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と、いうようなこと。

気がつけば、テレビを観る時間が減った。いや、正確に言えばテレビ番組を観なくなった。動画を観る時間はむしろ以前より増えている。これは動画配信サービスへわたしの興味が移行したゆえの現象だ。      

有料ではあるがこのサービスに加入すれば、家にいながらにして、色々な国の映画、ドラマ、ドキュメンタリー、ニュースが、いつでも見放題。途中でやめても見逃すということがない。ほかにもアマチュア、プロ問わずに発信されるユーチューブがある。足腰がいたければヨガの動画。作りたい料理があればレシピ動画。語学を学びたければ語学動画。検索すればいくつもの関連動画が次から次にでてくる。しかもこちらは無料だ。動画事情の良し悪しはさておいても、暮らしのなかでスマートフォンやパソコンと向き合う時間が増えてゆき、加速度的に変化している時代をつくづく感じる。

ある日のこと。二女が食卓でiPadを開いていた。耳にはイヤホン。画面を覗き込むと西欧人の高校生ぐらいの男の子がみえる。
「なにを観てるの?」
「ダーク」
「ダーク」とはドイツ制作のテレビドラマなのだとか。「騙されたと思って一度観てよ」というほどハマっているらしい。それにしてもアメリカ、イギリス、韓国や中国のドラマでなしに、ドイツのテレビドラマを家で簡単に観られるなんて、すごい世の中になったものである。

感心もするが、諸外国のいくつもの映像を観てこうも思う。時代や文化、風習も違うというのに、人の感情はさして変わらぬものだということ。

物語のテーマになるのは、「人との関わり」「恋愛」「お金と権力」「仕事」「子育て」「未来への想像」「自分とは」こういうことがほとんどである。もっといえば生きるとはこういうことのなかで生じる考えや感情と、どう折り合いをつけて暮らしてゆくか、ということのようである。それだから自国の物語でなくとも、同じ時代に生きていない物語だとしても、共感し、慰められ、癒され、涙し、笑えるのにちがいない。

これは映画に限らず書物、音楽、美術でも同じ。こう考えると、いわゆる表現者(誰もが表現者であるだろうが、ここでは職業として)の道に進むひとがどの国にもあることが面白く(当然のこととはいえ)、さらには、どういう人がその道を進もうとするのか、この点もじつに興味深い。

夕焼けに誘われてベランダにでた。
……きれい。赤オレンジ色に染まる雲や空の美しさはわたしを魅了するだけでなく、いつだって心を和ませてもくれる。いつか夕焼けをみるどこかの国のだれかは、いつかの時代のだれかは、なにものでもないわたしの抱くこの感情に、共感してくれるだろうか。


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