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俺の親父の話し その① 【#笑顔STA日記部】

※この話は過去に書いたものです!!



俺はものごころついた頃から、いわゆるばあちゃん子だった。


いちよう、両親と弟の4人家族で親父の都合?ちょっとよく解らないけど、俺は幼い頃から転々と引っ越しを繰り返していた。


親父は、滅多に家に帰ってこない。だから、正直感覚は親父って感じではなく近所のおじさんみたいな感じだった。


そんな親父が、ある日幼い俺のためにチャーハンを作ってくれた。そのチャーハンの味は俺が一生忘れられない味になった。



とにかく旨かった。母ちゃんの味とも又、違ってて俺の大好きだったばあちゃんの味とも又、違う不思議な味。最初で最後の親父の手作りの味だった。


いまだにあの味のチャーハンを口にしたことが無ければ、自分で作ってもあの味は出ない。


何度か挑戦したが、何かが違う。


ある日、俺と弟と親父の3人で家にいた日の事、弟はまだオムツをしててどうもう○ちを漏らしたようで、気持ち悪かったのか様子がおかしかった。


すると弟は、寝ている親父の顔をまたいでオムツを外し出した。



俺はヤバイ😱と思ったが時既に遅し、親父の顔にう○ちがべっとり、それも鼻直撃。



「あっ、くっさーううぇい」と言って飛び起きて風呂場へダッシュ。



俺は一人で爆笑してた。


「あーもう何するんや」と笑いながら戻ってきて、笑ってる俺を見て一緒に笑ってた。


そして、又、ある日親父が突然帰ってきて、小学生の俺とまだ幼稚園児の弟に「明日、東京に🐼パンダ見に行こう!」と言う。


そう、その頃初めて東京の上野動物園にパンダがやって来た時の事だった。



俺たち兄弟は大喜びして、パンダを連呼していた。
ただ、母ちゃんは知らん顔していた。



そして翌日、初めて🚄新幹線に乗り親子4人で初めての東京に向かった。


新幹線の中では、弟と二人笑顔ではしゃいでた。途中で富士山を初めて見て、又、大はしゃぎ。


そして東京に着いて、親父が手を繋ぐ。「いいか、東京はな凄い所でな、人がいっぱいいるんだぞ!知らない人に付いて行っちゃダメだぞ!この手離しちゃダメだぞ」そう言って弟と俺の手をしっかり握って歩き始めた。


確かに、人がいっぱいいて、次に乗った電車も人がいっぱいだった。



そして遂に念願の上野動物園に着いた。


その時、ふと俺は気づいた。


俺はこの人を一度も、お父さんとか父ちゃんとか呼んだことがなかった。



何て呼べば良いのか解らず俺は、「おじさん」と呼んでいた。


これは何時からかはっきり解らないけど気づいたらそう呼んでいた。


「ねえ、おじさんパンダはどこ?」と俺が言うと「H、パンダはな、向こうの方にいるんだよ、ああ、人がいっぱい並んでるあの向こうにいるよ」と優しく教えてくれた。



しばらく並んで、やっと初めてパンダを見た。ちょっと遠くてあまり良く見えなかったけどあの、白と黒の独特な出で立ちは紛れもなくパンダだった。


人混みの中で俺と弟は、満面の笑顔で喜びを表し、「おじさん、どっちがランランでどっちがカンカン?」と聞くと「うんーどっちかなー」と親父も解って無かった。


そんな、わずかなパンダとのふれ合いも終わり、他の動物も見て、その日は大きなビルで泊まった。


その時は理解出来て無かったが、俺たち関西に住んでいて、東京まで行ったのでその大きなビルは、おそらくホテルだったと思う。


広い部屋だったのを覚えている。


その日はおそらく、生まれて初めての遠出で疲れていたのか知らないうちに眠ってた。


気づいたら朝になっていて、周りを見渡しても、既に親父はいなかった。


「母ちゃん、おじさんは?」と聞くと「おじさんは仕事に行ったよ」と答えた。


そして俺たちは、母ちゃんと弟と3人で東京を後にした。


このイベントは親父から貰った最大で最初で最後のイベントだったと思う。


その後、親父に会ったのはそれから3年後の俺が小学校4年になる頃。


その頃俺は、親父の実家の近くに引っ越す事になり、初めて転校生になった。



長いblog最後までお付き合い、ありがとーございます。続きは又、書きますね!!


ヨロシクお願いします。😅


つづく



【笑顔STA日記部】


笑顔!!


STA!!












by
Merryhiro




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