【読んだ】ものがわかるということ
おすすめ度 ★★★☆☆
友人が貸してくれた本。
新しい主張や結論があるというよりは、養老孟司さんがこれまで考えてきたことを噛み砕いた、エッセイのような作品。
*
「ものがわかるとはなんなのか」というのは第一章で、それぞれ章ごとにテーマが違う。
どこか繋がってそうだけど、本人も書いてるように「理論や論理がすっと通っているわけではない」文章なので、あちこち考えが飛ぶ。
それを楽しむ本なのかも。
ちょいちょい話が飛躍する
【第二章 「自分がわかる」のウソ】は、自分とは探すものではなく創るものだという話。
そもそも自他を区別し、固定化する西洋的自我は日本に馴染んでない、日本語は主語がなくてもいけちゃうけど英語は無理なのも、その表れらしい。
なるほど。
しかし、時々論理の飛躍や拡大が見られる。
たとえば「心には個性がない、個性があるのは身体だ」という主張はこう。
心には共通性がある、つまり私だけの心なんてものはない。心は共通で、個性なんて無い。個性があるのは身体のほうだ。大谷選手を見ても、大谷選手の身体を真似することはできないから、というもの。
なんで共通性があったら「共通で個性はない」になるんや。
大谷選手の身体になれないとなんで「身体が個性」なんだ。
わからん。
ああすればこうなる、に慣れすぎると
現代社会は、「ああすればこうなるはず」に慣れすぎていて、それ以外を排除したがる傾向にあるという。
コントロールできないもの、合理的でないものを疎んじた結果、都市化が進み、情報化が進んだ。
これは、実感として理解できる。
私もずっと仕事の世界では、効率化し、コントロールするのが好きだった。自分なりのセオリーを作って、考えて計画して実行して、上手くいった時の喜び。
ああすれば、こうなる!
子どもを産んで、それが全く通じない世界を知った。
ああすればこうなるなんて、ない。理不尽。理不尽の塊。
理不尽をこねくり回して可愛い形にしたものが赤ちゃんです、状態。
仕事復帰した時、「話が通じるってすばらしい…」と感動した。
子どもは「ああすればこうなる」世界と全く異なる。合理性がない。
不合理を受入れられない社会が少子化するのは当たり前だと、著者は言う。
そうかもしれない。
この前読んだ「三千円の使い方」という小説にも、「子どもを生む理由がわからない、合理的じゃない」といった若者にお祖母さんがいうセリフがあった。
「あなたのご両親が費用対効果を考えたら、あなたなんてここにはいなかった」
効率化大好きマンなので、今の社会が悪だとは思わないけど、弊害があることは間違いないだろう。
思い通りにいかないことを受入れられず、不寛容になっている例はいくらでも思い浮かぶ。
結論は、虫採り行こうぜ
養老さんの結論をざっくりいうと、もっと田舎に行って体動かして虫でも捕まえようぜ、ということ。(超ざっくりです)
無駄な時間
非効率的な行為
対人ではない関係
頭でっかちではなく、全身を使って、そういうものを体験して、変化する自分を受け入れればいい。
そうすることで何が変わる?という考えも「ああすればこうなる」やで。
そんなこと考えずに、とりあえず行動してみい。
効率大好き頭でっかち引きこもりの私も、一冊を通してあっちいったりこっちいったりしていると、「そういうもんかな」と思えてくるから不思議だ。
散歩でもいこ。
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