僕がどのように歩んできたのか(幼少期)
初めまして、花咲 徳太郎です🌷
本気で文章を書くこと自体、
小学校の読書感想文を書いた以来のような
気がします。。笑
拙い文章かもしれませんが、そこに僕なりの熱い「想い」を込めて、
書いております。そこに嘘、偽りはありません。
温かい心で何か一つでも受け取ってくださると嬉しい限りです。
また少しでも共鳴される方が現れることを心より願っております。
【幼少期の経験】
時は遡りますが、僕は小学5年生の時、
同じ市内で転校をした際、転校先で衝撃的ないじめに遭いました。
正直、自分がいじめに遭うなど1ミリも想像しておりませんでした。
というのも転校前は自分で言うのもなんですが、
いわゆる「クラスの人気者」だと思っていたからです。
今振り返ってみると、この慢心こそが、
すでに現象を作り出していたのだと、思いますが、、、笑
元々人見知りしない性格もあって、転校するやいなや、
一人ずつ積極的に話しかけ、冗談を言って笑わせたり、
好きになってもらおうと、その場に馴染もうと必死でした。
(転校自体、当然初めてだったので焦っていたのだと思います。。)
最初は話しかけてくれるクラスメイトもいたりして、良かったのですが、
2ヶ月過ぎた頃、クラスのボス的な男の子に「プロレスやろうぜ!」と
言われ、まあ遊びだしいっか。。という軽い気持ちでその言葉に乗りました。
始めようと思った矢先、クラスのボスだけだと思っていたのが、
いつの間にか手下みたいなクラスメート3人も「参加するわ!」と
馬乗りになってきて、ボスも含めその全員が敵になりました。
一瞬何が何だかわかりませんでしたが、周りの悲鳴ではなく、
歓声を聞いた瞬間、「あっ、僕は嫌われてるのか」とそこで気づきました。
それからというもの、いじめの代名詞といわれることが、
面白いぐらいに自分の身に降りかかってきます。
教科書は隠されるは、クラス中の人から無視されるは、
当然暴力的なことも続きました。。
この時に僕は、ただただみんなと仲良くなりたいのに、なんでこんな悲しいことが起きてしまうんだろう。。。と今見える世界に絶望したのです。
心にぽっかりと穴が空いたように、自分はどうしてここにいるんだろうと
涙が溢れてきました。
そこから僕は親にも相談できなかったので、毎日ひたすら自分の内側にある本当の自分と対話を続けました。
「本当にこのままでいいの?」
良いわけがない。
「何も行動しないまま、自分を偽っていくの?」
いやだ。
「みんなと仲良くなるためにはどうしたらいいと思う?」
それはわからないよ。。
数えきれないほど、自問自答を繰り返した中で、
僕は気が付かないうちに、本来人間が持っているものが、
自分にはなくなってしまっていることに気づきました。
それは「勇気」です。
「恐れ」や「不安」で頭の中が満たされてしまい、
逃げること、なるべく自分を出さないよう知らず知らずの内に、
大切なものに制御をかけていたんです。
このままじゃだめだ!
僕は意を決して、クラスのボスを呼び出し、
自分の思いの丈をぶつけました。
そして自分より体が大きい相手に、
残りわずかだった勇気を振り絞って、
立ち向かっていきました。
この時の不思議な感覚は今でも鮮明に覚えています。
心の中で決めた瞬間、体が同時に動いていたのです。
掴みかかって、思っていた言葉をぶつけ、
喧嘩と呼ばれるものをそこで初めてしました。
その時にまた一つ不思議な感覚を味わったのです。
相手の心と自分の心が初めて交わり、熱いコーヒーにミルクを入れ、渦巻いているかようにわだかまりが溶けていく。
もう大丈夫だという安心感にも似たものでした。
喧嘩が終わった後、ボスから「やるじゃん。」
ぼそっと言われ、さっきの感覚は間違いじゃなかったんだと再確認しました。
その後、嘘のような本当の話で少年漫画のストーリーのように、
僕らは友達になり、いじめは完全になくなりました。
信じられないほど、嬉しい出来事でした。
目の前の真っ白だったキャンバスに、
改めて色が塗られた感覚でした。
【Noteを通じて伝えたいこと】
これから、同じ悩みで苦しんでたり、日常にある不安を感じている方に向けて、少しでも肩の重さが軽くなったり、ホッとできる環境を一緒に作っていきたいと本気で考えています。
なぜなら、僕自身、本当に困っている時、苦しんでいる時に周りに相談できる相手がいなかったことがあり、それによって強烈な孤独感を味わったことがあるからです。相談できる相手が一人もいないことは実に寂しいことです。
何かにすがりつくような気持ちで、片っ端から本を読み漁ってた時に、
「本来、人は幸せになる為に生まれてきたんだよ。」
というフレーズと出会いました。
当時の僕はこの言葉を聞いた時、心から理解できませんでした。
それほど世界や周りの環境、何より自分自身に対して、目を背けることに慣れてしまっていたのです。
でもちょっとした気づきで、世界を180度変えることができることを
僕は実体験をもとに知っています。
そして今はそのフレーズが理解できます。
かっこ悪くても、人から笑われようとも、
真面目に人生をより良くしたいと思っている人は、必ず救いの手が現れる。
それが自分自身からなのか友人なのか、親なのかわかりません。
僕はそれをただただ信じています。
長くなりましたが、最後に。
いじめてたボスに仲良くなった後に、聞いたことがあります。
「あの時なんでいじめてきたん?」
「はっきりとは覚えてないけど、どんな反応するかと思って。すまん!」
おいっ!。。(笑)と思いながらも、まあそんなもんなのかとも思いました。今になっては良い思い出です。
「辛いことも乗り越えたあとは、必ず笑い話になります。」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回も書いていきますので、良かったら読んでください。
どんどん幸せになる為の本質に触れていきます。
よろしくお願いします。
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