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「つまらない」本にどう向き合うか

この間のつぶやきでも書いたように、最近読書ができていませんでした。

その反動で最近はここ2日ほど浸るように本を読みました。

めっちゃ楽しかったけど、正直疲れました。

というわけで、今回の話は読書についてです。

僕のような速読人間にはあまり関係のない話かも知れません。

人生は冒険のようなものといいますが、

読書もまた冒険であるとおもっています。

だから浮き沈みもある。

いや~どれも面白かったと言えればそれでいいのですが、残念ながらすべてがそうとはいかないもの。

今回読んだ本の中でも、いくつかは自分にとってつまらない本でした。

もちろんタイトルは伏せますが。

そんな本を読む時にこう思ったことはないでしょうか。

途中で本を閉じるような無粋な真似はしたくはない。

でもその本を読むのにかかった時間、他のことができたかもしれない。

実際にぼくはそう思いましたし、もちろんそんな真似はしませんでした。

しかしその経験を幾度となくしてきたからこそ言えることがあります。

つまらないのも悪くない。

つまらないのも悪くないとは

つまらないのも悪くない。

この言葉を通して言いたいことは2つ。

つまらないという感想はただしい。
つまらない本を読む時間は決して無駄ではない。

ということです。

一つずつ説明していきます。

つまらないという感想は正しい。

つまらないということは決して間違いではありません。

言語化できなくてもいいですし、読みにくくて理解できなかったからつまらないというような感想でもいいです。

もちろん内容がわかったうえでの感想であるべきで、
読んでいないに等しいような極度のななめ読みでの感想は妄想と何ら変わらないです。

わからなかったとしてもなぜわからなかったのか、
例えば表現が婉曲すぎた、難しい言葉が多かった、説明が不十分だったなどがあって、はじめて感想と言えるでしょう。

ストーリーが平々凡々で飽き飽きする、主人公の態度が気に食わないなどという感想は、批判的で理解不足ととられることもありますが、

「共感した」、「ページをめくる手が止まらなかった」、「感動した」などの感想と大差ないと思います。

逆にその本が好きと言っている人ほど良く読めていなかったりするものです。

感想に良し悪しはありません。

逆につまらなかった原因をはっきりと述べることができたのなら平均以上に読む力があるのではないでしょうか。

まあ、僕はその本が好きな人にとやかく言われるのは嫌ですから、公言は避けたいと思います。

つまらない本を読む時間は決して無駄ではない。

つまらない本は使いようによっては大きな武器になります。

面白い本は経験を成長させるのに対して、
つまらない本は知見を広げるのに役立ちます。

というより、知見をひろげるためにはつまらなさを感じたり、何も感じないことが必要なのです。

つまらない本ほど解説や好評が面白いのです。

本を読むきっかけは多種多様です。

自分の興味、人のすすめ、人気、映像化などの関連コンテンツ、読書メーターの評価。

そしてあなたは本を手に取ったのです。

その時点でその本には他の誰かに評価されたという経緯があるのです。

無名の素人がかいた自費出版、もしくはネット上の人気のない本を読んでつまらないと感じたのなら、それはあなたの責任です。(それは覚悟のうえで読みましょう)

人気のある本がいつも面白いとは限りません。

本屋大賞受賞もこのミステリーがすごい!も当てにならないこともある。

だからこそその講評を読むと新たな発見が生まれます。

自分が理解できる本ばかりを読んでいたってなにも進展はありません。

無理に読む必要がないことも一応言っておきます。

解説に書かれていることがすべてではありませんが、一応公式的に認められた感想なので読む価値はあります。

解説でその本を読む目線が変わった時、そのブレイクスルーの体感はすさまじいものです。

ロックがかつてアンチカルチャーであったことは有名ですが、
それが今や大衆文化までに地位が確立されたことはその一例です。

人間は新しいものには何であれ否定的な感情を持つものです。

しかし、その拒否感、つまりはつまらなさから一歩前に踏み出すことが水平線の拡張につながるのです。

つまらないから始まる世界

つまらないのも悪くない。

そう思っていただけたら幸いです。

残念ながら本当に理解できないことも世界にはあります。

それを理解しようとする姿勢が無くては何も始まりません。

もしこの記事を読んでつまらないと感じた方がいても、

それは自己責任なので文句を言わないでくださいね(笑)

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