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バスティーユ監獄襲撃 事件のその日国王は熟睡していた

前回の続きです。

さて、特権身分の命令によって、財務大臣だったネッケルは解任されました。

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このネッケルという男は大臣の中で唯一の第三身分だったので、第三身分は落胆しました。

ネッケルは大変な人気がありましたので(政治家としては無能でしたが、人気取りにかけては上手だった)ネッケル解任は国民の怒りになりました。

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7月12日、パリのカフェドフォアにいたカミーユ=デムーランはそこから出てきたかと思うとパレ=ロワイヤルの中央広場の机に立ちこう言いました。

「諸君!武器を取れ!」

この声援にパリ市民は活気づき「武器を取れ」「武器を取れ」と騒ぎ始めました。                                      革命の瞬間です。

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パリ市民たちはすぐさま家から武器(剣や桑)を持ってきて廃兵院を占拠し銃を持ち帰りました。

しかし、銃を持ったところで火薬がない。                       パリ市民たちは火薬を手に入れるため、火薬が沢山あったバスティーユ監獄を襲撃しました。

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しかし、市民たちは火薬がない棒きれを振り回しているだけ。             対して、バスティーユ監獄側は火薬や弾薬が沢山あり籠城して狙撃するだけ。

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バスティーユ監獄側は楽勝、と思いきや市民たちの士気は全く衰えません。

塔の間から打つだけなので市民兵たちはどんどん屍を積み上げていきます。      対してバスティーユ監獄側は死傷者1人。

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なのに式が下がるのはバスティーユ監獄側。               なぜなら、彼らはフランスを守る軍。                          彼らのやっていることは一方的な殺戮なので、良心や誇りに押しつぶされ式が下がってきました。

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どんどん時間がたてばたつほど士気が下がり、遂に(市民たちにとっては)難攻不落だった要塞バスティーユ監獄がたった数時間で落ちました。

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要塞から引きずり出されたド=ローネイ候は激怒状態の市民たちにもみくちゃにされます。                                  彼の強気だったのでしょうか、「ええい、殺せ、いっそ殺したらどうだ」と言いました。

ならお望みどおりにと市民たちに殺され、その首は槍の上にさらされました。

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フランス革命はこの出来事から始まったと言っても過言であありません。     さて、パリが革命騒ぎになっていた頃、ルイ16世は何をしていたかというと・・・・

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その頃、ルイ16世は寝てました。

その日の夜にパリからの急使だったリアンクール公爵が王宮に駆け付けました。

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リアンクール「今すぐ、陛下に会わせてもらいたい」

側近「陛下は御就寝だ。明日にしてもらえよ」

リアンクール「たわけ、それどころではない、直ちに会わせろ」

リアンクール公爵に起こされた、ルイ16世は眠い目をこすりながら下問します。

ルイ16世「この夜遅くに何ようじゃ」

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下問されたリアンクール公爵は事件(バスティーユ監獄襲撃事件)について話しました。

リアンクール「これが、パリの様子です」

ルイ16世「何じゃと、それは暴動ではないか!」

この言葉にリアンクール公爵は項垂れました。

リアンクール「ああ、陛下。これは暴動ではございません」

ルイ16世「暴動ではない?暴動ではないと申すのなら、何なんじゃ」

リアンクール「これは革命でございます」

ルイ16世の無能ぶりを表す例として有名です。

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とりあえず、フランス革命が起こったのは大量の借金があったせいですが、それをより過激にさせたのはルイ16世です。                 ああ、もう少し有能な王様だったら・・・・

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