見出し画像

ダボス会議「Great Reset」と価値評価

世界経済フォーラムがスイスで毎年開催するダボス会議。
世界中のエリートさん達(政治家、ビジネスパーソン、学者等)がテクノロジーや環境保護、経済成長について議論している。

僕は意識高くないが、5年程前から毎年楽しみに視聴している。発表されるアジェンダを目を通し、気になるものはライブストリーミング等で視聴。

ただ、気になるのは、この人たち本当に多くの人が直面してる生活ご存知なの?

世界中の多くの人は地方に住み、上場企業や複雑な金融商品、最先端テクノロジーとは無縁の生活をしている。そんな人々の生活は置き去りにされて議論されてると感じることもしばしばある。

それでも期待を持って毎年見ている。
影響力のある人々が動かないと、動かせないルールが多いのも事実だし、
一般市民の僕からすれば世界のリーダー達の考えが知れる良い機会だから。
あれ、なんか意識高いこと言ってる。

さておき、次回のテーマはGreat Reset
日本経済新聞社は”資本主義のリセット”と表現した。
資本主義の世界で成功を手にしてこられた方々による会議で、どんなリセットな話が繰り広げられるのか楽しみにしている。

僕はエリートでもなければ、ダボスというよりカボスみたいな顔してるが(え?)、考えるのは自由でしょということで、自分が考えるGreat Resetについて考察してみた。

新たな価値評価

結論から言うと、
新たな価値評価の仕組み、指標が必要ではとの考えを巡らせている。

僕らが重宝する経済成長を示すGDP。
GDPに関連する様々な指標が各所から発表されるたびに世界のマーケットが常に動き回る。
そして経済成長を下支えする企業の業績。利益/CFはいくら出せるか。
いかに売れるモノを効率的に安く生産できるか。

こうして分業化が進み、そしてモノが溢れる。
一方、その過程で失われているだろう人のやり甲斐やモチベーション

我々が今必要としているのは、
これ以上の溢れかえる”モノ”ではなく、
一人一人が感じることができる”意味”である。

それは感動でもあり、共感であり、応援である。
こうした感動は、ロボットで自動的に生産されたものには持ちにくい。
人が情熱を注いで時間をかけて創られたことに感動や共感が生まれる。

共感は”モノ”ではなく”人”から生まれる

大勢の人と同時に関係を深めたり、信用することは難しい。
関係を深めるには、実際に顔が見えることが重要だ。

作った人の顔や人となり、その人がどういう想いで作ったのかを知ることが、共感につながるだろう。

作り手が、モチベーションない状態で、やらされ仕事として携わっているようだと、想いがのるハズもない。作り手は、分業化されたパーツのみに関わるのではなく、ある程度最初から最後まで関わり、最終的にそれが人や地域のために使われていることを見ることで、やりがいを感じて、さらに想いものるのではないか。

時間をかけるのと価値が下がるのか、上がるのか

顔の見える人だけで経済活動、価値交換をするのは難しい。信用できない関係がない、大勢の人との取引にはお金が便利だ。

そして大勢の人と取引をするときに重要なのが、競争力。価格。
いかに便利なモノを安く提供できるか。

時間を多く使えば生産性が下がりコストが上がってしまう。
つまり経済合理性の観点で言えば、時間をかけるのは悪

一方で時間をかけると価値があがるという考え方もできないだろうか。
これを考える時に、星の王子様の童話を思い出す。

簡単に端折るとストーリーはこうだ。
王子はこの世にたったひとつのめずらしい花を持っているつもりだった。しかし、旅の途中で実はそれはごくごく当たり前のバラの花だと気づく。そして大して価値がなかったものだったと、ひどく落ち込む。

遠くに残してきた花は、自分のような花は、世界のどこにもないといったものでした。それなのに、どうでしょう。見ると、たった一つの庭に、そっくりそのままの花が、五千もあるのです。
「ぼくは、この世に、たった一つという、めずらしい花を持っているつもりだった。ところが、じつは、あたりまえのバラの花を、一つ持ってるきりだった。」

しかし、途中で王子はこう考え直します。

あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。(中略)だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。覆いガラスもかけてやったんだからね。ついたてで、風にあたらないようにしてやったんだからね。毛虫を殺してやった花なんだからね。(中略)心でみなくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。
バラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、時間を無駄にしたからだよ。

“モノ”としての客観的価値と”意味”としての主観的価値

星の王子さまを再度例に挙げると、
自分はこの世にたったひとつのめずらしい花を持ってるつもりだったけど、実はそれはごくごく当たり前のバラの花で大したものではなかった。
モノとして価値評価/客観的価値

これに意味づけをしたことで、

誰よりも真剣に向き合い、時間と労力をかけた自分だけの大切なバラ。
意味のある価値評価/主観的価値

こんな風にも考えることができるのではないか。

お金で交換しやすいもの
=”モノ
客観的価値
➡︎役に立つものをコスト抑えて/時間をかけずに生産販売
(利便性↑コスト↓)

お金に換金しにくいもの(ギブとして贈られる)
=”意味
主観的価値
➡︎人が情熱を注いで時間をかけて贈る
(↑感動、共感、応援↑)

どんな価値を評価するのか/できるのか

客観的価値の取引が増えることによって、経済活動が活発になり利益が出てGDPに寄与する

主観的価値の流通が増えるとどうなるか、何に寄与して、
その時の指標は何なのか

主観的価値をそのまま単体で置いておいても評価できない。
矛盾してるように聞こえるが、これを何らか指標にできなか。

主観的価値を増やしていくことでコミュニティ全体として、
コミュニティの強化、ソーシャルキャピタル、防災に寄与する等々、
持続可能な社会システムができる。

もっと個人レベルに落とすと、
困った時に助けを求められる人はいるか、
自分のやってる活動にやりがいを感じるか、
疎外感や孤独を感じないか、

一定の共感できる範囲のコミュニティの中で主観的価値を贈り合うことで、コミュニティ全体として測定可能な豊かさとして評価することができるのではないか。

主観的価値一つ一つには数値化はせずに、
それを通して繋がったコミュニティ全体を定量化する。

これがいま僕が考えるGreat Reset。カボス。

応援ありがとうございます! givに参加するメンバーも現在募集中です! 美容師さん、農家さん、ヨガインストラクターさん、トレーナーさん、ネイリストさん、漁師さん、鍼灸師さん等が多彩なメンバーで運営しています^^ 良ければご参加ください。 https://giv.link/