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京極夏彦〈百鬼夜行シリーズ〉全レビュー|第8回:『邪魅の雫』

2023年9月、京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉最新作『鵼の碑』が、17年の時を経てついに刊行された。第1作『姑獲鳥の夏』刊行からおよそ30年、若い読者には、当時まだ生まれてすらいなかった者も多い。東大総合文芸サークル・新月お茶の会のメンバーが、いま改めて〈百鬼夜行シリーズ〉と出会う連載企画。毎週火曜更新予定。

「僕は嘘しか云いませんよ」

 江戸川で死体が見つかり、次いで大磯でも事件が発生した。彼らの死因は同じ青酸毒であることから連続殺人事件だと考えられたが、被害者同士の関係がわからない。一方、薔薇十字探偵社の益田は榎木津礼二郎の婚約者の不可解な行動を調査し始めるが——。

 本作『邪魅じゃみの雫』は、前の長編である『陰摩羅鬼の瑕』とは対照的に複数の事件を複数の視点から追っていく形式になっている。複数の視点、それはすなわち複数の世界である。人間は自分自身の認識によってしか世界を捉えられないからだ。

 さて、「世界」とは何か、それが『邪魅の雫』全体を通して語られる問いである。

 本作における「世界」とは、そして「世間」とは、個人の、あるいは特定の複数人の間のみで諒解されるものだ。それぞれの世界において、登場人物の説明はそれぞれに解釈され、客観的な真実はここでは意味をなさない。さらに、互いに知り合い同士の複数人がいたとしても彼らの世界は完全に一致することはない。彼らの体験は各々によって異なるからだ。

 ここで重要なのは、個人の世界、そして複数人で構成される世間は渦中の人間が思うよりも小さく、そして閉じていることだ。それ故に些細なことで揺らぎ、崩壊する。「邪」に魅入られてしまうのだ。

 『邪魅の雫』における各々の事件関係者もそうだ。本作で起こる事件群は一見して不可解であり錯綜しているように思える。登場人物には正体不明の人間が多く、益田や警官たちなど事件を調査している登場人物はおろか、私たち読者でさえ事件の全容をつかめないだろう。しかし、彼らのなかには理由がある。それぞれの行動は、事件関係者のそれぞれの「世界」のなかでのみ説明することができるのだ。

 しかし、人間は自分の感じている個人的な「世界」が当然に他人すらも巻き込むような大きなものだと錯覚してしまう。それは、逃避であり、現実と向き合うための手段ともなり得るが、時として驕りになり、その結果として全能感とともに取り返しのつかない罪をおかしてしまう。

 憑き物落としである京極堂は彼らの閉じた世界を語りなおす。だが、それは京極堂が言葉にした時点で嘘になる。言葉では個人の世界をそのまま表すことは不可能だからだ。人間は誰も、他者の世界についてそのまま理解することはできないのである。

 これは書評についても同じである。現在私は、『邪魅の雫』を読んでその感想をレビューしている。だがしかし、それは作者である京極夏彦が出力したこの小説を読んで、自分自身の世界で受け止めなおし、そして自分の世界をまた言葉として外部に伝える行為だ。この過程で完全な理解は一つも生じていない。

 ゆえに、京極堂が言う通り、すべて言葉によって語られたものは嘘でしかないのだ。私たちは世界の語り手となりうると同時に世界の騙り手でもあるのだ。

(いりや)

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