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入院10日目以降(人生で一番辛い説明)

こんばんは、MAPです。

今回は妻が入院して10日目以降について振り返ってみようと思います。


一般病棟へ

ICUから一般病棟へ移る意思を伝え、緊急時の過度な心臓マッサージをしないという同意書にも署名を終えて(生命が助かる見込みがあるなら行うべきですが、場合によっては肋骨を折ったりと身体を傷つけてしまうこともあるので、できるだけ自然な形で過度な蘇生は必要ないと判断して)、一般病棟の空きを1-2日待っていました。

一般病棟に移ると、完全個室になるので(ICUはいつでもすぐに医師や看護師が駆けつけられるように半個室になっています)写真を持って行ったり、保湿剤や乳液、化粧水、ブラシなどを持ってきたら看護師の方々が髪の毛や肌をケアしてくれるとのことで、家にあるものを選んで持ってきました。

また、一般病棟では親族以外の面会も許されることになるので、この間に妻と親しくさせていただいた方々に連絡をしようと思ったのですが、私は近所のママくらいしか連絡先のつながりなく、妻の携帯電話やSNSを見ながら私自身も面識がある方々に妻の状況と面会についてご連絡をさせていただきました。

その際、妻はとても品格のある女性だと思っていたので、まだ顔の腫れなどがあったことから、女性のみに限定して、それも誰でもという訳ではなく本当に親しかった方のみにお声がけをさせていただきました。(もし連絡が行き届いていない方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんでした)

妻は元々看護師だったのですが、看護学校時代の方々へ一斉に話が回り、結果として妻の友人が多数お見舞いに来てくれることになりました。中には北海道や九州からもわざわざお越しいただき、卒業してから数十年は経っているにもかかわらず、本当に仲が良い関係性だったのだろうなと思わされました。(お見舞いに来てくれた方々に話を聞くと、家族よりも仲の良い関係だったようです)

また、私と妻の共通の知人へ知らせるため、思い切って私のSNSで発信をしたところ多くの反響をいただき、個別メッセージでも心配や応援のご連絡をいただき、中にはすぐに病院へ駆けつけて下さる方もいて(結果まだ面会はできない状況でしたが)本当に感謝してもしきれないほどでした。

いただいたメッセージは、(意識のない)妻へ全て涙ながら口頭で読み上げて伝えさせていただきました。

そうこうしているうちに、ようやく一般病棟へ移ることになり個室でゆっくりと面会できる状況が整ったのでした。

義理の両親との関係悪化

当たり前ですが、今まで妻が不在で一緒に義理の両親と過ごす経験はなく、それが長くなってくると徐々にお互いの違いが気になってきます。

例えば、手術後数日経って義理の両親言われたこと。

今回の出来事は、

  • 生活スタイルの問題

    • 確かに比較的タイトなスケジュールで生活していたかもしれません

  • 夫婦の問題

    • ここはあまり口を出して欲しくなかったかな

  • リスクヘッジの甘さ

    • 言われればそうなのですが、一般的なリスクヘッジレベルの生活はしていたつもりです

  • 今後の生活の見積もりの甘さ

    • ここはあまり口を出して欲しくなかったかな

など、今回の事故はあなたたち自身で招いたことで、子どもを持つ親としての自覚が甘いと思うとのこと。
このことについては、100%間違っているとは思いませんでしたが、自分もひどく落ち込んでいる時にそんなこと言いますか?と驚きました。

こうなると、やはり日々の同居生活でも細かいことが気になり出して、早く自分と子どもたちだけでゆっくり過ごしたいと思うようになってきます。

義理の両親にはとても良くしていただいているので、このことで遺恨を残すこともなく、今も関係は良好です。10月には温泉旅行にお誘いして一緒に行く予定です。

関係悪化の原因は、やはりショッキングな出来事が続いたり、お互い気をつかったり、疲れていたりと色々と重なって神経がピークに達していたことだと思います。

その後、6月中旬には一度義理の両親は通院している病院もあることから一時的に家に戻ることになりました。

人生で一番辛い説明

一般病棟に移るということは、「もう助かる見込みがない」ということなので、どこかのタイミングで子ども達へ事実を伝えないといけないと考えていました。

早く伝えるべきか、それとも亡くなる直前まで希望を持たせておいた方が良いのか・・・。思い悩みましたが、若干お見舞い疲れをしていた子ども達には、事実を早く伝えて自分たちでお見舞いに行きたいかどうかの判断をさせる為にも早い方が良いと思いました。

次に、誰が、いつ、どこで、どのように、何を伝えるかをあれこれと考えた結果、当然ですが私自身が、妻の両親や自分の父親がいる中(なるべく多くの親族がいる中)で、自分の家(安心できる環境)で、説明資料(口頭だけでは理解できないと思って絵の入ったもの)を準備して伝えることにしました。

ちょうど手術の1週間後になる土曜日に、全員が集まったタイミングで話をしました。
自分も過度に緊張していたせいか、子ども達へ説明する直前に、過呼吸になってしまい、思うように息が吸えなくなりました。何度も深呼吸をして、目を閉じて瞑想のようなことをして、なんとか落ち着きを取り戻し説明を始めました。

私は冒頭から涙が溢れ、「お母さんはもう家には戻ってこれないのだよ」と話し始めました。それから妻の状況を説明しているうちに、子ども達はみんな涙を流しながら聞いていました。そして、話の終盤は自分が全員を抱きしめながら話しを終えて、最後はギュッと子ども達を強く抱きしめながら「お父さんがみんなを守るから、何にも心配はいらないよ」と言いながら全員で号泣したのでした。

ちょうど説明するのに便利だったのがこちらのサイトを参照しました。(妻は臓器提供はしていません)

説明後、親族も含めて30分くらいは時が止まったかのように、それぞれがボ〜ッとしていたと思います。

今まで生きてきた中で一番辛い説明となりました。

この時点での自分の気持ち

緊急手術→助かる見込みがなくなった→義理の両親との関係悪化→子ども達への説明と、人生のどん底を味わった気がします。

そんな中でも、プロフェッショナルとして仕事は一定こなしながら(ある意味息抜きにもなっていたと思います)怒涛の1週間でした。

子ども達への説明を終えましたが、自分自身は、まだほんのわずかな奇跡を信じながら、妻を最後まで悔いなく見届けるために、毎日お見舞いをするスケジュールを立てて、最後の日を迎える準備に気持ちを切り替えたのでした。

次回は、「お見舞い」の話を書きたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

MAP

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