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老後の愛情表現

老後の愛情表現 無視よさようなら

照れるな、愛情について書くのは。
日本人の愛情表現はストレートではない。
ストレートに表現が出来ないから、難しい表現に始終する。
西洋人はチップなどもストレートだ。
日本人だった、言葉に感謝を込めるが、西洋人はマネーだ。
表現をマネーに任せるのは、真似したくない。
(上の文には洒落が入っているが、分かる?)
表現の下手な老齢男子諸君、だったらどうする。
今まで通りで、シラを切って生き続けるか?
それとも、革命的愛情表現を身につけるべく努力するか、考えてみよう。

精神的に豊かな生き方をするには

大抵の人間は、他人ににやってもらうことばかり考えているし、それを当然と思っている。
また与えられることに無関心な人は、自分が与えることに関心がない。
子供と大人の関係はおもしろい。
子供の頃は、常に親から何でも与えられて育っていく。
それが、成長し独立し家庭を持つと、親と子供の立場が逆転する。
今度は娘や息子から何かと与えれる立場になる。
子育てが喜びなのは、自ら進んで与える気持ちが持続することだろう。
与えた相手からの見返りなど一切考えることのない、無償の愛情だ。
そこが、奨学金と違うところ。
貸し借りの世界とはまったく違う。
また恩や義理などの打算もない、これぞ親の喜び。
この与える喜びを、忘れない生き方が、老後の活力になる。
人は誰かに頼り始めたら、もう与える喜びを失ってしまう。
与えるほうが損で、与えられる方が得だと考えたりするようになる。
老後、全てを与えられることができるかどうかと、考えてみたい。

日頃の感謝を花に込めて

花は誰の目にも優しく美しい。
花の嫌いな人は花粉アレルギー患者以外いない、きっと。
特に、女性は花が好きだ。
「花の命は短くて 苦しきことのみ おおかりき」
林芙美子の言葉の中に、花を見つめる女性の美しい心を感じる。
花屋の前に立って、想像してみよう。
我が家の奥様はどんな花が好きだったか、と。
1000円でも2000円でも良いのだ。
5000円や10000円の花束のことではない。
少ない小遣いの中でやりくりをした花束、
そこが大切なのだ。
スキップしながら帰宅したら、奥様へ花束を渡そう。
真正面から攻めるより、肩越しに声をかけよう。
「いつもありがとう。プレゼント。」
これだけでいい。
「ありがとう、あなた、大好き、ちゅっ!」
これは妄想で実際の妻は、
「あら?」
と、小さく声を上げるだけ。
「ありがとう。」
そう言いながら、花瓶を探しに行く。
これだけのことだが、夕飯はいつもの、塩と味噌とご飯だけのメニューから、
きっと目刺しが2本豪華に付くはずだ。
いやいや、与える喜びのために、お返しを期待などするのは邪道だ。
きっと照れるなと、思い込んでいる老齢男子、やってみて損はない。
きっと妻に無視をされていたことが少なくなるはず。

感謝は小さな積み重ね

「ありがとう」
は、こまめに言うことだ。
モテる男は、きめ細かい愛情表現が出来る。
スケコマシと言われる人も、表現に関しては勤勉なのだ。
大切なのは、「ありがとう」の連発だ。
相手がなにか言ったらすぐ、
「ありがとう」
で返事を反射的に言えるように訓練する。
例えば、
「お父さん、ごはんよ。」
と呼ばれたら、
「ありがとう」
と、返事。
「ねえ、いつもトイレの電気つけっぱなしよ。」
「ありがとう。」
「本当にぼけてるわね」
「ありがとう」
「何度も何度も言われても、しょうがないわね」
「ありがとう」
会話になっていないが、これで良いのである。
ありがとうと言われて、怒り出す人はいない。
「ありがとう」は人間同士の緩衝材だ。
これが自然に口から出てくるように、一ヶ月くらいは「ありがとう」以外は言わないようにする。
これが出来るようになったら、しめたもの。
日常に平和が訪れる。

「ごめんなさい」をオウム返し

離婚の危機が迫るまではいかないけれど、一ヶ月に一回ぐらい妻は怒り狂う。
原因がわからないけれど、とにかく怒る。
そう言う時、土下座して謝るか、ひたすら「ごめんなさい」を連発する。
これは普段から、ありがとうと同じくらい使って慣れておくと良い。
ただし、
「ありがとう、ごめんなさい」と、一緒に使うのはどうかな。
悪くはないけれど、ちょっと舌足らずな感じがする。
「ごめんなさい、ありがとう」
こちらのほうが良いかもしれない。
最初に謝っておいて、次に感謝の言葉を添える。
これはテクニックとしては最高だな。
レスランで、水の入ったコップをひっくり返した時、
品のある女性がたまに使う。
これはなかなかいいね。

愛してるの言葉が事件に発展する可能性は?

「愛しているよ」
老齢男子諸君、言えますか「愛しているよ」と。
「地球の中心で愛を叫ぶ」という映画がヒットした。
映画は見て恥ずかしかったけれど、映画の題名は衝撃的だった。
「東京タワーのてっぺんで愛を叫ぶ」
「渋谷交差点で愛を叫ぶ」
「帝国ホテルフレンチレストランの中心で愛を叫ぶ」
この愛を叫ぶには、衝撃波を感じるほどのショックを受けた。
若い人たちは、どこでも愛を叫べるのだからすごい度胸だ。
教室でもいきなりやって退学をくらった奴もいるのかな。
格好いいな、でも退学は格好悪いけれど。
うーん、難しいなあ。
なかなか言えない。
妻か自分が臨終の際だったら言えるかも知れない。
でも自分が死ぬ時は、死ぬのが怖いから、
「怖い怖い怖いよ、アイシテル、怖い」
と支離滅裂になりそうだ。
妻が死にそうな時には愛を叫べそうだ
「愛している!」、
絶叫した後、妻の心臓が突然止まる。
検死の結果、夫の言葉に驚いて心停止になったことが分かり、
夫は告訴され裁判の結果死刑になる。
夫は絞首刑の直前、
「ありがとう、ごめんなさい、あいしている」
そう言ってがくんと亡くなった。
「愛している」と叫んだばかりに、絞首刑か。
やっぱり、愛しているは最後まで言えないかな。
でも、一回くらい絞首刑を覚悟してでも言えたらいいなあ。
老齢男子諸君どう思うかな?

旗じいの話を最後まで読んでくれてありがとう。
感謝の言葉は、自然に出るのが一番だね。

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