なぜ農業にこだわるのか?:工業的農業への反対の理由

私がなぜ農業をやろうとしているのかと言えば、もちろん自給自足のため、つまり商業資本に食料供給を依存したくないためですが、より細かく言えば、もっと理由があります。


まず現在出回っている食品が、食品添加物まみれな「シャブ漬け」食品である場合がほとんどですので、そういうものの入っていない食べ物を求めてと言うのが一点。


ただ、通常の農業と違うのは、遺伝子組み換え作物やゲノム編集と言った、植物そのものを工業的に改変したシロモノがかなり出回っていることを拒否したいというものあります。


また、そうでなくても単に大量生産するためだけに広く用いられているF1交雑種も拒否したいということもあり、それを確保するにはもう自分で在来種を育てるしかないというところまで、日本の食品は汚染されているからです。


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なぜここまで食料の汚染を拒絶するのかと言えば、人間の体は食べた物で創られるということ、そして人間の精神は人間の肉体を土台として形成されるものであるから、そもそもの原点である食事が人間の質を大きく左右すると言えるからです。


そしてそこまで追求するのは兵法の修業のためであり、なぜ戦国武士たちは、現代の特殊部隊の兵士ですら腰が引けるような軍事行動を日課のごとく平気でこなせていたのか?ということを考えたら、そういった強靭な心身を手に入れるには食事の質を当時のレベルと同等以上に引き上げる必要があるという結論に至りました。


しかしながら、その基準を満たす食料品は小売ではほぼ入手不可能なため、それなら農法も合わせて自分で作るしかないということから、農業の自給自足をするということになりました。


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また、感覚的に言いますと、以前紹介しました地元の生ハム作り体験のところで食べた昼食の野菜の素揚げの味に感動したということもあります。


そこの施設の裏の畑で調理の直前に採ってきたものが提供されたのですが、たとえばセロリとかも全然セロリ臭くない上に、まったく何も味付けしていないのに野菜自体に味がある!ということに感動しました。


ですので、理論的にももちろんですが、自分の実体験から感覚的にも「農業が必要、それもスーパーに並ぶようなものではなく、大衆向けの商業的視点を完全に度外視した本物の食べ物を作る農業を!」となりました。


そこから、自給自足の小規模農業、植物の持ち合わせている生命力を引き出す自然農法、そして植物自体も自分で種を付ける能力のある在来種を、という形で目指す農業の形が定まったという次第です。


そこで、中山間地の荒れ地、特に耕作放棄地は放置されているが故に過去に撒かれた農薬が流されてほとんど残留していないという利点があるというところに目を付けて、それを過疎地の活性化という社会的要請と組み合わせることで、良い方向に動かせるのではないかと思いました。


まだ構想段階ですが、二重三重に手を打って、セーフティーネットを組み合わせながら一歩一歩進んでいるところです。


私の実践が成功した暁には、まったく農業をしたことの無い人が、何も伝手の無いところから経済的にも安定しながら自然農法で自給自足生活できるようになるという、教育・研修プログラムも提供して、本来の人間的農業の復権を図ることもできるでしょう。

「自給自足生活をできるようになるための個別教育の提供」という部分については、他の自然農法の実践者とは違い、資本主義経済のカラクリを見抜いての経済生活再建と学問的頭脳の修業を合わせて実践した私ならではの特徴であると自負しています。


ですので、私は中途で挫折することはありえません。なぜなら私の実践は私一人のことではなく、私に続く人達の命運も懸かっていることですので。


最後に、山暮らしのバイブルと言っていいほど参考になった本を紹介して締めます。


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