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矢来公園の300円

小学3年生の頃、新宿の神楽坂という所に住んでいた。自宅近くの矢来公園で遊んでいたら、知らないおじさんに駅までの道を訪ねられたので教えた。おじさんはお礼だと言って300円を手渡そうとするので、断ると手に強引に握らされた。
当時の300円は自分にとっては大金で、家に持って帰るのが怖くなり、矢来公園の花壇に埋めたまま忘れてしまい、そのまま引っ越した。

都内に向かう電車の中で夫が話す思い出話である。

私はいつものように適当に聞き流すので、案の定「またそうやって興味のない話には適当な相づちだね」と小言を言われる。
興味がないわけではない。
本当は夫が神楽坂に住んでいた事に驚き、神楽坂に人が住むような隙間があることに違和感を覚えていた。東北地方出身の私からしてみれば、神楽坂はあの坂がおしゃれで粋で、生活の臭いなど1ミリたりとも感じさせないキラキラした場所という印象が強い。
思い出話しの経緯は、神楽坂の近くで夫の所用があり、その帰りに矢来公園が近いから久しぶりに行きたいと言い出した、ただそれだけのことである。

神楽坂の坂の上、大木に囲まれてひっそりとたたずんでいる印象の矢来公園は、ブランコと鉄棒がある小さな公園だった。
久しぶりに訪れた公園に夫は嬉しさを隠せない様子で鉄棒で一回りし、パトロールするかのように公園を大きく一周する。
夫は完全に小学3年生に戻ってしまった。
気分が小学3年生の夫は花壇を指さし、「このあたりに300円を埋めた」と訴える。しかし、見るからに栄養満点の土がパンジーやビオラに寄り添うように整備された美しい花壇を「よし、掘ろう!」という気にはなれない。
硬貨が土に帰るはずもないし、年月の中で偶然誰かに見つかっている可能性も否めない。
私は相変わらず適当な返事をし、「ブランコにでも腰かけて帰ろう」と帰路をせかした。
しかし、夫は目を皿のようにして花壇の隅々を捜索をやめない。
言うことを聞かない夫にしびれをきたした私は、時間をもて余し1人ブランコに腰かける。
座面が低くて膝が「く」の字に屈曲過ぎるので漕ぎづらい。居心地が悪くイライラしながら顔を上げると、木々の間から目線の高さに青空が広がっていた。
神楽坂の坂の上にある矢来公園は坂を上がった分だけ空を近く感じるステキな公園だった。
息を切らした甲斐があったなという気持ちが溢れ、イライラの空気はスッーと透き通る。
ふと、うつむいた次の瞬間の光景に私の口角はキュッと上がる。私の目に映ったもの、それは砂にまみれた100円硬貨3枚だった。視界に飛び込んできたくすんだ銀色の粒を再確認するために、私は前かがみになり目をこらす。

「300円、あるじゃん」
私はさほど驚きもせず呟いた。

拾いあげ、付いている砂を擦り落とすとハッキリと硬貨の表面に100の文字が浮かび上がる。

私はクイッと顔を上げ、静かな公園の空気を一瞬で裂く大声で、うん十年前、花壇に300円を埋めた小学3年生の男の子に向かって叫んだ。

「300円、ここにあるよ!!!」

3枚まとめて夫の手のひらに返す。私は口角を更に上げ私まで小学3年生に戻った気持ちになりそうな興奮を抑え、改めて300円を人差し指でツンとつつく。

「あったよ300円、良かったね。」と、もう一度300円をつつくと、夫はしきりに私の演出ではないかと疑う。しかし、残念ながら私にそんな計らいができる器量などない。

私は夫のまんまるの目と肉厚の立派な手を見て実感する。
呆然と300円を握りしめる夫は間違なく小学生の頃に、ここで人助けをしたのだ。いい加減な相づちを打った事を少しだけ反省する。
今日のところは「時空を越えて300円が戻ってきた。」ということにしてもらえないだろうかと見えないものに祈る。

小学生だった夫を想像することは私には難題だが、矢来公園とこの300円がチラリと夫の少年時代をぞかせてくれたようで楽しい寄り道であった。

拾った300円は盛り上がる気持ちをグッとこらえて、近くの交番に届けたが、パトロール中のパネルが立て掛けられていた。
仕方ないので、コンビニでアイスクリームを買い、残ったお金はレジの隣に置いてあった募金箱に入れることにした。
神楽坂を下りながら無表情でアイスクリームを頬張る夫の影に、あの日の小学3年生の影が重なる。
影は嬉しそうに揺れているように見えた。