くすか

40代独身。ヒマを持て余して。いつか寿命が尽きるときをシミュレーション中。 明るい死生…

くすか

40代独身。ヒマを持て余して。いつか寿命が尽きるときをシミュレーション中。 明るい死生観と生活感を綴る。

最近の記事

父の死 17回忌を越えて その3

前回から、だいぶ日があいてしまった。 その間に、お世話になった方が亡くなったり、バタバタした年末年始、そして新たな家族の問題が起き・・・父の死について振り返るのをやめてしまった。 がしかし、やはり腰を落ち着けて、きちんと締めくくろうと思う。 2005年9月の良く晴れた日、国立国際医療センターから、姉あてに電話がかかってきた。「父の容体が悪化した」と。 もともと見舞いに行く予定で、駅に向かっていた道中だった。 父が末期の食道がんと診断されてから、父に残された時間が長くないだろ

    • 父の死 17回忌を越えて その2

      前回からの続き。 父は余命3ヶ月程度と言われ、そのまま大学病院に入院していた。 しかしある日、主治医から連絡があり、大事な話があると言われた。 その日の夜、仕事を終えて病院に駆けつけると、すっかり呼吸が苦しくなった父は、不織布マスクを着けていた。 聞けば父は結核を併発したというのだ。 「結核?昭和初期を描いたドラマや映画に出てくるアレ・・・?」というくらいピンと来なかった。当の父も事の重大さに気づいていない様子だったが、主治医はかなり迷惑そうな顔をしていた。 結核菌が体の中

      • 父の死 17回忌を越えて その1

        平成18年9月に父が亡くなった。 私が死というものを意識したのは、間違いなく父の病と闘病と死を経た頃からだ。 最も身近な最も影響を受けた人の死はやはり、人生において大きな意味を持つと思う。 父はお坊ちゃんだった。国家公務員の祖父、地方の名家の娘だった祖母の間に、高齢になってから生まれた5人兄弟の末っ子だったので、本当に甘やかされてきたらしい。何浪かして大学に入り、今でいう非正規雇用で保険会社で働き、気ままに外交員をして、母と知り合い、当時、専業主婦が主流だった時代に、結婚し

        • 怒りのゼロエミッション

          最近、めっきり怒っていない。 最後に怒りに震え、怒髪冠を衝いたのは、いつだっけ。 職場の上司の頓珍漢な発言や、目的がハッキリしない仕事も減ってないし、無意味極まりない業務に、一瞬イラっとすることはあっても、机を叩いて抗議の意思を示したくなる程では無い。リモートワークだから、恥ずかしがることなく、机を叩いても良いというのにだ。 友だちのデリカシーの無い発言や、後輩の無礼、先輩の理不尽さにも、ブチ切れることは無い。 「あ~イラっとするな。でもまぁ、この程度なら良しとしよう」みた

        父の死 17回忌を越えて その3

          若者との悩ましい関係と中年の術

          最近の目下の悩みは、若者とコミュニケーションが取れないことだ。 連絡事項をLINEで送るが、全く返信が無い。 返事が無いのはいい。もう慣れた。 既読スルーされた状態で、別の用事を穏やかな口語調でLINEを送るも、キレたと思われて、やたらとかしこまった丁寧且つ謝罪風の返事が来る。 連絡できず申し訳ございません。ご迷惑をお掛けして・・・の類だ。 この時点で、LINEの画面上では、私は若者に怒っているクソBBAという構図ができる。全く怒っていないのに。 字面、活字とは恐ろしきなり

          若者との悩ましい関係と中年の術

          お年寄り図鑑。我はどう老いるか

          腰が痛い。30代に入った頃から、腰痛持ちだ。 座り過ぎると、運動し過ぎると、神輿を担ぐと腰が痛くなる。 年に数回整形外科に行き、ボルタレンや湿布を貰って、痛みを止め、また次の痛みが来るまでやり過ごすというのが、ここ10年の定番だ。 久々に整形外科に行った。レントゲンを撮って、診察を受けて、たっぷり3週間分の薬をもらった。 平日午前中の整形外科は、高齢者の占有地帯だ。四十路なんてまだまだひよっこだ。総勢15名程度の日本の栄枯盛衰を生き延びてきた方々が鎮座していた。 ここで流

          お年寄り図鑑。我はどう老いるか

          秋風の中の世界平和。万灯が目に染みる

          10月12日、日蓮宗総本山池上本門寺で御会式の万灯行列が行われた。 秋の夜長、さわやかで少し肌寒い風が吹く中、華やかな法要に参加した。 御会式とは、日蓮聖人の命日にちなんで行われる法要だが、亡くなられた秋に桜が咲いたという逸話から、桜を模した花飾りが施された万灯を運び、笛や太鼓、纏を振って、本門寺を目指し、手を合わせるという行事だ。 正統な仏教行事だが、参加している団体は、実は仏教に関連しない団体も多い。神道の祭の団体、新興宗教、町内の団体など様々だ。もちろん熱心な仏教徒も

          秋風の中の世界平和。万灯が目に染みる

          女の友情について考える。あいつ今何してる。

          何度もネタにしているが、引っ越しをした。 洋服を捨て、本を売りに出し、部屋の目につくところに置いてあった謎の荷物も出来る限り処分した。昔のクレジットカートの約款、古い保険証券、干支を1周以上回っている年賀状・・・何度か引っ越しをしたけど、その度に捨てずに残り続けた思い出の残骸たち。 10代・20代からの個人情報が含まれるので、手動のシュレッダーまで買って、残骸を木っ端みじんに切り刻んで捨てた。 しかし、どうしても捨てられなかったのが、写真だ。 今はスマホ、少し前はガラケーや

          女の友情について考える。あいつ今何してる。

          食欲の秋はつらいよ

          人間の三大欲求、睡眠欲・性欲・食欲。 私はいずれの欲求も上手く満たせていない。 睡眠は年々浅くなっている。就寝後に一度はトイレに起きてしまう。 性欲は一人でどうにも出来ないし、最近では欲求そのものが起きない。 これはやはり、順調に老い衰え、死に向かって歩を進めているからだろう。 しかし、食欲はある。三大欲求のうち、私の中に唯一残された欲求だ。 日々確かな食欲が湧いてくる。 朝は空腹で起きるし、昼は遅めの時間に猛烈な食欲が湧く。そして満たされた直後に、次の食事は何を食べようか

          食欲の秋はつらいよ

          しみじみ・・・ゴミとともに暮らしていると思う

          引っ越し作業が大詰めを迎えた。 不要な物を売ったり、捨てたりを繰り返した。 一度でケリをつけられるほど、潔い人間ではないので、何度も何度も持っている物と向き合った。オーディションのように、段々と数を減らしていった。その度に少し感傷的になり、体の一部が削られるような気持になった。 大体の人はオーディションされる側に感情移入するが、今回ばかりは、落とす側の気持ちになった。J.Y.Parkって凄いな。人の人生を左右したり、人を選ぶことで、これから先のエンターテインメントを創り出して

          しみじみ・・・ゴミとともに暮らしていると思う

          記憶の扉が開いたとき。許せない奴をどうするか

          先日ドラマを観ていて、中学生時代にした少々辛い経験を思い出した。 私はごく普通の公立中学校に通い、割と友達が多く、クラスでも中心の2,3個隣くらいの位置に居るタイプの人間だった。ポジティブで、はっきりしているチャキチャキした性格だったので、陽キャだったと思う。 何がきっかけか、何の心当たりもないが、ある時から、同じ学年の男子から、一方的に蹴られるなどの暴力を振るわれ始めた。学年の中心的な男子2,3名から蹴られていた。学校の廊下ですれ違ったり、階段で出くわすと、何が気に食わ

          記憶の扉が開いたとき。許せない奴をどうするか

          旅支度と六文銭

          夏の旅行に行った。 行先は伊東。伊東は近くの観光地、熱海・箱根・伊豆より格段に寂れている。駅前は小ざっぱりしていて、商店街もシャッターを下ろしたままの店が多い。プールや大きな温泉を目的とした子連れや、3世代と思われる大所帯の観光客も多いが、駅前の落ち着き具合と同様に、酸いも甘いも嚙み分けた年齢層の客が多い。どこを切り取っても、騒がしくなくて、私にはちょうど良い。 私は旅行が好きだが、旅行そのものよりも、下手をしたら旅行の準備の方が好きだ。着替え、アメニティ、本、お菓子・・・

          旅支度と六文銭

          保険見直しのド頭で受けたショック・・・

          保険の見直しをすることにした。 日本にはそれなりにキチンとした社会保障制度があり、いざとなっても医療に辿り着ける素晴らしい国だということは、なんとなく知っている。年金、生活保護、高額療養費制度などが頭に浮かぶ。世界屈指の長寿大国だ。 10代の頃に親が加入し、社会人になってから約20年、自分で保険料を払い続け、一度も保険金を受け取ることなく、健康に生きてきた。現時点では、無駄金だったと言える。 しかし30代後半から、腰が痛い、肩が上がらない、寝つきが悪い、トイレが近い・・・など

          保険見直しのド頭で受けたショック・・・

          断捨離しきれない。何故なら、生きることへの執着と生活が続くから・・・

          引越をきっかけに、色んなものに向き合うことが増えた。 今は、家の中にあるあらゆる澱を押し流している。太り過ぎて着られなくなった、かつての一張羅を捨てたり、プレイヤーさえも持っていないCD・DVD・MDの数々、発売当時は話題になったが、今では違法スレスレな根性論が書かれたカタカナ語だらけのビジネス書、買った記憶もない小物類をブックオフに出したり、ゴミに出したりしている。 捨てるという行為は、やはりスッキリするし、達成感も与えてくれる。 いつか、捨てたことを後悔する日も来るのだけ

          断捨離しきれない。何故なら、生きることへの執着と生活が続くから・・・

          家探し。それは、永遠に続く戦い

          賃貸住宅に一人暮らしをし続けて約15年。 4回引っ越した。 東京・東京・大阪・東京。 一度転勤のために大阪に住んだが、あとは都内で暮らしている。 今の家に明確に不満がある。家の目の前の通りは狭い一本道なのに、朝からトラック・ゴミ収集車が頻繁に通る。それだけではなく、荷物の積み下ろしが行われ、作業音、話し声が、1年365日朝6時から鳴り響く。 引っ越してすぐは気にしていなかったし、会社に出勤していた頃は、目覚ましとして一役買っていた。しかし、コロナでリモートワーク中心になった

          家探し。それは、永遠に続く戦い

          結婚しないの?という愚問にどう答えるか・・・

          40代独身。選んだ独身生活だし、たぶんこれからも余程結婚したくならない限り、結婚はしないだろう。 それが不幸なのか、幸福なのかは、私次第だ。他人様には関係ないはずだ。 独身者が日常的に受ける、余計なお世話ナンバー1は、「結婚しないの?」「(身近にいる独身を指して)あの人はどう?」である。 これは本当に、余計なお世話の極みだ。かれこれ15年以上、この手の余計なお世話ハラスメントを受け続けてきている。 時代がどんなに多様性を叫ぼうとも、3組に1組が離婚する時代であっても、余計な

          結婚しないの?という愚問にどう答えるか・・・