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【読書記録】目の見えない人は世界をどう見ているのか

おすすめ度 ★★★★☆

ヨシタケシンスケさんの「みえるとか、みえないとか」という絵本がある。
とても深いテーマを、可愛くさり気なく伝えてくれる素敵な本だ。
この絵本の監修にあたった方の本、ということで読んだら、良い意味で裏切られた。

福祉というより、生物学的

まず本の冒頭に、大好きな福岡伸一さんの言葉があったのでテンションがあがった。
実は、著者の伊藤亜紗さんは元々生物学専攻。
この本の視点も、生物学的だ。福岡伸一的な生物オタクっぽさを感じる。

序章で著者の来歴や本への想いが説明されていて、40ページ以上あるのだけど、しっかり読み応えがあり、序章だけで目からウロコが3枚くらい落ちる。

自分とは違う生き物に「変身」したい、という生物オタク的願望をもって、視覚障害者にロックオンし、対談を重ねながら彼らの世界を分析する。
そこには「助けてあげよう」とか「すっごい特殊能力を見つけたい」みたいな想いはなく、対等で、かつ差異を面白がる態度がある。

福祉的な視点で読み始めた読者(私)は、序章でそれを脱ぎ捨てることができる。
まっさらの好奇心で、異世界を楽しめる。

目をつぶっても、見えない世界は見えない

「見えない体に変身するには、目をつぶればいい」というのは大きな誤解だと著者は言う。
見える人が目をつぶった状態と視覚障害の違いの例えが秀逸だ。

それはいわば、四本脚の椅子と三本足の椅子の違いのようなものです。もともと足が四本ある椅子から一本取ってしまったら、その椅子は傾いてしまいます。壊れた、不完全な椅子です。でも、そもそも三本の足で立っている椅子もある。足の配置を変えれば、三本でも立てるのです。

序章 見えない世界を見る方法

見えない世界を見るとは、欠如ではなく、別のバランスで世界を感じてみることだと言う。
3本足の椅子は、壊れても不完全でもない。世界の捉え方が違うだけ。
とても素敵。

見えるはずの人が、見えていない

例えば、富士山のイメージを比較してみると

見えない人にとっての富士山は「上がちょっと欠けた円すい形」をしています。いや実際に、富士山は上がちょっと欠けた円すい形をしているのですが、見える人は大抵そのように捉えていないはずです。

本ではイラスト付きで紹介されているが、見える人がイメージする富士山は、「上がちょっと欠けた三角形」だろう。平面的なのだ。

見えるはずの私達が、立体を平面として見ている。
絵本や写真で見てきた文化的なフィルターを通して見ていることに気づく。
他にも富士山の例から色んな発見があるのだけど、書ききれない。

私達が「見ている」と思っているものが、実は見えていなかったり、見ているからこそ死角があったり、あれ?見えるって何?目から情報が入ること?脳が情報を認識すること?あれ?じゃあ目じゃなくてもいい?
考えたこともない考えが頭を飛び交う。

海外にいったときに、異文化に驚いて常識がひっくり返るような感覚。

「特別視」でも「対等」でもない関係

本は、空間・感覚・運動・言葉・ユーモア、の5章で構成されている。
どれも面白くて、何度もハッとさせられる。

「運動」ではブラインドサッカー、「言葉」では美術館のソーシャルビューについて詳しく説明されている。どれも、名前を知っている程度で勝手なイメージを持っていた。

視覚は生活の全てで使うものだから、失ったらどれだけ大変だろう、あれもできないしこれもできない。そして、できないはずなのにできる人たちは、きっと凄まじい努力の果てに超人的な能力を身につけたんだろう。

そういう思いこみが、ハラハラと剥がれていくのを感じた。

「見えていることが優れているという先入観を覆して、見えないことが優れているというような意味が固定してしまったら、それはまた一つの独善的な価値観を産むことになりかねない。そうではなく、お互いが影響したい、関係が揺れ動く、そういう状況を作りたかったんです」
「特別視」ではなく、「対等な関係」ですらなく「揺れ動く関係」

第4章 言葉

1冊読み通すと、自分の中で何かが変わったような、一皮むけたような気持ちになる。だけど、完全に考えを改められたわけではないとも思う。

視覚障害にかぎらず、障害は本人ではなく社会の方にある、という考えは以前から持っていたけれど、自分の中にも様々な障害(バリア)があったことを考えさせられる。
今はまだ、うまく言語化できないけれど、自分の障害に気づき、取り払うきっかけをもらった気がしている。

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