ブロッコリーの栽培・神戸のいじめに思う。

 あれからしばらくここから離れていました。

 22年3ヶ月務めた役所を辞めたあと、あれこれ色々どうしようかと考えていました。嫁に行った妹夫婦から、「もしやるのやったら、ブロッコリーの作り方を教えるよ。」と言われ、タネを受けるところからはじめ、今、田んぼに苗を移植して育ててます。
 うつ病での療養が長かったせいで、体力の衰えばあまりに歴然。むかし、役所が休みの土日に軽々としていたことも、今ではかなり苦痛になってしまってるのを感じます。

 が、それを差し引いても、やっぱり自分には百姓が向いてるなぁと感じます。まず何より、自分のペースでことが進むことが大きな魅力。そしてストレスフリーであること。また他人に忖度する必要が一切ないこと。精神の疲労はいつまでも取れないけど、肉体の疲労は適切な生活でしっかりコントロールできるのがうれしいです。しかも百姓仕事は精神にもいいのか、過去16年間服用してきた薬が効きすぎてしまってる気がします。今度医者に行ったら、軽いのに変えてもらおうかと思ってます。

 しかし神戸の小学校での教師間のいじめ事件、怒りをとおり越して、もう脱力感がしてます。たとえ子どもであってもいじめは許されないと思ってますが、あれ見てると、くだんのいじめ教師たち、ただの奇態に興ずる子どもたち以下のレベルの大人たちです。下手したら、小学生の方が「うちの学校の先生、おかしい。」と、お父さんお母さんや近所のおじさんおばさんに言ってなんとかしようとするレベルです。パワハラを経験しうつ病を患い、結局職場を去ることにはなった、そのぼくから見ても、あまりにひどすぎます。

 人間が普段の生活の中でおかしくなること、特に下位の人たちに残虐になる例として、イェール大学で行われた「ミルグラム実験」があります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93
 ぼくなりに定義すると、閉鎖空間・権威主義的環境に置かれた人は、いとも簡単に権威になびき、自分の倫理観など乾いた枯れ葉のように風で飛んでしまうような存在になるということ。
 これを考えたときに、それが成り立つためのさらなる条件があるように思います。


1. 閉鎖空間から出られないこと。
  その空間から出ることで村八分にされる恐怖、あるいは閉鎖空間外の世界に恐怖を感じている場合には、閉鎖空間外に出るという選択を取れません。この実験の場合、白衣を着た医師という権威者が立ちはだかってます。また、くだんの教師たちも公務員という立場を捨てることへの恐怖・家族を養うためや住宅ローンといった経済的利益を失うことになる辞職という選択を取るよりは、目の前のいじめに参画した方がデメリットが少ないという判断があったはずです。

2.権威主義的環境
  上位者への絶対服従を旨とする環境です。典型的なのは軍隊(自衛隊もそうでしょう)、官僚組織、もっと言えばあらゆる非民主的組織がそれに当たるでしょう。
  軍隊内でのいじめというのは、旧帝国陸海軍では言うに及ばず、今の自衛隊しかり、また各国の軍隊での大きな頭痛の種となっていると聞きます。上官の命令に名を借りたいじめというのは、権力乱用への魔性ともいうべき現象です。また、閉鎖空間とも関係しますが、外に逃げられない、あるいは逃げようとする人を臆病者・裏切り者呼ばわりすることで結束を高め、内的権威への服従をますます強めるという悪循環も惹起させます。

 思うに、学校というところはこの二つが見事に揃っている環境です。今でこそ校区外の学校への転入・転出は自由になってますが、その昔は自分が生まれた場所の校区にしか行く学校が認められていませんでした。また、学校の規律に従えない子どもたち・言われたことができない児童生徒は、物笑いにされても仕方ないという環境でもあります。

 今回の事件で、公務員組織としての教師集団もその例に漏れないことを僕らはありありと見た気がします。その行き着く先は、あまりにグロテスクな風景です。

 どうすれば、このようなことにならずに済むのか。また現実に何をすればいいのか。加害者とされる人への厳罰と被害者の方への救済がなされることは当然のこととして、世の中全体でそんな愚かなことがなくなるためにどうすればいいのか、考える価値は十分ある気がします。

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