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京極夏彦〈百鬼夜行シリーズ〉全レビュー|第7回:『陰摩羅鬼の瑕』

2023年9月、京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉最新作『鵼の碑』が、17年の時を経てついに刊行された。第1作『姑獲鳥の夏』刊行からおよそ30年、若い読者には、当時まだ生まれてすらいなかった者も多い。東大総合文芸サークル・新月お茶の会のメンバーが、いま改めて〈百鬼夜行シリーズ〉と出会う連載企画。毎週火曜更新予定。

 作家である関口は、探偵を依頼された榎木津とともに白樺湖畔の洋館に赴いた。そこでは過去4度に渡って婚礼の夜に花嫁が命を落としており、“伯爵”の5度目の婚礼が行われようとしていた——。

 京極夏彦作品に初めて出会った時の衝撃は忘れられない、それは京極作品に一度でも触れたことのある多くの人が共通してもつ感慨だろう。まさに世界がひっくり返る感覚、京極作品に出会う前の自分には戻れない。とてつもない知識量、個性溢れる登場人物、引き込まれる文章、……、それは『陰摩羅鬼おんもらきの瑕』でも健在である。この作品は、複数の事件が一つに収束していく前作『塗仏の宴』とは異なり、一つの事件を複数の視点で追っていくというシンプルな構造となっている。シンプルであってもスケールダウンすることなく、読者に目眩く読書体験を与えてくれる。

 『姑獲鳥の夏』から始まるシリーズ、いわゆる百鬼夜行シリーズは一般的にミステリの文脈、さらに言うなれば新本格の文脈で語られる。実際、『魍魎の匣』は日本推理作家協会賞を受賞している。しかし、この『陰摩羅鬼の瑕』ではある程度ミステリを読み慣れた読者ならば犯人と呼べる人物に早い段階で辿り着いてしまう。早い段階で犯人がわかるということは、ミステリであるならば大きな欠点となりうる。それでも、そのことでこの作品の良さは損なわれない。なぜなら、この作品は「妖怪小説」だからである。

 「妖怪小説」はミステリを包含しうるがミステリそのものではない。登場人物に憑いた「妖怪」の正体を暴き、浮かび上がらせることこそがこの作品の本分なのだ。“犯人”が分かったとしても、憑いた「妖怪」の正体、なぜ「妖怪」が憑いたのかという謎があるからこそ、この作品は紛れもない百鬼夜行シリーズの一編として成り立っているのだ。

 『陰摩羅鬼の瑕』で繰り返し問われるのは、「生きて居ること」の意味である。生きて居ること、また死ぬということ、私たちは知っているかのように生きている。しかし、死が恣意的に規定される世界で生きていて本当に知っているのか、また知っていることが正しいのか、確かめる機会などそうそうない。そのことが歪みを生み、歪みは大きくなると「瑕」となる。京極夏彦は京極堂を、解決をもたらす探偵ではなく、秩序の再構築を行う存在だとしている。「瑕」は事件を解決するだけでは埋められない。「瑕」は自覚しなければ埋められない。生と死、存在と非存在を滔々と論じ、「瑕」を根本から掘り起こし自覚させることができる京極堂にしか、「瑕」を手当てすることはできないのだ。

 陰摩羅鬼は落とされ、あまりにも哀しい事件は終息した。これからも日々は続いていく、再構築された秩序で生きる人々に思いを馳せながら——。

(藤巴十三)


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