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どうにかなるしなるようになる

今まで一軒家で自由気ままに過ごした山育ちの保護猫は、ただいま六畳二間に居を移したせいで、食欲が落ちてスリムに…。

一階で15年目の老猫は、ありとあらゆる場所にうんこ&ゲロ…そしてついにおしっこを!

元々うんこはさりげなくあらゆる場所に→時には来客の周りをうんこで円周したりと、うんこにはこだわりがある猫であったが。

保護猫は甘えん坊が激しくなり、姪と母に威嚇する。

でも姪の頭を膝に乗せて抱っこした保護猫に、この子は家族で1番大事な子だから、仲良くして!と毎日1時間くらい仲良し時間を設けている。

大分威嚇はしなくなってきたけれど、激しく猫アレルギー数値が高い姪はくしゃみをしながら保護猫を撫でる。犬アレルギーだったら良かったのに。と毎回言う。

皮膚科の先生が見たらブチギレそうな案件だ。

でも言葉の通じない生き物の許容範囲を少しづつ縮めていく姪の目はとてもキラキラしていて、美しい。

書類の整理をしていて、姪の両親の死亡診断書が不意に出てくる。外因性ショック死と縊死。

姪が届かない棚へ押し込むと、やっぱり私は辞められない煙草を吸って1番死に近づいた時を丸ごと飲み込む。まぁ、今姪を見ているのが妹の魂であっても良いし。あの時飛び落ちたのが私であっても良いし。

人はいつか死ぬし、それがいつか分からないだけだし。

とか考えてたら、変な晩御飯作ってしまって、ごめんねごめんね。と出した夕飯を母も姪も美味しいよ〜とふわふわっと食べてくれて申し訳ない気持ちになりつつも、瑕疵のない人生もなければ完璧な食事もねぇ!とへたりそうな気持ちを奮い立たせる。

口癖がごめんね。になりつつ私を姪はきつものなぞなぞごっこで適当にあやしてくれる。

私が死んだ方が良かったと幾度唱えても現実は変わらない。そもそも死ぬ事にあまり意味はない。
みんな死ぬのだから。

でもそれまでに、前のようにもう少しマシな晩御飯を作れるようにならなきゃなと思う。
全てに興味が無くなってしまって、あらゆる物を捨てる行為に夢中でゆるやかな希死観念だなと感じる。

私が逝っても姪が自分の過ごし易いように、いらない物を出来るだけ捨てておきたいのだ。

本当は今すぐにでもこの身体ごと全て捨ててしまいたいけれど、まだ小さなあなたにあの悲しみを味合わせる訳にはいかないのだ。

死ぬ事に対して意味はないけれど、生きる事には食事をしたり入浴をしたり、トランプをしたり、猫の粗相の始末をしたりと生活を営む全般が関わっていて、今、マックスにポンコツな私が請け負っているタスクは大きいのだ。

だから、私の中に入っている妹よ!
ポンコツな私と共に母と姪を支えておくれ。

もう私の波立つ感情はあなたに起因するものだから、ほぼあなたと変わらないとするわ!

春休みの次は夏休みよ!
昼ごはん面倒臭いけど、働いてないからポンコツ鬱でもどうにかなるさって、毎晩なんとかなるさ〜いつかみんな死ぬさ〜って煙草吸いながら猫にご飯をあげる。


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