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#70 ろう者と聴者が一緒に働く職場で気をつけていること(聴者編)

にいまーるでは、ろう者と聴者が一緒に働いています。
NPOとしても障害福祉施設としても新潟県内では珍しい職場だそうです。
「上司がろう者」となるともっと珍しがられるので、普段私たちがどんな働き方をしているのか、ろう者と聴者のそれぞれの視点で書いてみます。
今回は聴者編です。スタッフの毛利さんに書いていただきました。

今回、聾者も聴者も共に働く場所で私が気をつけていることをお話します。

手楽来家は、国が定める障害福祉サービスを提供する公的な就労施設です。
施設を利用する方々は、聴覚障害をベースに様々な障害をお持ちです。また、施設の運営に携わる職員の中にも聴覚障害をお持ちの方々がいます。

この仕事で私が気をつけていることは「見ること見せること」です。より厳密に言えば、「見るようにすること見てもらうようにすること」というほうが正しいかもしれません。

生活していく上で聴覚、視覚、嗅覚、どの感覚にどの程度頼っているかは個人差があるそうです。
手楽来家では、重度の聴覚障害をお持ちの方は聴覚から得る情報は極めて少ないでしょうし、中途難聴の方は、むしろ残された残存聴力を研ぎ澄ませて聴覚情報に頼る割合が高まるかもしれません。
一方、視覚は手楽来家で働くすべての人にとって重要な感覚であることは間違いありません。

「見ること」「見るようにすること」

まずは、「見るようにすること」についてお話します。

仕事中、いま何が起きているのか。
どこに誰がいるのか。何をしているのか。
広い視野をもって、物事の状態や状況の推移、ひいては人の細かな心の動きや表情の変化を見逃さないようにします。

聴者の文化ですと、自分に関係のない第三者の会話や行動に聞き耳を立てたり、割り込むことは、場の空気を乱したり礼儀を欠いたりすることになってしまうかと思います。

ですが、私は手楽来家という職場での一つの工夫として、この文化を意識的に脱するようにしています。

もちろん、他の人の目を避けたい場合や避ける必要がある場合、敢えて誰かの視界に入らない場所に移動したり、周りに人がいないタイミングを狙ったりします。
また、他の人の耳を避けたい場合や避けなければならない内容であれば、声の届かない空間に移動してから話します。

そのためには、常に「見ること」が求められます。
私は、「見る力」は意識したり訓練したりすることで伸ばすことが出来ると考えています。

「見せること」「見てもらうようにすること」

次に、「見てもらうようにすること」です。

声で伝えたことばは消えます。
手話で表したことばも消えます。
私たちが使うことばは、その場で消えてしまいます。
日本語も手話も同様、どちらもコミュニケーションが成立したその時に瞬時に無くなってしまいます

ですから私は、実は日本語にも手話にも頼らない方法にこそ、この職場の環境を整えるヒントが隠されているのでは無いかと感じています。
例えば、それは文字映像イラストです。

この職場で働いている私の立場・役割は通訳者ではないので、聴者の判断をただ聾者に伝えるだけでなく、聾者にも事実から得る感情や判断を作ってもらうことが大事だと考えています。

ポジティブな情報だけでなくネガティブな情報も、ホワイトボードやメモなどを活用して、「今」を共有することは大切な方法です。それに加えて「今」からつながる目に見えない「未来」、今後の展開や予想も見える化する努力をします。

何が起きているのか、私が声や手話で相手に伝えるのではなくて、実際に相手にも見てもらうことが重要です。
写真を撮っておき、それを実際に見てもらうことも効果的な方法の一つだと思います。
写真であれば、事実や状況をありのまま共有することも出来ますし、主体的に判断してもらうことも出来ます。

私は、聾者も聴者も通訳を使わなくても良い環境、通訳を必要としない環境を可能な限り作り出していくことが重要だと考えています。

それぞれが、所属する組織の一員として主体的に自らの力や考えを惜しみなく発揮出来る、そういった自己実現や社会貢献のきっかけを作ること、導くことが大切です。
私自身もその一人として、「見ること」と「見られること」について理解を深めて、体現していきたいと思っています。



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文:毛利真大

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