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塔の上のラプンツェル ゴーテルという毒親を考察する


塔の上のラプンツェル 超有名なディズニー映画である。

悪い魔女ゴーテルに誘拐され、魔女の子として育てられ塔の上に幽閉されたお姫様が、外の世界へ憧れ羽ばたいていくお話。
正直、プリンセスものってあんまり好きではなくて、ラプンツェルも金曜ロードショーでやってる時にちょろっと見て、やっぱりあんまり好きじゃないな、という薄い印象しかなかった。

最近ディズニー+に入会して、おすすめに出てきたので観たのだけれど、ゴーテルが私の母親に重なって仕方がなかった。
観ていてこれだけ不快になるヴィランもそうそういない。
ディズニーのヴィランって、なんとなく憎めないキャラクターが多い中、このゴーテルは超個人的むなくそofむなくそに、top of むなくそに突如として躍り出た。

私はプリンセスでもなんでもなく、ただの毒親育ちで毒親と絶縁した、ただのどこにでもいる人間だけれども、共感できる部分は多くあり、だからこそやっぱり好きじゃないと思った。
親からの自立や自分の道を進む物語であれば、ズートピアやモアナの方が単純に面白いし楽しめる。
毒親(誘拐犯)からの自立、という裏テーマ?を持つ本作は他にはないかなり尖った作品といえる。
全部のディズニー作品を観たわけじゃないのでなんとも言えないけど。

「ゴーテル 毒親」で検索すると同じ事を思う人も多いようで記事は出てくるのだが、そうそう!それそれ!と思うような考察は出てこなかったので自分も書いてみようと思った。
作品考察というよりは、ゴーテルという毒親をかなり批判的な立場で考察していく。

ゴーテルは800年生き続ける魔女である。
歌を歌うと金色にひかる花を独り占めし、その力で若返りを繰り返していて、その花が瀕死の王妃様の病気を治すために持って行かれてしまうところから物語ははじまる。
花を煎じた薬を飲んだ王妃様から生まれた子どもは花と同じように若返りの力を持つ髪の毛を持った少女だった。
はじめは髪の毛だけ持っていこうとするが、それでは魔法の効果がなくなってしまうため、仕方なく少女ごと誘拐する。

簡単に説明するとこんな感じ。
詳しくはwikiってほしい。
そんなゴーテルをかわいそう、という感想があって驚いた。

①そもそもはゴーテルは奪われたものを取り返しただけで悪くない説
②ラプンツェルに愛情を注ぎ、いい子に育て上げた立派な母親説
③裏切るような形で親密な親子の仲を引き裂いて可哀想説

大まかに分けるとこの3つの説がネット上に散見される。
それぞれを考察していこうと思うのだが、どれもこれも、毒親を知らない幸せな人たちの意見だと私は思ってしまった。
きっとこの人たちはラプンツェルがどんな思いで塔の中に閉じ込められていて、彼女がどれだけ塔の外の世界に出たいのか、話を聞いた上でも「うん、でもお母さんは大切にしなきゃ。話し合ってわかってもらおう」とか言うタイプの人間だと思う。
話し合ってわかりあえるタイプの母親ではないことは確かだ。
そもそも話し合うというフィールドにも上げてもらえず、理不尽な屁理屈にねじ伏せられているのがラプンツェルである。

先に引き合いに出したズートピアのジュディやモアナの両親も、ステレオタイプの両親像を持っているが、彼らは行動でしめしたり、話し合ってわかりあえるタイプの両親だと思う。


①そもそもはゴーテルは奪われたものを取り返しただけで悪くない説


まず①については、毒親云々はあまり関係ないかもしれない。

そもそも花はゴーテルのものではない。
森に生えているもので正直言って誰のものでもない。
もっと言ってしまえば、おそらくあの森は私有地ではなく、国の土地であり、自動的に花も国のものということになる。
ゴーテルの私有地に咲いている花であれば盗まれたと思うのも仕方のないことだが、森の中に自生している植物を所有物化していただけのこと。
例えば、街路樹のイチョウの木を自分の物だと思い込んでいて、それを市の命令で切り倒されたから抗議する、くらいちゃんちゃらおかしい話だ。
原作のグリム童話の方では、妖精の畑からレタスを盗んだという設定があるようなので、そっちは怒って娘をとられても仕方のないことだと思う。

ただこの自分の物”だと”思っていたものを取られた時の反応としては、毒親独特の反応だと思う。
例えば子供が大きくなると学校、部活、バイト、恋愛やなんかでどんどん世界が広がって、子どもは子どものコミュニティの中で成長して、さまざまな親離れイベントが発生する。
子どもが成長していく過程でごく当たり前のことだと思う。

だが毒親の多くはそれをよしとしない。
子どもが自分の元にいることで、子どもの支配者であることで自分のアイデンティティを保っているからだ。
自分の元から離れることで危険が訪れると子供を脅して離れられないようにするだけでなく、外の世界を子供を誘惑した悪いもののように批判する。
自分の元から離れようとする子どもの味方になる人も基本的には悪者なので、最悪私の娘ちゃんの事を誑かした悪いやつ!泥棒!くらいの被害妄想ぶりを発揮する。
そしてそいつは母親を傷つけた悪いやつだ、周囲の大人は母親の敵だと子にすりこみ、可哀想な自分を演出し、子どもは周りの人間に頼ることができなくなる。
毒親は基本的には被害者意識の塊だと私は思っている。


私のお花なのに盗まれちゃった私かわいそう。
私が若くあるために必要なものだったのに。
私のお花だったんだから取り戻したっていいよね。
今度は誰にも見つからない場所に隠しておこう。
で誘拐されちゃったのがラプンツェルである。
たまったもんではない。


②ラプンツェルに愛情を注ぎ、いい子に育て上げた立派な母親説


ゴーテルにとって、執着の対象は魔法の力を持つ髪の毛だけであって、ラプンツェル自身ではない。
ゴーテルの若さ、アイデンティティを保つために必要不可欠なものだ。
私の可愛いお花ちゃんとラプンツェルを呼ぶ場面があるが、本当にそのままの意味で捉えていいと思っている。
ゴーテルにとってラプンツェルは花だ。一人の人間ではない。
あまりに残酷すぎて、正直このセリフにはぞっとした。

自分のアイデンティティを保つために必要な花に、今度は根っこではなく足がついているため、またどこかに行ってしまっては困るから、それで本体の機嫌を取る。
死んでも困るから衣食住を整える。
ただそれだけのことなのだ。

好きなものを作ったり、歌を歌ったり、欲しがるものを買い与える。
このご機嫌取りにはお前のわがままを聞いてやるんだから私の言うことを聞け、というニュアンスが含まれている。
それがどんなに些細なことでも、たとえ相手がそうしてほしいと望んでいなくても、言う事を聞かせるために行う行為だ。
こんなにあなたの事を大切に思っている私を裏切っちゃだめよ、と刷り込む作業でしかない。
そうすることで、私の事をこんなに思ってくれてる、とゴーテルに対し情が生まれ、多少の不平不満には目をつむり、言いつけを破ることにかなりの抵抗感を感じる結果になる。

掃除や洗濯、料理も必要に迫られて覚えた可能性は高い。
ゴーテルは自分が若返った後、もう用はないとばかりに塔にラプンツェルを置いてでかけてしまうため、衣食住が守られているようで守られていないラプンツェルは自分でなんとかしなければならない。
もしくは私がいない間にやっておけと言われたか、そのどちらかだろう。
家事のやり方に関してもおそらく本から得た知識で、ゴーテルが教えたということはおそらくないだろうと思う。

そしていい子に育て上げたのだからいい母親だ、という結論は暴論でしかないと思う。
いい子に育ったのは、母親の結果ではなく、その子の結果だ。
毒親の元にいても、結果的にいい子に育っただけなのである。


③娘が裏切るような形で親密な親子の仲を引き裂いて可哀想説


実は自分が行方不明のプリンセスだと知ったラプンツェルはゴーテルの事を激しく拒否する。
あなたはお母さんでもなんでもない、もう髪の毛の力を使わせない、と強く言い放つのだ。

ラプンツェルはゴーテルのことを裏切っただろうか。
たしかにゴーテルの言いつけを破って外に出た。
けれどそれはゴーテルのいない間にバレないように出ていって戻ってくるという計画だった。
そう、元から戻ってくる気だったのだ。
どこまでいい子なんだラプンツェル。

その一方でゴーテルは嘘をついて、ラプンツェルの母を慕う気持ちを利用してきた。
ラプンツェルの気持ちを全面的に裏切っていたことになる。
事実を知ってしまった以上、ラプンツェルがゴーテルに対して怒り、拒否しても何もおかしくないし、どう足掻いたって悪者なのはゴーテルのはずだ。

たしかにラプンツェルが塔の外に出なければ、あの時ユージーンが現れなければ、親子の仲は引き裂かれなかったかもしれない。
でも歪な親子関係はいつかはボロが出るし、終焉を迎える。
私はこれでいいのだと思う。


長々しい考察になってしまったけれど、これで終わろうと思う。
ゴーテルを考察していく中で、ラプンツェルの不可解な行動の訳についてもしっくりくる部分があったので、別記事でラプンツェルについてもまとめたいと思う。

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