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Respect for others

最近、副菜の万能性に気付き、専ら副菜系のおかずをよく作るようになった。そんな時、ふと葉物の野菜が食べたくなり、スーパーに向かう。昨年の秋頃から、隣のおばあちゃんや周りの人から野菜を分けてもらう機会が多く、私はスーパーで野菜を買うことが自体が久しぶりだった。
スーパーで並んでいる野菜を眺める。春先は冬野菜が終わって、夏野菜の準備に入る谷間の時期の為、収穫できる野菜の種類は少なくなる。特に露地栽培だと、その傾向は顕著だ。しかし、私が葉物野菜を食べたいと思って、スーパーに行けば、季節問わずレタス、キャベツ、トマト、ニンジン、ナスと並んでいるのだから、文明の力とは大変素晴らしいものである。
昨今は自然農法や有機農業や水耕栽培など様々な野菜の育て方が存在する。勿論、それぞれ良い点悪い点があるのは、承知だが、こうして春先にも野菜が安定供給されるのは、紛れもなくビニールハウスで野菜を育ててくれた農家さんのお陰なんだよなぁ、と思う。こうしてしみじみしていると、生物多様性と少し考え方が共通しているように思えて、世界は上手く出来ているものだと感じた。
たぶん、春先に山菜採りをしに行くのは、きっと野菜の収穫量が減ることも関係しているのだろう。近くで採れたフキノトウやシイタケを焼いていると、これはこれで季節の楽しみを感じられて、楽しい。春に出てきた小さなヨモギの葉も、お湯を入れると緑茶のような優しい味わいが広がる。夏から秋頃の野草感溢れるヨモギ茶とは、異なる味わいだ。植物も着々と芽を出す様子に、日々喜びを感じつつある。

大学院の同級生の記事に「Respect for others」と書かれていた。その記事を読んでから、何となくその言葉が頭から離れない。

畑を始めてばかりの頃は、ビニールハウス栽培に疑問を持っていたが、季節を問わず安定的に野菜を食べられるのは、紛れもなくビニールハウスで野菜を育てている人のお陰だと知ることが出来た。無知とは大変恐ろしいものであることを感じつつも、常に周りのヒトモノに敬意を払う事を忘れてはならないことを実感する。うむ、Respect for othersだ。

そうこうしているうちに、3月も下旬に差し掛かった。私も集落に移住して、一年が経過したことになる。もう1年前なのか、と去年の事を振り返ると、移住してきた日の夜は暗くて、寂しくて、不安で、涙が止まらなかった事を思い出した。作り慣れないご飯は、明らかに一人前以上の量があり、食べても食べても減らないおかずを泣きながら食べていた。今となっては、これも笑い話だが、知らないうちに色んな事を乗り越えてきたのかもしれない。
とは言え、私も1人で全ての事を乗り越えた訳でもない。近所や職場の人や家族の支えがあってこそ、私はイマココにいるし、少しづつ前に進むことが出来るのだ。まさに、Respect for othersだ。

昨年からの1年を振り返り、次の1年はどんな景色を見ているのか、考えた。一体どんな、景色なのだろう…。気付けばまた大きくなったウーパールーパーの顔を見る。真っすぐ前を見つめるつぶらな瞳。彼を飼い始めた時に、想像もしえない遥か遠くに一緒に行こう、という思いを込めて「遥」と名付けた事を思い出した。

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