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依存症と年金生活!依存症に決別

ギャンブル依存症と年金生活


noteの読者や、投稿者は、ギャンブルなどやるわけがない。
だから、ギャンブルのことを取り上げても関心がないかもしれない。
ただギャンブルは、ギャンブルをやっている周囲の人にも迷惑がかかるので、
ちょっとだけ、関心を持って読んでほしい。

依存症はギャンブルだけではない

ゲームの課金やホストクラブなども、依存症の人がいる。
アルコールやタバコや覚醒剤も同じ。
身を崩すほどではないけれど、カフェイン依存症やスイート依存症もいる。
生活自体を破壊しなければ、依存しても問題はないけれど、
依存症のほとんどは、生活を破壊するまで深刻な状態が多い。
要するに、ほどほどにしたり、適度に遊んだりすることが出来ないのが依存症である。
最近、ネットで読んだ記事によると、ネットポルノ依存症も増えているらしい。
このことは、依存症になりやすい対象が身近に増えているとも言える。

依存症になる人にケチはいない

「ケチ」と言われると、普通の人は、はなはだ心外だと思うだろう。
「けち」という言葉は、「バカ」「あほう」と同じくらいの罵り言葉である。
だから、人々は、他人に「けち」と思われたくないので、本当は「ケチ」なのだが、
意に反した言動をしばばとる。
「けち」であることを隠そうとするのである。
「ケチ」という言葉は、相手の隠したい弱みを露見させる嫌味な言葉だ。
「ケチ」は、その人の人格ではなく、その人の経済に対する姿勢を表しているだけ。
だから、「ケチ」であることを誹謗されたり中傷されたり筋合いはない。
わたくしは、この際はっきり言いたい。
「ケチは、哲学である。」
「ケチは、庶民の生きる知恵である。」
「ケチは、平凡人の味方である。」
ここまで、ケチの肩を持つのは、依存症になるケチがいないからだ。
ケチは依存症になれない!

依存症の人は生活感に欠ける?

依存症の人々は、生活に関心がないように思える。
生活には、最低限経済感覚が必要だ。
だから、収入内で生活をするのは当然である。
赤字になって、借金をこしらえて、破産まで行く人もいるが、
普通は計画的に生きていく。
お金が少なくなれば、節約や倹約をするのは、経済的な解決方法である。
節約や倹約を全面に出して生活をすると、周囲から「ケチ」と言われる。
依存症の人は、節約や倹約などの「ケチ」な生き方が出来ない。
依存症になったら、損をすると分かっていても依存をやめない。
「ケチ」な人間は、ケチだから先を見通して生きる。
要するに原因と結果が、さっと理解できる。
ギャンブルをやったとしても、少し負けただけで、大損をしたと慌てふためく。
そして、すぐやったことを反省し、二度とギャンブルをやることがない。
「ケチ」人間は、修正能力がありそうだ。
アルコール依存症の人間は、飲み放題で酔いつぶれるほど飲む。
「ケチ」な人間は、飲みつぶれて健康を害したら損だと考える。
だから、最初から飲み放題に関わらない。

分かりやすい依存症と分かりにくい依存症

年金生活者の中には、節約の出来ない人がいる。
月に20万円年金を受給しているのに、月30万円の支出をしている人もいるらしい。
いるらしいと書いたのは、実のところ他人の年金のことは分からないからだ。
それでも、年金で破綻したというニュース記事は多い。
もらった年金額以上にお金を使えば、収支が崩れていずれは破綻するのはわかりきったことだ。
この分かりきったことを理解できないのは、ある意味からして「年金依存症」と言っていいと思う。
頭の中に、年金を死ぬまでもらえるという算段だあるから、節約をしないで博打にお金を捨てることができる。
家の中がすっからかんで、貯金もなければギャンブルも出来ない。
しかし、年金という打出の小槌があるのが、ギャンブルをして人間の気を大きくする。
年金をもらっても、いつなんどきどうなるかわからないからと、予備のお金を蓄えるぐらいの知恵が欲しい。

年金生活者は、絶対依存症に陥らないことが課題だ

noteで記事を書いている方々に、依存症が少ないと感じるのは、
記事を各人々は能動的な生き方をしているからだ。
依存症の人々は基本的に受動的な生活を送っているような気がする。
例えば、アルコール依存症の人は、ちょっと暇になってやることがなくなると飲むそうだ。
やることがない時、飲んでしまう人もいれば、趣味の読書をしたりギターを奏でたりする人もいる。
能動的な進んで課題を持って生きている人々は、酒を飲む暇などないのではないだろうか。
noteの執筆者は、暇な時間できるだけnoteの記事を取材したりまとめたりしているのではないだろうか。
やることがない状態で、酒やギャンブルに溺れている人々は、受動的な人々だ。
ただし、経済では、こういう酒やギャンブルに溺れる人がいて税金ががっぽり入るので、
政府は、酒やギャンブル対策はしない。
むしろ積極的にカジノを作る計画を立てているほどだ。
税金が入ればどんなことでもするというスタンスが恐ろしい。
テレビも酒の宣伝に切れ目がない。
競輪や競馬や競艇の華やかなコマーシャルが連日放送されている。
ギャンブル依存症は、なくなっては困るのだ。

節約は美徳と言われるけれど、経済的なは問題あり

国が豊かになるためには経済が活性化しなくてはならない。
つまり国民がどんどんお金を使う消費社会の方が良いのだ。
年金生活者も、どんどん使った方が良い。
退職金もできるだけ散財してもらったほうが良いし。
カードで借金をたくさん作ってくれたほうが良い。
だから、節約などという言葉は禁句。
「ケチ」な人間が誹謗されるのは当然である。
それで、世の中のそうした風潮に乗って生活を送ればどうなるか、結果は誰でも分かる。
年金の問題は、その受給する年金額ではなく、
少ない年金で「ケチ」生活ができないように国民を卑屈にしていることだ。
厚生省の平均的な年金生活者の受給額は、夫婦で30万円だが、これでも大変だから、
退職までに2000万円貯蓄をしましょうと言っている。
すごいことを言っているのだ。
月額30万円の受給者は、国民の多数ではない。
しかも30万円では足りないと言っている。
世の中には、20万円で生活をしている人もいる、10万円でやっている人もいる。
20万円や10万円で生活をしている人々は、それなりに工夫をして暮らしている。
受給額にかかわらず、みんな自尊心を持って生きているはずだ。
節約をすることは美徳である。
間違いなく、人に頼らず自立をしている証でもある。

やっぱり教育が大切

でも政府は、こういうギャンブルをする人間のおかげで、
税金がたっぷり入るから、ギャンブルを法律で取り締まることはない。
貧乏人は、誰のせいでもない。
貧乏から抜け出す気力も知恵も勇気もないだけ。
イキテイレバいいじゃん。
そんな感じの日々を過ごしているのかもしれない。
世の中は、いったいどうなっているの?
そんな気がする。
もともな人々は、まともな人々同士で集まり、
まともじゃない人々は、まともじゃない人同士で集まって生活をしているだけ。
経済感覚なんか、家庭でしつけるしかないのに。
問題解決学習などとのたまわっていても、依存症はなくならない。
ギャンブルを対象にした教育が必要なのだ。
パチンコや競馬や競輪などのギャンブルや、酒の危険性を教育で指導すべきだ。

退職前に足を洗ったほうが良い

老後に、目標を失う人がいる。
若い頃は、結婚をして子供を育ててという目標がある。
会社で出世をしたい、有名になりたいなど。
しかし、老後になると、自分の能力の限界を知って、そういう夢みたいなことを言わなくなる。
やることがなくなるのだ。
やることがなくなると、ギャンブルなどに行きたがる。
だから、老後に目標を失う前に、一度すべてのギャンブルや酒やタバコから、足を洗ったほうが良い。
要するに、心をリセットするのだ。
そして、老後という第二の人生を生きたほうが賢明だ。
それができなければ、バケツで汚い足を洗うしかない!

人間は二度生まれる

人間は二度生まれる。
一度は赤ん坊として、二度目は老人として。

還暦に子供に戻ると言うけれど、子供に戻るのではなくて、
老人として新しい生き方をするのが良い。
赤ん坊に生まれた時は、成長するために色々な助けを必要とされる。
しかし、60歳は、人の達する頂点でもあるわけだから、
自立をして生きていけるはずだ。
だから60歳以上は、死ぬ準備に入ったとも言える。
できるだけ人に迷惑をかけないで、静かに安らかにきれいに死ぬ準備である。
そのためには、安定的な精神状態が保たれる生活が必要である。
健康的な生活も必要だ。
精神を豊かにしてくれる、芸術に触れる生活も必要だろう。
経済的に安定した生活を送るために、見通しを立てて老後の経済を送るべきだ。

旗じいの話を最後まで聞いてくれてありがとう。
人間は二度生まれると考えると、二回生きることができる。
一度は赤ん坊としてだが、二度目の老人としては、
意外に自由でやりたいことを工夫をしてできるような気がしないわけではない。
つまりデメリットばかりではなく、メリットのほうが多いような気がする。
今わたくしは、二度目の人生を送っているわけである。

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