四年ぶりの実家。やっぱり会うと違う母。
旅行記はまだまだ続く。まだまだ書ける。
金沢から実家に帰った。2019年の夏、コロナ禍でロックダウンになる直前にムスコを連れて、彼の高校卒業旅行として東京には寄らず、地元近辺だけで過ごして以来。
駅に着く。帰省すると必ず会う小学6年生以来の友人が、車で迎えにきてくれた。助手席に乗り込み、私はいつもの調子でわーわーと話し始める。
「どっか喫茶店行こう。どこがいいかなぁ」と彼女は考えている。
ところが。
「あのさ、考えてたとこ、どこも結構狭くて静かなんだよね….」
「あはははは。私、声が大きすぎるんでしょ」
「うち、でもいい?」
「もちろん!」
声が大きすぎて、喫茶店に連れていけない友人、な私。笑。
以前、建築事務所で設計していた彼女は、文系仲間の中で唯一の理系でちょっと雰囲気が違う。こういうことを、まるで私自身が嫌味に感じることなしにさらっと言えるところがとてもいい、と思う。
15時頃着いてから、ずーっとおしゃべりして、夕食に間に合うように実家に送ってもらったのが18時ごろのこと。彼女とはまた日を変えて会う約束をしてある。
82歳の母は、私がコロナ禍をきっかけに髪をグレイヘアのまま伸ばしたように、染めるのをやめていた。
88歳の父は、コロナ禍と猛暑のせいで外出することが少なくなり、一気に老化が進んだと母が言っていたが、確かに畳に座って立ち上がるときにちょとよろよろしていたし、耳が遠いのもあって忘れっぽくなっていたけど、ボケてるのとはちょっと違うと思う。
母は、父の「ボケ具合」とか「身体の弱り具合」とか「言っても聞かないし無視する」とか、私に愚痴った。愚痴るっていうよりも、正確には私に客観的に観察してもらいたい、という意図で。考えてみれば、そんなことを言える頼める相手は娘の私くらいしかいないわけだ。
さて。
東京と金沢の後だったから私には土産話がたくさんあって、そして金沢よりももうちょっと地方な地元で、私は相変わらず笑いっぱなしだった。
父も母も、私が笑い転げている理由がわからないものの、私があんまり楽しそうだから呆れながらもつられて笑っている。刺激のない二人の生活に、台風のような娘が現れて、彼らの生活が晴れの日の暴風雨にさらされている感じ。
日本はとにかく「教育」っていうか「皆さん、学びましょう」っていうムードがあちこちにある。蕎麦屋で、こんな教科書みたいなチラシがメニューと一緒にあるなんて、アメリカじゃ考えられないですってば。このひげにんにく食べないとだめじゃん?みたいに思ってしまう。
天ぷらは食べなかったけれど、ひげにんにくのパウダーが胡椒みたいな瓶に入っていて、それをめんつゆに振り入れてみた。美味しい。
試食できるというのがまず素晴らしく、もちろんお勘定のとこで買うことができるのよ!笑。
マンハッタンにも美味しいと思える蕎麦屋があってよく行くけれど、やっぱり蕎麦はこの店でしか食べちゃいけないって思った。コシとツルツル感が只者じゃない。
そして。ラーメン!!
実家の近くにある。年配の夫婦が二人でやっている店。両親がココのラーメンしか食べないというラーメン屋。4年前にムスコと二人で帰省した時も食べたラーメン。両親はここの常連だし、どうも背の高いハーフのムスコを連れてきた私、のこともおカミさんは憶えている様子。
残念ながら餃子はない。ラーメンもこのラーメンと、チャーシューメンと、もう一つあったかな。それに小さなチャーシュー丼みたいなのをつけられる。
アメリカ人はラーメンが異常に好きだから、マンハッタンにもうちの近所にもラーメン屋は相当数あるのだが、ギトギトの豚骨スープばかりで、さらっと鶏ガラスープ系ラーメンを探すのは難しい。ようやく見つけたとしても、それが「美味しい」かというのはまた別の問題である。なんか違う。
店内には3人くらい座れるカウンターの他、窓に向かった4人がけの席と、6人がけのテーブルが2つ。6人がけのテーブルに3人で座る。そのうちどんどんお店は混んできて、ちょっと気が引けたのだけど「相席はしないのよ」と母。よくわからない。
ラーメンが来て、私は愉悦私悦快楽享楽の極みに突入した。
これが、ラーメン!これが、正しいラーメン!これが、私の好きな、ラーメン!
ラーメンといえども、「優雅」をキーワードにじっくりと味わう。
まずそのままで食べてから、胡椒をかけろ、と母に言われる。そうなんだよ、この胡椒!GABAN ! この胡椒欲しい。絶対に買って帰るぅぅ。
食べ終わって、お勘定。私が払うって言うのに、母は財布を取り出す。
店を出る前に、おカミさんにまっすぐに向き合い、直角に身体を折り深く頭をさげて、
「ラーメンというのは、こういうものでなければなりません。まさにこれがラーメンです。素晴らしいです。また春に来ます」
と挨拶すると、オヤジがキッチンから、店中の客が振り返って私を見て、笑っていたらしい。あとで、母が笑いながら父に話していた。
母とのこと。
母とうまくいくかわからなかったから、今回は五泊のみ。結論からいうと、ちょっと物足りないくらいで、ちょうどよかった。
わかったのは、あの年代はどんなに携帯を使っていても、テキストやチャットでうまくその気持ちや思いを伝えることができてない、ということ。それなのに、母はビデオチャットを嫌がり(老いた顔を見られるのが嫌らしい。呆。それと、画面の中で視線の焦点が定まらないとか)私はほとんど日本に帰らなかったから、しこりは大きくなるばかりだった。
二人で向かい合って座って話す、みたいなことはしなかったけれど、なんとなく本音を言える瞬間があって、お互いにそれを感じて、思いを言葉にして。それで、するっと解決した。
老いた親との間に、しこりなんて、あっちゃいけない。
ラーメンのあと、私がユニクロを見ている間に母は食料品の買い物にいき、三人で近くの和風喫茶店にて合流して、わらび餅を食べた。
父が車をもってくるからここで待ってろと言い、母が歩き去る父の後ろ姿を見ながら「ほら、よたよた、でしょ」などという。
「そんな。本人だって自覚してるんだろうから、傷口に塩塗るようなこと言わないの」
「違うよ、本人は颯爽と歩いてるつもりなのよ」
「…….」
「だから、傷口に塩どころか、辛子も胡椒も合わせて塗っていいの」
と、母は父への愛情たっぷりに笑いながら言う。
その瞬間。「あぁ、胡椒!買うの忘れてた!」
二人で大笑いして、私はスーパーに走った。
母が言っていた。
「よくパパとケンカするんだけどね、でも気づいたのよ。憎んでないの。だから、ケンカして文句言いたいだけ言うと、スッキリするのよ」
つくづくいい夫婦だなぁと思う。
だから。遠くにいても、安心。
そして。これからは半年に一度は様子が見れる。
ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。