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俺の親父の話し その⑤ 【#笑顔STA日記部】

※この話は過去に書いたものです!!




そして俺は、約束の場所に約束の時間にやって来た。親父に会う為に。


親父もその為に来てくれた。


そこはとある、某ホテルのロビーの結構高級な喫茶店だ。


親父が先にその喫茶店にいて、俺が入って行くとすぐ気付いてくれて、手招きしてくれた。


親父が座ってたテーブルの向かえに俺はゆっくり座った。


「hiro、久しぶりだなぁ!元気だったか?もうすっかり大人だな!」と笑顔で言う。


続けて「もう、幾つになった?」と聞いて来た。
「えっ、もう21になったよ!」と投げ捨てるように言った。


そしていろいろ、近況を聞き親父の事もいろいろ語ってくれた。


そして、俺が幼い頃から迷惑を掛けてきた事、母ちゃんにもじいちゃんにも迷惑を掛けてきた事、全てギャンブルにはまってそうなった事、全てを話し深く謝ってくれた。


そして、自分でしてしまった事とはいえ親父自信も、俺達兄弟に会えない事が一番辛かったと、初めて言ってくれた。


俺はしばらく、何も言えなかった。


と同時に何故か泣きそうになった。


でも、そこはぐっと切り替えて俺は親父に言った。
「もう、俺達が苦労した事はもういい、それなりに生きて来たから、今さら恨んでもしょうがないし、ただ母ちゃんの事はちゃんとしてほしい?」と言うと


「それは、慰謝料の事か?その事はお前達には関係ない、母さんとオレの二人の事だ。」と言われた。
これも想定内の事で、俺は驚かずに「あっ、そう」と言って次の話題に入った。


「じゃあ、俺達の養育費はどうなってんの?」と聞くともう解っていたらしく
「今日は、その話しがしたかったんやな?」と優しい笑顔で言って来た。


「その、養育費はちゃんと払うから心配するな!!ほんまはオレが先に動かんなあかん事やったな、わざわざ悪かったな」と又、親父は謝った。


「よし、まとまったお金用意するからお前達兄弟分の、hiroの口座教えてくれるか?そこに振り込んどくから」と言ったが俺は金に対する親父の事が信用出来なかった。


だから、俺は親父に言った。


「又、ここに現金で持って来て欲しい」と。
親父は快諾した。


そして次に会う日と時間を約束し俺はこの日、親父と別れた。


その数日後、又、同じホテルのロビーの喫茶店で親父と会った。


今度は俺が先に来ていた。


俺が先に座ってたテーブルに来た親父はゆっくり座って、紙袋の包みを俺の方にそっと置いた。


そして「ここに現金が入ってるから、これで今までの事を許して貰おうとは思ってない、これがオレの精一杯や」そう言うとその現金が入ってる紙袋を俺の方にすっとずらした。



俺は又、しばらく言葉を失った。


本当に現金を用意するとは思いもよらずそれも結構な塊だった。


しばらくして、俺は一言「ありがとう」と言って、もう冷めたコーヒーを一気に飲み干した。


そして親父は、もう近いうちに東京に引っ越す事を伝えて来た。


この時に親父の仕事の事を知ったのだが、どうやら貿易関係の仕事をしているらしい。


その関係で、海外主に東南アジア系に行くことがよくあり、国内でも転勤が多かったらしい。


それは俺が小学校4年の時に転校した頃からそうらしい。


そんな話しも聞いて俺は、その現金が入ってる紙袋を持って帰りを急いだ。



電車で来てたので又、電車で帰るのだがその現金が入ってる紙袋を抱えた俺はドキドキしてた。



結局、その日が親父と会うのは最後になった事をその時は知らず、それは又しばらくしてから解る事になるのだった。


そして、その時の現金で家を建てた。


勿論足りない分は、親子3人で協力した。


その新しい家に、あの恋ばなに出てくるMとYが同棲した、Mの部屋が出来る。


MとYの楽しい時も過ごし、それからYとも切ない別れをし、しばらく誰とも付き合うこと無く一人でいたがYと別れた2年後に新しい彼女が出来た。


後にその彼女と結婚し、1年後に娘が生まれた。
俺も遂に親父となった。


それから約15年続いた結婚生活は終わった。
この事は又、改めて気が向いたら書くことにします。



バツイチになった俺は結婚生活をしていたマンションを出て、実家近くの狭いマンションで一人暮らしをしていた。


その4年後に俺は、高齢になった母親が住む実家に帰った。さすがに高齢になった母親一人は可愛そうなので俺は家に戻った。


弟一家も近くに住んでいた。


たまには、娘も遊びに来るようになった。
そんなある日、電話のベルが鳴った。たまたま、その電話に俺が出た。


親父の再婚相手のおばさんから初めての電話だった。


俺は驚いて話を聞いた。


その内容は衝撃的だった。


昨日、親父が天国に旅立った事を伝えて来た。


胃癌だった。


そして、親父が闘病中には俺達に連絡をしないようにおばさんは、口止めされていて家の電話番号も知らなかったらしい。


親父が亡くなった病室で、荷物を片付けていた時に、幼い俺達兄弟の写真とその裏に家の電話番号が書いてあったので電話してきたとの事だった。


とりあえず、葬儀の日取り等話してくれた。


俺は、弟に連絡してから葬儀に行くかどうか返事する事にした。


でもこの時、俺の中では行かないと決めていた。


その事を弟に伝えると、弟も驚いていたが俺が葬儀に行かない事を理由も交えて伝えると、弟も納得し行かない事になった。


行かない理由は、向こうの親戚や親父の知り合い等がおそらく、参列すると思ったので、そういう意味で迷惑を掛けられないと考え、葬儀に行くのは断った。


この事に関して、母親は何も言わずただ「そうか、亡くなったか?」と呟くだけだった。


この時、少しバタバタしたが、その夜弟が家に来て俺の顔を見るなり号泣してた。


俺は、不思議な事に悲しいとか寂しいとかホントに親父が亡くなったって言う実感がなく、ただ呆然としてた。


弟が帰って、夜眠れずにいた俺はぼんやり親父の事を考えていたら、何故か涙が溢れてきた。


決して多くはない親父との想い出を思い出しながら何故か、そんなに悲しい訳では無かったが、涙が溢れてきて止まらなかった。


翌朝、俺は親父の再婚相手のおばさんに行かない事を連絡した。


その時、俺は一つだけ聞きたい事がありそのおばさんに聞いた。


「親父は、病気の事全て知っていましたか?」
おばさんは「知ってましたよ」と答えた。


この事を聞いた俺は、親父の大きな覚悟を思い知った。そう、もう俺達には迷惑を掛けないという。


そして何時か、墓参りは行こうと決めてたのでその時は又、連絡することを伝えた。


親父が亡くなってからもう、8年の時が過ぎ、東京に親父の墓がある事も知っていたが、未だに墓参りに行っていない。


俺も親父になり、親父の事色々考えてやっと親父の気持ちも少しは解る気がするこの頃です。


今、母親も高齢になって来てるし、ただ大きな病気は無いのが救いだけど、そんなのは何時起こるか解らない。


でも今、俺達家族は一緒には居ないけどそれぞれの家で楽しく、笑顔で過ごしている。


親父とも色々あったけど、やっぱり俺の親父は、貴方だけです。


近いうちに、必ず会いに行きます、笑顔でね。
親父、待ってて下さい。


結局、俺は親父の事を親父とか、父さんとかそう言う呼び方は最後まで出来なかった。



その事は謝ります、ごめんね親父!!


それと、俺が親父の事を書いたりするのはこのブログが初めての事です。


小学校の作文とかでも、書いた事が無いし、話題にした事もない。


でも、このブログでこうして書いてみて本当に良かったと思う。


こんな俺の親父の話しでした。



拙い長文、最後までお付き合いありがとーございました。




終わり 




【笑顔STA日記部】








笑顔!!

STA!!










by
Merryhiro

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