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ドラえもん同席の採用面接という在り方

もう少し凝ったタイトルにしたかったが・・。相変わらずセンスがない・・。
以前、AIの発達でドラえもんが面接官になる・・?という記事を書いたので、その続きになるものとして。
ぜひ併せて読んでいただきたい記事を貼っておく。

前回はどちらかというと遠い未来の話(そう遠くはない未来だが・・)になったが、世界が大きく変わるであろうこのご時世において、働き方や企業の採用面接も形を変えていかなければならない。
元企業人事ということで、ここでは企業側からの目線で採用面接にフォーカスして考察していく。

結論

テクノロジーの進化に置いていかれることなく人間の価値を見い出し、お互いの良いエッセンスを組み合わせること。

今更、全ての産業においてこんなこと当たり前だろうと思われるかもしれないが、企業の採用面接においてはまだまだ旧態依然としたスタイルが多いと感じる。

○テクノロジーに任せられること
まずはこちらから。
以前も触れたが、人間がテクノロジーの進化に勝ることができないところ。
それは圧倒的なデータ量の蓄積である。
こればっかりは仕方がない。それをAIで学習させてさらに昇華していくのだから流石に勝てない。
ただ悲観的になる必要はない。それはそれで利用すればいい。
では具体的にどう利用するのか。
まずは入口。ここでいう入口はあくまで面接の場なので、もっと上流の手法をどうするのか等には触れない。

「定量的に測れてマッチングも測れるコンピテンシー診断」
多くの企業が実践していることでいうと、いわゆる適性検査や性格診断といった部類の選考方法。
それがある一定の基準を満たせばそこから企業理念に対して貴方はどう考えているか、バリューに共感しているか、志望理由は何かなどの拷問が始まる。
なぜ拷問と言ったか。
まずは適性検査等の信憑性の無さ。
いやそれは専門家に失礼か。
信憑性はあるもののそれを人間が上手く活用できていない。と思う。

それをやったところで、結局人事担当・採用担当が判断するんでしょ?と思ってしまう。20年戦士、30年戦士の方ならまだ分かるがほとんどの企業はそうではないし今後はより一層そうではない方が人事担当になっていくはず。
何を持ってその企業に合っているのか。どういう根拠があって適性と言えるのか。
もちろん採用基準というものは設けられているがそれ自体すらも定性的な企業が多いように思う。

一旦置いておいて理念云々に関して。
そもそも理念に共感していないなんて言う求職者は存在しないし、
理念というものが定性的なものであるのに、さらに人の感情である共感という定性的の最たるものの組み合わせ。
マッチングなんて議論甚だしい。

ビジョン・ミッション・バリュー。もちろん大事。それは前提。
ただそれはあくまで指標たるものであって、そこに依存した採用活動は良くない。
さらに個人の価値が重要視されていく今後において、そんな定性的なものを採用基準に据えるのはリスクがあると思う。

では人の志向や適性マッチングを定量的に測るにはどうすればいいか。
まずはペルソナの志向や適性を定量的に測ることから。
つまりその企業で活躍している社員のコンピテンシーを測る。
それがベースとなる志向や適性になる。
それを求職者にも実施する。
その両方の分析を照らし合わせて(機械が)マッチしているかどうか。
かなり定量的になるのではないだろうか。

ただこれだけでは足りないだろうし、実践している企業もあるだろう。
もっと深く。そして継続的に実施しないと効果は出ない。

・その社員はなぜその企業に入社したのか
・どういう趣味嗜好なのか
・どこにモチベーションを感じてるのか
・その企業でどういう経歴を辿ってきたか
・その背景にある想いはどういうものか
etc...

加えて言うと、活躍している社員も考え方や知識、スキルがどんどん上がっていく。モデルとしてペルソナにするのはいいがそれも変わる。
今までそれは普遍的なものであったかもしれないが、再三繰り返している今後の個人のアイデンティティーを考えるとそれは普遍的なものではなく必ず変化していくものでそれぞれ特別なものになるはず。
なのでそのモデルとなる、ペルソナとなる社員の適性検査を定期的に行わなければならない。
その定性的で膨大な量のデータを蓄積し分析しマッチングにおいて最適化していかなければならない。

人間には無理だ。
だからその機能はテクノロジーに任せよう。
そのほうが圧倒的に生産的であるし合理的だとも思う。

○人間にしかできないこと
ここからは人間の価値を最大限発揮する場面。
決してテクノロジーには代替できない人間の価値の部分。
これに関しては前回の記事に書いてあることがほぼ全てなのでそれを参照していただきたいが、
いわゆる”愛情”や”思いやり”といった人間の感情にしかない非科学的なものだ。

もちろん人間なので、人に対して情が出るのは当然。出ないほうが異常。
その人の背景に共感したり、感動したり、またはその逆の立場になったって良い。

「なんか好き。」

こういう感覚こそ人間が人間である理由だと思う。
前回書いているが、それをもテクノロジーが凌駕してくるのであれば、人間はもはやそこには居ないだろう。

今回は隣にドラえもんを置いたがつまりはそういうこと。
人間には人間にしかできないことがあるし、ただそれには限界があるので、テクノロジーを存分に駆使すれば良い。

そうやっていく先に本質的なマッチングというものが待っているのではないだろうか。

Detroit Become Humanみたいな流れになってしまったが、
正しいと信じた選択を今後も続けていかなければならない。

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