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誅戮の審判

囚人の見る目覚めに近い 僅かな夢
己の全てを罰しよう 心に浮かぶ、歪んだあの日を憎みながら
最初で最後の審判が下る


 自分の個性を知らない彼は「集団」や「大人数」というものが嫌いだった。集団は彼の存在を薄くさせ、多くの個性の中に沈んでいくように感じるからだ。そして集団の中に身を投じることで、彼の人格の化けの皮が剥がれ本当の自分の姿が浮き彫りになってしまうから。
 『自分は一体どんな奴なのか?』『自分は必要とされているのか?』『自分に存在する価値はあるのか?』そんな疑念を常に抱えていた。
 彼は幼い時から何かに影響されやすい子だった。様々なものを見ては歩き方、声、動き、考え方をマネして育った。そして幸か不幸か幼い彼に最初の悲劇が襲い、彼は人の顔色を窺うこと、演じることを覚えた。
 また彼の行動は何をしても誰かから怒りを買うことしかできず、自分がどれだけ良かれと思っての行動も裏目となり、自分の行動が誰かの足を引っ張り、誰かの首を絞めると知って彼は自分の意思で動くことを放棄した。
 故に彼は必死に偽りの個性を形成し、偽りの自分をひたすら演じ続けた。楽しくもないのに周囲を気にして笑い、自分の存在価値を模索する為に騒ぎ、本当の自分をよく理解しているからこそ虚勢を張ってきた。
 もはや自分の意思など存在しない。何処を探しても見つからない自分の個に苦しみ、様々な自分を形成しては演じ、本当の感情が分らなくなり、その苦しみの果て歪み切った思考・自己愛に溺れ、他人から差し伸べられた手をはらって目を背け続けた。


 彼は『思い込み』の中でしか生きる事が出来ない。自身が生み出した『偽りの個性』という器に入り込むことで、彼は偽りの個性を形成する。かっこいい自分、明るく賑やかな自分、しかしそれらは所詮まやかしの自分。
 彼はただ誰かに必要とされたかった。しかしその誰かが必要としているのは『偽りの個性を演じる自分』。気のきく優しい人を演じる嘘の自分や人懐っこい人を演じる嘘の人格。ならば彼の存在はどこにも、誰の胸の中にも存在していない。
 それは至極当然のことで、偽りに塗れた彼の皮をどれだけ剥いでも偽りばかりなのだから必要とされて見てもらえるのは全て嘘で塗固まった部分だけ。自ら他人を寄せ付けず、それでいて他人を求める。実に愚かなものだ。
 誰からも彼の想いを理解されることはなく頷いてくれる者もいない。誰もがその考えを放棄する中、彼だけは答えを探し続け、行き着いた時に感じた他人との違和感は彼を孤独にさせた。そして他人との違いを感じれば感じる程、彼は一層孤独の闇へと溺れていく。
 しかし一度感じた違和感の棘は心の奥深くにまで突き刺さり、まるで返しのある針のように喰い込んでいる。どれだけ楽しいと感じ笑おうと、どれだけ愛していると思おうと何かしらの違和感が彼の心を襲い、心がどんどん濁っていく。


 彼は過去を振る返ることでしか自分を見つめることが出来ない。常に脳裏には己の失敗した記憶がフラッシュバックし、そのたびに彼はその時の謝罪の台詞を何度も呟く。真面目なのか、それとも強迫概念なのか、それすらも偽りの想いなのか、自分の言動に激しい後悔、後ろめたさといった感情に駆られ自分を責め、その誰かに許しを請う。自身の激しい自己嫌悪が害であると知っているが故に、孤独という罰を求めていた。しかし、自ら関係を断ち切る勇気など無く、他人に断ち切られるように誘導していく。
 自己嫌悪の苦しみから逃れる為に、繋がりを絶たれ孤独であることを望む。それと同時に関係が断ち切られることを恐れている。彼の行動には矛盾しかなく、彼自身どうしたいのかも分って居ない。それでも激しい後悔の念に苛まれ、小さなことに苦しむ自分をいつからか自身で存在を否定し始めるようになった。人間としての本能ごと否定するように思った。
 これほどまでに嘘に塗り固められた自分の遺伝子が残っていいはずがない。このようなデータなど滅ぶべきだ。自分のような存在がいても不幸を振りまくだけだ。生きる価値などない。


 矛盾ばかりの世の中で、矛盾ばかりな人間に生まれ、矛盾する想いに板挟みになる。あまりにも不完全な世界に心はいつからか枯れていた。心は刺激を求め、負の感情を探し始める。正の感情の輝きは彼の心には届かない。
 心という不完全なものがあるから彼は苦しんだ。
人間という不完全な存在として生まれたから彼は苦しんだ。
世界という不完全なものがあるから彼は苦しんだ。
どれほど心を放棄しようとしても心は育まれ何度も苦しむ。
 自分を偽り、自分を否定し、心を必要とせず、矛盾に生きる彼は思考も既に普通では無かった。普通でないのだから彼が突然いなくなろうと誰も悲しみはしない。いなくなっても世界は、人は、何も変わりはしない、世界はいつまでも続く。
 弱い自分が嫌いだ。しかし、強い自分など想像すらできない。誰かに迷惑をかける自分が嫌いだ。迷惑をかけないことなどない。意思が弱い自分が嫌いだ。流され続けているクセに。素直になれない自分が嫌いだ。今さら素直になんてなれない。今さら前を向く事は出来ない。前を向くには遅すぎる。振り返る勇気もない。かといって、誰かに寄り添われるのはただ惨めだ。


 荒野の中、彼の心は眠りについていた。嫌な事を忘れるために、そして本来の自分を忘れてしまうために。
 しかしその眠りすらも忘れ、集団に身を投じたことで目覚めの時が来た。醜く歪んだ繭から汚れた羽を広げ彼が嫌悪する世界へと羽ばたくだろう。不快な鱗粉を辺りに振り撒き、親しい人もそうでない人すらも巻き込んで、多くの人間を悩ませ、苦しめるだろう。
 そう、彼はただの「害虫」。美しいものを蝕み、喰い尽くす害をもたらす者。
 美しき世界を目覚めた害虫に蝕まれる前に彼を殺せ。殺して自分を守るがいい。最後に残った命の光さえも消し去る、それが害虫であった彼の自らに下した最後の審判。他人に委ねた誅戮の審判。
 囚人の彼は二度と優しい思い出には帰れない。

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