研修会講演より00000000

柔道の部活で息子が死亡…伝え続ける母の思い

14年間で死亡例が20件…。「柔道」の部活や授業での事故があとを絶ちません。中学1年の村川康嗣(こうじ)くんも練習中に意識を失い、亡くなりました。

息子はなぜ死ななければならなかったのか。再発防止を願う母親が、教師を目指す若者達に語りかけました。
(17年7月13日オンエア)

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●雨宮キャスター
「私、この笑顔が印象的」
●村川康嗣くんの母・弘美さん
「(小学校を)卒業したお祝いと中学校に入ったお祝いを一緒にしてくれた。おじいちゃん、おばあちゃんが」


息子を亡くして、まもなく8年になります。

当時、中学1年生だった村川康嗣(こうじ)くん。母親と妹思いの、優しい子でした。

●村川康嗣くんの母・弘美さん
「母子家庭だった。自分が父親役、いろんな役割を小さいながらにしてくれていて『母ちゃんのために家建ててやるわな』とか『親孝行するわな』というのが口癖だったんです」

滋賀県内の町立中学校に入学後、友達に誘われて入った柔道部は県内でもトップクラスの実力でした。

康嗣くんにはぜん息の持病があり、柔道経験もありません。そのことを顧問に伝えると、別メニューでの練習を提案されました。

●村川康嗣くんの母・弘美さん
「少し運動して体力をつけたいという理由だった先生も別メニューって言ってるし、ちょっと体を動かす程度かなと」

ところが、入部から4か月が経った7月。康嗣くんは部活動中に意識を失い、救急搬送されました。

●村川康嗣くんの母・弘美さん
「何があったかわからないけど、『神様助けて助けて』って言いながら病院に行って。
目は半開きだし、康嗣って言ってもうんともすんとも。たった1日でこんなことになるなんて、たった何時間で。信じられなかった、本当に」


診断は、外部からの衝撃などで脳内に血がたまる「急性硬膜下血腫」。1か月後、康嗣くんは息を引き取りました。何があったのか・・・

一緒にいた部員たちへの聞き取り調査によると、そのとき、自由に技をかけあう稽古、「乱取り」が行われていました。

1本あたり2分間、康嗣くんら1年生は上級生の部員と対戦する形式で、顧問が「ちゃんとやっている」と判断した生徒から抜けていくというもの。

初心者の康嗣くんは残され、最後まで乱取りを続けました。

部員はこのときの康嗣くんの様子を、こう証言しています。

●「康嗣くんは10本目ぐらいで息が荒かった。」
●「18本目ぐらいにはフラフラ、フニャフニャ」
●「頭は何回か打っているだろう。彼は受け身が上手ではない」

それでも練習は続き、26本目、康嗣くんの相手になったのは顧問でした。

大外刈りを掛けた康嗣くんは返し技で倒され、寝技を掛けられました。つらそうに立ち上がり、再び大外刈りに挑む康嗣くんを顧問は再び返し技で倒し、康嗣くんは意識を失いました。

●村川康嗣くんの母・弘美さん
「声が出ていないという理由で息子は残されて」
●雨宮キャスター
「声、出せないんですよね?」
●村川康嗣くんの母・弘美さん
「わかるじゃないですか、疲れてる、しんどいフラフラの子を失神させるって痛めつけてるのと同じ倒れて何を思ったか、ほっぺたを叩くんです。バシバシバシ!康嗣、康嗣!って言ってそれを倒れた後に(部員への)聞き取りで初めて知ったんです」

しかし、学校側は「練習は適切だった」とする報告書をまとめました。

なぜ・・・村川さんは納得できず、事故から2年後、顧問と町を相手に損害賠償を求める裁判に踏み切ります。

判決は、顧問の過失を認めました。ただ「顧問個人が責任を負うことにはならない」として、町に対して、約3700万円の支払いを命じました。

村川さんは、全国をまわり、再発防止を訴え始めました。


その頃、毎年のように学校の柔道で死者が出ていたからです。

2012年には、柔道を含む武道が必修化されますが、村川さんらの訴えもあり安全指導の啓発が行われ、3年間、死者は出ませんでした。

しかし、おととしや去年にはまた子どもが命を落としています。

「息子の死を無駄にしたくない」

先月末、村川さんの話に耳を傾けていたのはこれから教師を目指す、日本体育大学の学生たちです。

●村川康嗣くんの母・弘美さん
「子どもって死ぬのよ、こういう練習、死ぬのよ生きていて欲しかったです。ぬくもりを感じていたかったです。手を握っていたかったです」


●村川康嗣くんの母・弘美さん
「皆さんはスポーツすごくできる、だけどうちの子みたいに好きなのにできない子もいるの。僕だったら私だったら、この子にこういう指導をしてたかな、そういう風に考えられる人になってください」

●雨宮キャスター
「今日の話を聞いてどうですか?」
●体育学部武道学科4年生
「自分たちも部活動を中学、高校、大学とやってきて身近なところでこういうことが起きているんだなと」
●体育学部武道学科3年生
「将来、教員になったときにこのようなことがないようにしようと思いました」

先月、康嗣くんの事故で対立した滋賀県の教育委員会も、部活動指導者向けの体罰防止研修会を開きました。講師を務めた日体大の南部准教授は、県に村川さんの話を聞く時間を作るよう提案しました。

しかし県は、「事前に参加者に案内した内容と異なる」として村川さんの講演を拒みました。

村川康嗣くんの母・弘美さん
「すごくいい機会だと思った。ここでこうしていたら死亡事故はおこらなかったと話したかった」

小学校高学年のとき、康嗣くんがくれた手紙を村川さんは今も大事にしています。

<康嗣くんの手紙>
【母へ】
「いつもいつも苦労をさせてしまって自分たちのため全力をつくしてくれる母に大変感謝しています。」
「ぼくは、母に小さいころから迷わくをかけていましたが、これからも、迷わくもかけるかもしれないけれどどうかよろしくお願いします。」
「ぼくは母の子どもでとてもうれしいです。」


●村川康嗣くんの母・弘美さん
「事故防止のために遺族の自分たちしか言えないことをいい続けることが、この子の生きた証を作ってやることなのかな、それが使命なのかなって。自分の人生をかけてできることかなって。一生懸命やったら、(自分が)亡くなったときに『ああ、母ちゃんよう頑張ったな』って言ってもらえるかもねって」

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雨宮キャスター
「村川さんはいつか部活動で生徒が亡くなることがゼロになる日を、“昔そんなことがあったね”と言える日を目指して講演を続けられている。
これから教師になる人たちも、自分たちならどうするか、どうすれば避けられるのか、村川さんの言葉を受け止めて、具体的に考えられる人になってほしいと思います」