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京極夏彦〈百鬼夜行シリーズ〉全レビュー|第5回:『絡新婦の理』

2023年9月、京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉最新作『鵼の碑』が、17年の時を経てついに刊行された。第1作『姑獲鳥の夏』刊行からおよそ30年、若い読者には、当時まだ生まれてすらいなかった者も多い。東大総合文芸サークル・新月お茶の会のメンバーが、いま改めて〈百鬼夜行シリーズ〉と出会う連載企画。毎週火曜更新予定。

 世を騒がせている目潰し魔と女学校に突如現れた絞殺魔。2つの殺人事件は織作家の女たちを通して絡み合う。その中心で糸を引いているのは狡猾な真犯人「蜘蛛」。京極堂や榎木津も「蜘蛛」が織りなす糸の上から逃れることができない——。

「あなたが——蜘蛛だったのですね」

 極めて印象的な一文から始まるこの小説は、大部に渡る物語を経て、冒頭へと立ち返ってくる。桜吹雪の舞う中、犯人が指摘される情景は、この小説を象徴するかのようなめくるめく美しさを備えている。この小説で描かれるのは、1人の人間を中心として紡がれた巨大な犯罪であり、その構造はさながら蜘蛛の巣のような美しさをみせる。

 1400ページにも及ぶ物語の中で語られるのは、主として目潰し魔による連続殺人と女学校を舞台とした連続殺人という2つの事件である。2つの事件は織作という家を通して微かな繋がりこそ見えるものの、なかなか交わろうとはしない。ただ読者にわかることは、二つの事件の中心には冒頭で「蜘蛛」と呼ばれていた女性がいるであろうということだけである。

 ここでは「蜘蛛」が目的を達するために用いた手法について見ていきたい。

 「蜘蛛」は糸を用いて巣を作り上げる。ここでいう糸とは事件を作りあげる因果の集積であり、巣とは因果を通して蜘蛛が生み出す犯罪の全体像である。

 我々のどのような行動も、しょせんは過去の言動によって築かれる因果を通して規定されてしまうものだ。物事には必ずそれをもたらした原因が存在するのであり、全ては必然である。我々はただその原因が理解不可能であるものを偶然と呼ぶに過ぎないのであり、本当は「この世に不思議なものなどなにもない」。

 このような決定論的な世界観の中において、「蜘蛛」は自らの言動を通して因果を作りだし、自らの思い描いた未来へと他者の行動を規定してゆく。そして因果を作り出したのが自らであることすら相手に悟らせはしない。人々は自らの選択の結果として犯罪や破滅へと身を投じてゆく。思うがままに他者を動かす「蜘蛛」のあり方は、まるで登場人物を活写する小説家のようであり、作中人物が通常は小説家の存在を気に掛けることができないのと同様、人々も「蜘蛛」が張り巡らせる因果の糸の数々に気づくことはない。「蜘蛛」を通して作者が描き出す事件の構図は極めて綿密に計算されており、1000ページ以上に渡る長編にもかかわらず、無駄な部分がほとんど存在しない。

 しかし、冒頭ではその「蜘蛛」も因果の網の中に捕えられた存在であることが明かされる。因果を客観的にとらえ、望むがままに他者を動かすためには、徹底して観察者でなければならない。客観性を失った観察者は、当事者として因果の糸が織りなす事件のうちへと取り込まれていってしまうからだ。しかし「蜘蛛」は観察者であり続けることができなかったがために、因果のあり方を見失ってしまい、結果として「蜘蛛」が張り巡らせた因果の糸は、「蜘蛛」自身も意図していない形で他者の行動を支配し、事件を産み続けることとなる。

 「蜘蛛」は再生産される事件を通して、自分を束縛するものの排除と引き換えに、多くのものを失ったのである。しかし「蜘蛛」は決して泣かずに笑い、自らの居場所を見つけようと前を向く。なぜならこの精神こそが、本当の絡新婦じょろうぐもの理であるから——。

(葉月)


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