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夢を文章にする、比類なき正確さで

これから語るマクドナルドについては、マクドナルドと言っても、あのファストフード店のピエロではない。
ジョージ・マクドナルド。19世紀後半に活躍した、ファンタジー文学の草分けとも言える作家だ。代表作は『リリス』、『北風のうしろの国』『かるいお姫さま』などなど。『王女とゴブリンの物語』が少年トールキンを夢中にさせたことは有名な逸話であるし、C.S.ルイスも彼の思想に心酔していたそうな。また、ルイス・キャロルに『アリス』の出版を勧めたのも彼である。
自身が上質な作家ながら、他の作家への影響力もはかりしれないものだったのだ。

今日は、先日の『リリス』に続き、『北風のうしろの国』について話したい。

(というか、『リリス』についてはほぼ、数年前に書いたもののコピペであるので、マクドナルドに対して新鮮に語るのは実に久々だ。)

まず述べたいのは、これが実に上質な、しかし観念的、感覚的な物語であり、長編の詩のようであり、あらすじを書けと言われると困ってしまう、読書感想文には不向きな本であるということだ。事実、いまこの本の魅力を紹介しようとしていて、本当に困っている。

パッと思いついたキャッチフレーズを書くと、『イギリス版星の王子さま』(この際、どちらが先に書かれたかというのは無粋な疑問である)。
ただし、どちらの本の魅力も、そのページ、その世界の中に収まっているからこそ魅力的なのであって、わたしという実体のある人間が鉱山のように触れ切り出そうとすると、すぐにするりとすり抜けてしまい、残るのは陳腐な言葉ばかりとなってしまう。
(だからわたしは、どんなジャンルにおいても『名言集』といった類の書籍が苦手である。その前後の文脈を知らずして抜き取った言葉に何の価値があろう!)(平和的過激派)

つまり、まさに夢物語なのである。わたしは割と明晰な夢を見る方ではないかと思うのだが、それでも朝起きて思い出そうとすると、手から砂がこぼれ落ちていくように、夢はサラサラと消えていってしまう。

余談だが最近また悪夢は『金魚×引っ越し』。インスタの金魚友だち数人が助けに駆けつけてくれるも、あまりに大量な玉サバの群れに圧倒されるというものであった。どんどん水槽が大きくなりしかも増殖していくと気づいた時点で夢と悟るべきであった……ちなみにわたし、玉サバを飼ったことすらない。選別が怖いので、金魚の繁殖は一生できないだろう。

閑話休題、『北風のうしろの国』は夢と現実の交錯を比類なき正確さで描いた物語なのである。
もちろんダイアモンド少年が健気に家計を支える場面、その知性がすぐれた人々に認められて家族や友人もろとも良い環境に引き上げられる現実的おとぎ話の要素も多分に含んではいるが、主題はそのダイアモンド少年の知性、夢を繊細に感受するちからなのである。
作中でダイアモンド少年は現実的な人々からしばしば夢に囚われたおバカさん呼ばわりをされるが、この現実的というのが実は貧困や生活苦からやってくるものであり、その中にあってこそ高貴なものは、夢見る心なのだ、という描かれ方をしている。

つまり、現実の中での夢というものの扱い、そして夢自体の現実世界における儚さについて、もっとも現実的に、詳細に描かれた物語が、この『北風のうしろの国』(総ページ数460頁/太平出版社版)なのである。

なお、現在入手できるなかでは岩波少年文庫版が安心信頼の脇明子訳である。
最後も余談で締めるが、これ、訳すの難しそうというか、忍耐力が必要だろうなあああああやりたいけど絶対やりたくない!!!

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