走る走る俺たち

メロスは走ると、どうなるのか。

走る走る俺たち 流れる汗もそのままに
いつか辿り着いたら 君に打ち明けられるだろう
(爆風スランプ『Runner』より)

さて、昨日「走らんのか、メロス」という文章を書いたけれども、今日は、実際に走るとどうなるのかについて書きたいと思う。

僕は11月24日に男性限定のワークショップ
『魂と繋がる歌の唄い方®︎』〜男が「男になる」とき
を主催した。

この開催にあたり、僕はいままでやらなかったことをやると決めていた。

一つは「男になる」と宣言すること。
もう一つは「結果にこだわる」こと。
最後の一つは「全力でやる」こと。

で、実際にいままでで最大の告知活動を行った。具体的には10月から毎日ブログとメルマガを発信し続けた。大したことがないように思われるかもしれないが、これが僕にとっての「走る」だった。

やってみると、驚くべきことが起きた。
自分についても、他人についても、そして人生についても。

まず自分は「書けば書くほど、次に書くことが出てくる」という不思議な状態に入った。

「明日書くことがないかも」と思っていても、どういうわけか、その日になると思いつく。「これは書けるかな」と尻込みするような大きめのテーマでも、書いてみるとぱしっと決まる。

言葉が言葉を呼んで、体操選手みたいに着地して、書き終えた後に「すげー」と一人で驚いた記事もたくさんあった。この間、父とのことを書いた時には、自分で自分の文章に癒されて泣いた。

他人については、もう開いた口がふさがらないほどだった。

まず、自分の書いた文章に対して、信じられないほどの反響があった。
この note は一年以上やっているけれど、多く読まれた順に並べると、その日付は今年の九月から十一月に固まっている。トップ3はすべて今月だ。

中でも「男になる」と宣言した記事は、師、本郷綜海さんがシェアしてくださったこともあり、いままでの天井を突き破るアクセスがあった

それまで、僕はひそかにブログを書きながら、アクセスがこの数字を超えたら「ヒット」、ここまで来たら「ホームラン」などと楽しんでいたのだけれど、先の記事は、東京ドームの天井をぶち破って成層圏までいくくらいになってしまった。おかげで、ゲームが成立しなくなった。

もう一つの驚きは、今回の「男が『男になる』とき」が、特に女性に熱烈に支持されたこと。

僕には女友達が多いから、的外れなことは言っていないだろうと思っていたが、これほどとは夢にも思わなかった。

そして、最初は「キャーキャー言わせていいんだぜ」だった「男になる」ことの良さが、虎のような力を取り戻すことにふくらみ、大人の男として社会の中で役割を担うことを語るようになり、最近ではパートナーシップの理想のかたちを探りはじめている

雪玉が坂道を転がるように、話がどんどん大きくなっていった。
先に「次々に書くことが出てきた」と書いたけれど、これはもらった反響を編集していたにすぎないのだと思う。そういう大きな波のような、あるいは深いニーズのようなものを拾っては書き、拾っては書きしながら走っていた。(そして、いまもその渦中にいる。)

三つ目に驚いたのは、人生が道を譲ってくれるように感じられたこと。

人にはアクセルとブレーキがあって、大抵の場合、ブレーキが利きすぎている。僕もそういう慎重派だったので、アクセルを踏みきったら視野が狭くなって危なっかしい運転になるだろうとは思っていた。

実際そうだった。でも、それは他者によって助けられた。
時に助言、時に叱責のかたちで道を外れたときには、他者がバンパーとなって、元の道に戻してくれた。痛い思いもしたけれど、自分で「これは大丈夫かな」とおそるおそる探るよりもずっと速くて安心でありがたいことだった。

さらにこれは思い込みかもしれないけれど、あまりに出来すぎたことも起こった。

ダブルブッキングをしたのに大過なく通り抜けられたり、体調が悪く休んでいたい日の打ち合わせがずれたり、そのおかげで風邪の看病を奥さんにしてもらえたり。

降る雨までもがやさしく、人生という存在が、道を開けて「どうぞ」と言ってくれているみたいだった。

こんなことになるとは、思わなかった。

今回やってみたことで分かったことはたくさんあるのだけれど、石橋を叩いて渡らない過去の僕に一番言ってあげたいことは、これだ。

人はどうやら結果ではなく、そこに向かう姿勢を見ている。
結果はもちろん大事だ。けれど、そこに向かってなにをしているか、どういう姿勢で向かっているかの方が、そこに誠実さがあるかどうかの方がずっと大事なんだよ、と。

たとえいまは小さく 弱い太陽だとしても

実際、こんな「まとめ記事」みたいなことを書いているが、僕の「走る走る」は全く終わっていない。雪玉は転がり続けていて、次々に見つかるニーズについて伝えたいことはたくさんある。次の「男が『男になる』とき」もはじまっている。

そして、なんといっても、まだ結果が出ていない。

だから僕はメロスとなって、走る。
最後、素っ裸でもいいよねくらいに思っている。

いろんな反響はたしかにある。
喜ばせたい人もいる。

でも、なにより僕自身がこの先になにがあるのかを、ものすごく見てみたいと思っている。ワクワクしている。こんなに楽しいことってあるか。

だから僕は走る。
たとえいまは小さく弱い太陽だとしても。

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