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書き重ねること:2020/11/07

同じことについて何回も書いていくと、言葉もシンプルになって思考が整理される。この時に、整理される「思考」とはなんなのか。はじめに書き始めた私の思考と、今こうして書いている私の思考は違うものだ。

整理された思考は、整理されているとは思っていない。これまで書いてきたものが積み重なった結果、比べると整理されているけれど、書いている今は整理されているとは思っていない。これからも整理されるし、これから雑になっていくかもしれない。

昨日と全く同じようなことをしても、ずれる。その違いが面白いと思っている。その違いが面白いといえるのは、昨日の自分と今日の自分を両方見る「今日でも昨日でもない自分」がいるからだ。

そんな面白さを見つけたくて、「書き重ねる」という取り組みをしてみようと思い立った。毎日、昨日と同じタイトル、テーマで文章を一つ作る。その際には、完璧でなくてもよく、今日書けるだけを書く。途中で終わっていてもいい。

どうしてそんなことをしようと思ったのか。初めて聞く人には疑問に思うかもしれない。だから、その説明をすることをまずはテーマにしていきたいと思う。自分にとっても、なぜこんな書き方で文章を作るのかを理解するのにはちょうどいい。

毎日同じことを書くのは、退屈だとか変だとか、いろいろな偏見が自分の中にあった。noteは毎日更新していたけれども、内容については深く考えず、その時々に書きたいものを書いているだけだった。しかし、そうすると昨日書いたことは今日書いてはいけないという意識を働かせてしまっていた。

毎日書けば、その分テーマが一つ増える。浅く広がっていく内容に、疲れてきた。そのうち、自分が何を書くべきかはっきりした基準が見えないような気がした。「書く」ということは確かなのだが、何を書きたいのか、どのように書きたいのかがはっきりしない。とりあえず、記事を仕上げてnoteに投稿するのだが毎日のノルマを達成した以外には手応えがない。

ただ毎日書けばいい。それはそうなのだが、飽きてきたり、今の自分に合わせて書き方を変えるべきだろう。そうすることで、やっと毎日続けられるようになる。

今まで、毎日書くというルールは変えなかったが、変えなかったゆえに凝り固まったものをほぐす、という意味で「書き重ねる」やり方を採用した。

まずは、違うネタや内容を書かなくてはいけない、という発想を取り除く。逆に毎日同じことを書く。

そして、毎日書きさえすればいい、という考え方が蔑ろにしている、内容や言葉に対する注意にもう一度目を向ける。毎日同じことを書くことで、昨日よりも深く考えることができたり、昨日の言い回しよりもスムーズに書けたりする。そうすることで、書くだけではなく内容や構成にも注意を向けながら文章を組み立てることができる。

ここで、同じことを毎日するのではなく添削や校正をすればいいのでは?という疑問もある。確かにそうすれば、文章と深く関わることができるし、言葉に対する注意も向けることができる。

そのやり方を採用しないのは、私の好みによっている。一つの文章を細かく直すよりも、同じことをいろいろなやり方でやり直す方が楽しいのだ。一つの文章に時間をかけすぎると、毎日の投稿のペースが変わってしまうだろうし、考えている間は手が止まっているから、新しい発想も生まれにくいだろう。

どうせ、文章を磨いていくという目的が同じなら、新しい文章を作ってしまった方がいいと考えた。そうしたら、書くたびに、手は動かしているのだから頭は働くだろう。昨日との違いもはっきりと目で見てわかる。壁に向かって、じっと考える作業のような息詰まった感じはせず、今日1日が新しく開けているような感じがする。

そして、完成することやうまくいくことを考えずに、「今日はこんな風になった」という記録として記事を残せる。毎日の投稿のペースも崩さずにいられる。

そんなところが、「書き重ねる」ことをしてみようと思った理由になる。そうしたやり方は、今までしたことがないし聞いたこともない。このやり方がうまくいくのか、どんな文章、そして記録を残すのか楽しみにしている。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!