家たちとの親交を深め、それらの音楽家や作品を広めるべく行動した人物でもある。そんなヴォーン・ウィリアムズ(以下RVW)も交響曲第9番まで作曲し、作曲の年にこの世を去った。RVWも「第九のジンクス」には勝てなかったわけだ。

RVWが最初の交響曲である「海の交響曲」を作曲、初演したのは彼が38歳の時。それ以前にも音楽家として活動していたとはいえ、かなり遅咲きな作曲家だった。遅咲きでも、画像のように相当な肥満体でも!彼は85歳まで長生きしたので、ベートーヴェンと同じ数だけの交響曲を作曲できたのである。朝比奈隆先生も「1日でも長く生き、1回でも多く舞台に立つ」というのを座右としていたそうだが、RVWはまさに「1日でも長く生き、1曲でも多く作曲する」ことを実践したのだ。

たくさん書けば良い、というわけではない。RVWの9曲の交響曲はどれも名作、力作だ。合唱付きの「海の交響曲」(第1番)、親しみやすさと活気、またその憂いまでも描いた「ロンドン交響曲」(第2番)、そして最終楽章ラスト、スキャットのソプラノ独唱が印象的な「田園交響曲」(第3番)。戦争の時代をシリアスなサウンドで描いた「第4番」、シベリウスに献呈された「第5番」はRVWらしさが最も反映された名作だ。その後の「第6番」は再びシリアスで新しい響きを追求した。映画「南極のスコット」の音楽を編み直した「南極交響曲」(第7番)も特徴的な作品。極地でのスコット隊の悲劇を描きながら、南極の空気までも表現している。「第8番」は1楽章が管弦楽、2楽章が管楽合奏(吹奏楽)、3楽章が弦楽合奏、そして最終楽章は再び管弦楽に戻り打楽器も多数加えるという構成やサウンドの変化を楽しめる。

そして「第9番」は神秘的な曲想だ。サキソフォンという普段はあまり管弦楽に用いられない楽器を加えているのは特徴のひとつ。ベートーヴェンのような歓喜でもなければ、ブルックナーの崇高やマーラーの達観とも違う独自の音楽は聴く人を、少なくとも僕を魅了する。決してショスタコーヴィッチのようなアイロニカルなものではないが、どこか「ステレオタイプな第九への期待」をシニカルな表情を浮かべながら裏切るRVWのユーモアのようなものを感じる。そんな性格はどことなく自分にもある。僕がRVWの音楽と人柄に惹かれる理由はそのようなことなのかもしれない。

この作品は是非、彼の作品の紹介と評価に貢献した、サー・エイドリアン・ボールトが作曲家の死の翌日に録音をした演奏があるので聴いてほしい。録音盤によってはボールトのRVWの死に際してのスピーチが収録されている。

他にも「第九」はたくさんあるよ!

この他にも「第九」を作曲している作曲家はたくさんいるので、何人か紹介したい。

まずはアメリカ。アメリカ現代を代表する作曲家のひとりロイ・ハリスだ。ハリスは番号が付いていないものを含めると18曲も交響曲を作曲した。番号付きは13番まである。カッコいい音楽を聴きたい!そんな人は是非ハリスの作品をオススメする。アメリカには第9番まで到達しなかったが素晴らしい交響曲を残している作曲家がたくさんいる。ハリスの弟子であるウィリアム・シューマンやチャールズ・アイヴズ、アーロン・コープランド、ハワード・ハンソン、サミュエル・バーバーなどが交響曲を作曲している。面白いものでは、ドン・ギリスという作曲家に「交響曲5 1/2番」という作品がある。聴きやすい作品なのでクラシック初心者にはオススメ。

日本の作曲家では、今年80歳となった池辺晋一郎が「第9番」まで作曲している。池辺の10歳年下の吉松隆はこれまでに6曲の交響曲を作曲している。果たして9番まで到達するだろうか。現代においては交響曲の曲数は大した問題ではないが、今後の楽しみの一つである。

ミャスコフスキー

ヨーロッパに目を向けてみると、二人の人物が異彩を放つ。まずはロシアのニコライ・ミャスコフスキー。名前からして何かありそうな人だが、この人はなんと27曲も交響曲を作曲している。ハイドン(104曲)やモーツァルト(41曲)も多作ではあるが、ミャスコフスキーは20世紀を生きた作曲家。この時代でこれだけの交響曲を作曲しているのはレアなケースだ。作品は仄暗く、不安や静かな怒りを感じるような曲想で、本家第九とは対極をなすような作品。

しかし、ミャスコフスキーの27曲より遥かに多くの交響曲を作曲している人物がいる。それはフィンランドの作曲家で日本では指揮者として広く知られているレイフ・セーゲルスタム。彼の作曲した交響曲はなんと…343曲!しかも彼はまだ存命である。これからも交響曲の数が増えていくのだろうか?今後に注目したい。リアルサンタクロースのような風体のセーゲルスタム、作曲の面でもかなりユニークな存在だ。

彼の交響曲第9番は、彼にとっては「初期作品」になってしまうだろうか。作品はまさに「現代音楽」で一聴すると聴きづらい音楽に思えるが、意外にも聴き込んでいくと結構聴きやすい。キャッチーなメロディーも明るいメッセージもないのだが、どこか「クセになる第九」だ。

その他、9番まで行かなかった作曲家たちの「ラストシンフォニー」にも多くの名作がある。

ブラームスとシューマンは4番、チャイコフスキーは6番「悲愴」がラストシンフォニーとなった。メンデルスゾーンは5番まで。しかし作曲年順だと第3番「スコットランド」がラストシンフォニーだ。ショスタコーヴィッチのライバル、プロコフィエフは第7番「青春」が、同じくシベリウスも第7番がラストシンフォニーである。その他だとフランスのサン=サーンスが3番まで交響曲を作曲している。

今回は、色々な作曲家の「第九」や「ラストシンフォニー」を紹介した。師走、ベートーヴェンの有名な第九にが流れる中、たまには違った「第九」や「ラストシンフォニー」に耳を傾けて、自分の「推し第九」を見つけてみて欲しい。

(文・岡田友弘)

🎵演奏会情報🎵

交響曲第8番(旧第9番)「ザ・グレイト」を新日本フィルで聴ける!

2024年3月15日(金) 14:00開演(13:15開場)

2024年3月16日(土) 14:00開演(13:15開場)


すみだトリフォニーホール 大ホール

Program

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op.15)

シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944「ザ・グレイト」

ピアノ独奏:アンナ・ケフェレック

指揮:上岡敏之

詳しくは…新日本フィルのWEBサイトをご覧ください!

執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


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