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読書のためには1分1秒でも惜しい

ずっと発売日を待っていた「百冊で耕す」を昨日から読み始めました。
楽しみにしていた本って買ってすぐはドキドキして読めないんですよね…。私だけでしょうか笑


「百冊で耕す」には前身となる「三行で撃つ」という作品があります。
朝日新聞名物・名文記者の近藤康太郎さんが「書く」ということについて語っている著作。書くことに関する本は、ビジネス書でもトレンドで数多くあると思いますが、新聞記者さんの本ということもあり、小手先のテクニックではなく、書くことに対する考え方から鍛えてくれるような本です。


簡単に言うと、結構厳しい。
「百冊で耕す」は「三行で撃つ」に呼応する「読み方」の本。
早く読みたいけど怖いなぁと、厳しい先生のいる教室に何となく行きづらいみたいな雰囲気でなかなか読めていませんでした笑

そんなこんなで発売日、から数日たった昨日。
ついに手に取ったのですが、4分の1くらい読んで、怖くなってしまったんです。
いや、私時間あるのに全然読書してないじゃん…。
人生の時間が無駄になってる…。

そうなると周りに積んでる読みかけが気になって気になって。
結局「百冊で耕す」はいったん置いて、30分おきごとに本を変えながら数冊読み進めました。
かばんに入れっぱなしにしてぞわぞわ読み進めていたホラー小説も読み終えることができて満足。(本筋とは離れますがめちゃくちゃおもしろいのでリンク貼ります

さて、「百冊で耕す」は実はまだ読み終えていないのですが、「批判して読む」という節に惹かれたのでそこだけでも触れておきます。

その名の通り、批判的にテキストを読んでいくこと、「ほんとうの「論破力」とは」何かが論じられています。
そこで繰り返し語られているのは、ある主張に何かの作品が利用されるとき、しかし実際にその著作にあたると必ずしも主張が一致しないことがある、ということでした。
批判するためには、実物を読まなければ話にならないのです。

批判的に読むというのは、なにも、非難することではない、あらを探して読むことではない。相手を言い負かすためのテクニック、はやりの「論破力」とはもっとも遠い。批判、クリティークとは、むしろ「自己吟味」だ(柄谷行人『トランスクリティーク』)。

「百冊で耕す」近藤康太郎

Twitterをしていると、おそらく元ツイや元記事を読んでいないと思われる批判が流れてくることが少なくありません。
しかし原典にあたらなければ「批判」にすらなりえないのです。

Twitterは140文字しかないのでそもそも議論に向かない媒体だとは思いますが、批判の在り方は見直されてほしいなと1ユーザーから願います。

「百冊で耕す」はまだまだ刺激的な内容が続いていて、「読み方」の本のはずなのにめちゃくちゃ劇物で、「三行で撃つ」よりも相当刺激的です。
引き続き読んでいきたいと思います!

ここまで読んでくださってありがとうございます。


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