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【読んだ】彼女は一人で歩くのか?

おすすめ度 ★★★★☆

森博嗣さんの小説を読んだのは15年ぶりくらい。
理系の友人に勧められて「すべてがFになる」を読んだ。細かいところは忘れたが、当時はSEだったから、なるほど、それが「F」なのか!と興奮した記憶がある。面白かった。
(ただ殺人事件の描写が怖くて、しばらくはトイレに行くのも怖かった)


近未来の研究者が主人公。星新一のSFに理系要素を足しまくった感じ。というと、両方のファンに怒られそうだけど。
タイトルのセンスがいいのも似ている。

ストーリーを通して無機質でひんやりした流れが感じられる。
主人公の一人称で展開されているので、心理描写(というより思考描写)も多いのだけど、とても頭のいい人なので「うん、わかる〜共感〜」という温さはない。
「お、おお?ちょっと何言ってるかわからんけど、かっこええな」的な気持ちで読む。森博嗣さんも工学博士だし、こんな人なんだろうか。


人工知能を有した自律型のロボット・ウォーカロン(Walk Alone)に、人工細胞の技術が加わることでさらに進化する。
つまり、人工知能が人工細胞の頭脳にインストールされ、肉体も人間と同じ有機細胞。新陳代謝もするし、感情もある。
一方で人間の肉体もまた、人工細胞によって移植可能になり、すべての部位が代替可能になった。寿命も半永久的に長くなった。
限りなく人間に近づいたウォーカロンと、限りなくウォーカロンに近づいた人間はほとんど見分けがつかなくなっている。

何をもって人間なのか。生死の境界は何なのか。生命とはなんなのか。
小説の舞台では、それは語り尽くされたとされているが、語り尽くされただけで解決したわけではない。
見ないふりをしてきた歪みが、いくつもの事件となって現れていく。

徹底して理論的で工学的な説明の中に、どうしようもない人間っぽさ、幼稚さのようなものが垣間見えて、物語を重層的にしているところが、面白い。

例えば、初期のウォーカロンは知能が高すぎて人間らしくなかった。それをカバーするために、遅延回路を組み込んで、適度に迷い、軽微な失敗をするようにプログラミングされている。わかっていて馬鹿なふりをする。

「なぜ、人間に近づけなければならなかったのですか?」マナミは質問した。当然の疑問だろう。
「どうしてだろうね…それは、今でも解決を見ない問題の一つだ。人間以上のものは存在してはならない、という簡単な言葉に集約される。しかしそんな話をしたら、人間より力の強いもの、正確に早く計算するもの、人間よりも友好的で悪事を働かないもの、人間よりもエネルギィ効率が良くて、社会に対する貢献度が高いもの、いくらでも存在するんだ。(中略)
宗教的な問題だといい出す連中が今でもいる。神に対する冒瀆だとかね、今まで冒瀆の限りを尽くしてきたのに、今さらだよね」

「冒瀆の限りを尽くしてきた」
主人公はウォーカロン誕生以降の状況を指して言っているのかもしれない。
でも、今でも当てはまる部分はある。
人間が自分たちのために、自然を搾取し、組み替えてきて豊かさと貧しさを作ってきたことは「冒瀆の限り」に入るだろう。


世の中というのは緩やかに変わっていくものだから、小説に描かれるような世界もありえないとは言い切れない。
寿命が半永久的になったら。なのに人口が減少していく世界になったら。人間はどうなるんだろう?

見た目の若さを永遠に保てるようになったら、化粧品業界はどうなるのか。モデルやスポーツ選手など、見た目の美しさや強さの価値はどうなるのか。
頭の良さはどう測るのか、学校教育は存在しなくなるのか。(この世界にはほとんど子どもが存在しない)
うーん、わからん。

わからんまま議論することを諦めて、きっと変容を受け入れるんだろうな。
だって世界を保つにはウォーカロンを受け入れるしかないんだから。
自分を保つには人工細胞を使うのが当たり前なんだから。

あ、怖いなこれ。本当に起こりそう。
SF的な未来の話だけど、もはや荒唐無稽ではない。ChatGPTや培養肉の技術は、小説の方向に向かっている。

あぁ、これはもうちょっと考えたい。シリーズ物なので、また続きを読むことにしよう。


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