男子生徒への半裸強制に関する新聞記事(1) ~男性の性的羞恥心を考えるために~

マスキュリズム(男性差別に反対する思想・運動)で取り扱うべき問題はたくさんあります。男性の性的羞恥心が軽視あるいは無視されてしまう問題も、その中に含まれ、かなり重要な問題の1つでしょう。
20年の時を経てようやく日本語に翻訳された、ワレン・ファレル氏の名著『男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』においては、あらゆる男性差別の実態が、膨大なデータとともに明るみに出されています。ただし、男性の性的羞恥心の問題に関しての言及がみられない点だけは、僕としては残念に思えました。(あるいは、翻訳に際して省略されたいくつかの章に言及があったのでしょうか) 
男性の性的羞恥心の問題、あるいは、男性裸身のことに関しては、國友万裕氏が、著書『マッチョになりたい!?』や連載『男は痛い!』の中で多く言及され、考察を深めておられます。國友さん自身、中学生の頃に性的羞恥心を踏みにじられて、心に傷を負うという経験をされました。だからこそ、この問題に取り組むことになったのでしょう。そして、そこに到までにはトラウマとの壮絶な闘いがあったことが予測され、僕は敬意を表するところです。今後、男性の性的羞恥心の問題についての研究が、より多くの人の手によって行われ、必要に応じて社会を変化させていくことになればと願っています。
この note では、今回の記事と次回更新する記事において、表題の通り〈 男子生徒への半裸強制 〉の問題を取り上げます。具体的には、〈体育授業あるいは体育祭において、男子生徒が上半身裸になることを強いられた〉という事実を報じた新聞記事を紹介します。もちろん、僕自身の考えも書かせていただくつもりですが、一番大切なことは、紹介した記事をもとに読者の皆さんそれぞれに考えを深めてもらうことです。フラットな気持ちで、各人において記事を咀嚼していただければ幸いです。まず、問題について知って欲しい。考えてみて欲しい。そういう願いを込めて、記事を世に送ります。
では、今回の本論に入ります。ご紹介するのは、2001年(平成13年)の1月に新聞で報じられた2つの記事です。両記事とも、中学校が舞台となります。(余談ですが、2001年1月といえば筆者は中学1年生でした。記事の内容の当事者たちは、ほぼ僕と同い年の人たちということですね)

記事A:体操着忘れた罰、上半身裸で授業 
(毎日新聞,2001年1月20日付朝刊,地方版(福島),25面)
相馬市の市立中学校で今月16日、男性教諭(42)が、体操着を持って来なかった生徒数人に対し、罰として上半身裸で体育の授業を受けさせていたことが分かった。同市教委は「詳細な事実を確認し、二度とこうしたことがないよう指導したい」と話している。
市教委によると、この教諭は、同校の体育館内で行ったバスケットボールの試合形式の授業で、3年生1人、2年生7~8人の各男子生徒に上半身裸で参加するよう指示した。同校は、バスケットボールの授業は半そでの体操着で受けることにしているが、この生徒らは長そでの体操着しか持って来ていなかった。同市は16日、最高気温が1・7度と冷え込んだ。

毎日新聞,2001年1月20日付朝刊,地方版(福島),25面

記事B:“裸”で体育 連載『少年スポーツの行方』の第3部『体力がない』の第8回(熊本日日新聞,2001年1月30日付朝刊,14面)
※ 学校名,校長名,教諭名については、元記事では明記されていますが、ここでは伏せておきます。
**中学校(****校長、246人)は十七年前から、真冬でも男子は上半身裸、女子も半そでという“裸体育”を続けている。「暑さ寒さに耐えるたくましい体づくり」を狙ったユニークな取り組みは、心身の鍛錬を重視したハードな授業だ。
「体力に自信がないと、社会に出てスポーツから遠ざかってしまう。豊かなスポーツライフを送る土台を思春期のうちに培ってやりたい」。体育主任の****教諭(35)は指導方針を説明する。同校では、中学生で最も発達すると言われる心肺機能などを可能な限り高めるため、授業の初めの十分間を「基礎体力づくり」にあてる。
短い時間だが、運動量の多さには驚かされる。前期(4~9月)は、もも上げなど短距離走のフォーム練習。水泳はウオーミングアップ代わりに四百メートルを泳ぐ。後期(10~3月)もうんてい、腹筋などのサーキットトレーニングに始まり、全員が自己記録更新を目指して持久走(千五百メートル)に挑む。
体力向上は数字からも明らかだ。平成十一年度は、三年生男子の持久走の平均記録が、県平均を10秒以上上回る6分4秒8。「入学当初は県平均と変わらない。だが、三年間ではるかに引き離している。水泳の中体連郡市大会総合十五連覇、県中学駅伝男女2位など部活動の活躍にも、成果が出ている」と**教諭。
毎時間のきつい授業は「運動嫌いを生むのでは」という疑問もわく。だが、持久走では先にゴールした子が遅い子の伴走につき、「あとちょっと。頑張れ」と励ます。「速い子が休まず応援に回る。そのきつさが伝わるから、遅い子も限界に挑戦する意欲がわく。一人で走る劣等感を与えないことで、運動嫌いをつくらないようにしている」
過去十五年間の卒業生に実施した追跡調査(回答約三百人)では、六一・二%が「体育の授業がためになった」、七二%が「持久走は今後も続けるべき」とこたえた。**校長(60)は「実績があり、保護者や地域住民が趣旨に賛同してくれるから、裸体育を長年続けることができる」と胸を張る。
中学校の体育は今、球技などの選択制授業が主流。生涯スポーツにつなげようと、生徒の興味、関心や運動を楽しむことを重視しているからだ。しかし、**教諭は「楽しいばかりがスポーツの魅力ではない。体を鍛えるという考え方が、軽視されているのではないか」と疑問を投げかける。
親が雨の日の通学に車で送迎したり、欲しい物はすぐに買い与える-。**教諭には、今の子どもは何不自由なく生き過ぎている、と映る。「大人になれば挫折はたくさんある。中学時代に、あえて『きつさ』という壁を設定したのは、困難に立ち向かい、それを乗り越える達成感を味わってほしいから。体力と同時に、たくましく生きる力を身に付けられるのが、体育だと思う」

熊本日日新聞,2001年1月30日付朝刊,14面

記事Aも記事Bもほぼ同時期(新聞掲載は10日違い)のものであり、
 ・ 「2001年1月」に
 ・ 「公立中学校」で
 ・ 「男子生徒」が
 ・ 「体育の授業」で
 ・ 「強制的に上半身裸」となっている
という点で一致しています。
一方、異なる点もいくつかあります。
第1に、継続性があるかないか。記事A(福島)の方は、報じられた1月16日に限ったことと思われます。それに対して、記事B(熊本)の方は、17年間にわたって季節を問わず継続されています。体育の授業は当時の標準時数に従えば、週に3回あります。年間では105回になります。
第2に、対象が限定的かどうか。記事A(福島)の方は、すべての生徒ではなく体操着を忘れた生徒だけが対象となりました。記事B(熊本)の方は、すべての男子生徒が対象となっているようです。
第3に、どんな目的なのか。記事A(福島)の方は、〈 懲罰 〉を目的として、生徒を上半身裸にしています。記事B(熊本)の方は、〈 鍛錬 〉を目的として、生徒を上半身裸にしています。
そして、記事がこの事実をどのようなニュアンスから報じているかという点においても、記事Aと記事Bは対極にあります。記事A(福島)の方は、教諭の行為を問題視しています。市教委も再発防止を掲げ、「あってはならないこと」としてとらえています。記事B(熊本)の方は、この学校の17年間にわたる“裸体育”の取り組みをかなり好意的に取り上げています。
この違いはいったい何なのでしょうか。
もちろん、記事Aが〈毎日新聞〉の記事であり、記事Bが〈熊本日日新聞〉の記事であるということも考慮には入れておく必要があるでしょう。新聞社にはそれぞれのスタンスというものがあるので、同じニュースでも取り上げ方が異なるというのはごく普通のことです。ただ、僕としてはそれだけの理由では無いと思っています。
もし、「男子生徒を強制的に上半身裸にさせるのは問題」というのであれば、記事A(福島)も記事B(熊本)も問題になるはずです。実際、僕はどちらも問題視しています。むしろ、先述した〈継続性〉や〈対象の限定性〉の点からすれば、記事B(熊本)の方がより問題視されるべきなのかもしれません。
でも、そこに〈目的〉の観点が入ってくると、話が大きく違ってくるのだと思います。記事A(福島)と記事B(熊本)のニュアンスが対極であるのも、新聞社のスタンスだけでなく、先述した〈目的〉の違いが大きく影響しているのではないかと僕は感じました。
すなわち、「男子生徒を、懲罰目的で、強制的に上半身裸にさせる」のは許されないけれども、「男子生徒を、鍛錬目的で、強制的に上半身裸にさせる」のは許されるというのが、現代の日本社会なんだろうなあと思うのです。
〈目的〉次第で、許されたり許されなかったりするのですね。要は、懲罰とかわいせつ目的であれば許されない行為でも、それが、鍛錬とか伝統を守るとかの目的であれば許されてしまうということです。僕は、どうしても納得がいきません。目的が違ったとしても、現実に発生する状況は同じなのですから。この場合は、もちろん、上半身裸での体育授業です。記事A(福島)の学校でも、記事B(熊本)の学校でも、男子生徒が強制的に上半身裸で体育授業を受けたのです。その点では違いはありません。
何より問題なのは、公立中学校での出来事だということです。定められた学区の生徒たちが通ってくる学校です。別にその学校を自らの意思で選択したわけではありません。そういう場(意思に関わらず所属している場)において、強制的に上半身裸にさせることが一番の問題 だと僕は思います。なぜなら、避けようがありませんから。それはあまりにも酷な運命を突き付けているということです。
生きていれば苦しいことだってたくさんあります。時には、甘んじてその現実を受け入れなければならないことだってあるでしょう。でも、わざわざ酷な運命を増やす必要はないはずです。それに、少し工夫すれば消える苦しみなら消してしまった方がいいと思うのですが、どうでしょう。
裸になりたい人が裸になるのは、別に構わないのです。ただ、「裸になりたくない人は裸にならずに済む」 ということをきちんと保障して欲しい。僕が言いたいのはそういうことです。
「男は上半身裸になったって恥ずかしくない」というのは、〈決めつけ〉です。裸になるのが恥ずかしいというのは、(もちろん個人差は大きいですが)男性もまた自然に抱く感情です。人前で裸体をさらすことに強い抵抗をもつ男性だって、世の中には存在するのだということを、もっともっと知って欲しいと僕は強く思います。
最後に、問題を投げかけて今回の記事を終えます。
 
《 Question 》 仮に、以下のような状況があったとして、あなたはどう感じますか?それは何故ですか?
 
[1] 女子更衣室は設置されているが、男子更衣室は無い(学校,職場等)。
[2] 体育の授業の前の更衣を、「女子は教室,男子は廊下」で行う(学校)。
[3] 健康診断の際、男子は上半身裸で屋外のレントゲン車まで移動(学校,職場等)。
[4] ある公立中学校では、体育祭の騎馬戦や組体操に、男子生徒全員が上半身裸で参加する。
[5] ある集落では、16歳~22歳の男性は、「大晦日の夜に全裸で集落を走り禊ぎを行う」という祭りに参加しなければならない。
[6] ある温泉旅館では、女湯から男湯の中を公然と覗くことができる。
[7] 災害発生時の避難所で、女子更衣室や女性専用スペース等は設けられたが、男子更衣室や男性専用スペースは設けられなかった。
 
この問いかけには、唯一絶対の正解があるわけではありません。僕としては、どれも男性の性的羞恥心を軽視・無視しており、問題があると考えています。〈 男性差別 〉に該当し、可能な是正策をとることが望ましいと考えます。ちなみに、一応「仮に」としましたが、どれもこの日本という国で現実に起こった話です。
さて、この記事が、読者の皆様が考えを深めるきっかけとなれたのならば、嬉しく思います。

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