人生を楽しみながら、最期を考える
私「明日、オッペンハイマーって、映画を観に行ってくる」
夫「それって、ハイジの意地悪なおばさん?」
それ、
「ロッテンマイヤーですから」
と、いう夫を持つはしです。
(挨拶文を楽しもう!に参加しています)
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先日、夫と死について話しました。
死について話すことは、今を楽しく生きることにつながるという話です。
「もし、自分が死んだら連絡してほしい人はだれ?」
知人が亡くなり、知人との思い出を夫と話していた。
その話から、「もし、自分が死んだら・・・」
夫の職場の人のこと、夫が知らせたい友人、所有物の処理(おびただしい数のバイク用品)についてと話が広がった。
お互いに必要な連絡先は確認しておいた。
厚生労働省の人生会議という取り組みをご存じですか。
日本では死について話すことをタブー視する傾向が少なからずあるように思います。
曾野綾子著 『納得して死ぬという人間の務めについて』の中でも死についての日本について触れている。
厚生労働省の『人生会議』は、主に病気になった時の医療ケアなどについて、家族や医療者と共有しましょうということがメインとなっています。
どのように過ごしたいのか、どこに居たいのか、どこでどんな最期を迎えたいのか。
とても大切な時間だと思います。
考えはじめが、病気がきっかけだと、体調が悪くて、自分がしたいことができなかったり、会いたい人に会えなかったりします。
元気なうちから、もっと広い意味での人生会議ができるといいなあと思っています。
自分自身と向き合ったり、家族と話をしたりできるとよりいいのではないかと思います。
そして、どんな死を迎えたいのか考えると、それまでどんな風に過ごしたいのかと考えます。
自分らしく過ごしたいって、具体的にどのような状態をいうのか。
それは、遠い将来でなくても、明日はこうして過ごそうという、短期の目標でもいいのかもしれないです。
私たち家族は、いつ死ぬか分からないから今を楽しもうと話しています。
行きたいコンサートがあったら思い切って行ってみよう。
試してみたいことがあったら、やっておこうというように。
延命治療についても、夫やまだ元気ですが父とも話をしています。
それぞれに考えがあって、聞いてみないと分からないものだと思いました。
緊急時、本人の意志が確認できない状況の時には、家族に判断を委ねられます。
家族でこのような話をしておくと、「話し合ったときに、こう考えていた」と、判断材料にもなります。
年齢を重ねたり、仕事などの節目を迎えたり、病気になったりで、その時その時で考えも変わります。
考えって変わるものです。
考え、話すこと、家族と思いを共有しておくことが大切です。
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