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【少年院卒持論】努力は報われない勘違いするな

そういえば私、親になった。

大した人生を生きてきたわけじゃない私が、人様に教える立場になる日が来るとは夢にも思っていなかった。

こんな私だから母に妊娠を報告したとき、こう言われたのだ。

「あんたが思ってるよりずっと大変で、楽しいことなんて多くない。いつか勝手に産んだくせにって言われる日が来るかもしれない。それでも胸張って子どもを愛せるって言えるの?」

母の心配をよそに、私は笑ってしまった。

自分がこんな人間だ。

これから先、子どもに教えられるのは成功談より失敗談の方が多いだろう。

「産んでくれなんて頼んでない」

「勝手に産んだくせに」

私は母にそう言い放ったが、私が子どもにそう言われたら「そうだね、私が産みたくて産んだよ」と言う他にない。

あなたがどんな景色を見てどんな人生を生きるのか見たかったからと、胸を張って言える事実だからだ。

今日はそんな話をつらつらと。


嫌なことや苦しいことは経験するべき宝である


子どもも嫌なことや苦しいことを必ず経験するだろう。

誰かに裏切られたり、頑張っても上手くいかなかったり、どうしたらいいのかも分からなくなったり。

人生はそう上手くいくものじゃないことを、いずれ知ることになる。

私はその経験を、可哀想と思わない。

精一杯支えて抱きしめるが、乗り越えるのは自分だ。

親である私でもないし、問題の向かいにいる誰かやなにかでもない。

酷かもしれないが、私は子どもの辛く苦しい経験を背負う気はない。

しゃしゃり出て親が問題を解決してしまえば、子どもはいつまで経っても親がなんとかしてくれると思うようになる。

それは子どもが経験するべきだった貴重な機会を、親が奪うことにもなるだろう。

そばで見守り、結果にも付き添う。

未成年であるうちは親である私が責任を取るが、結果を決めるその過程を私は見て見ぬ振りすると決めている。

人生は決していいことばかりじゃないのだと早い時期から知っておけば、その後の生き方に良い影響を受けられる。

どんなに些細なことであっても、バタフライエフェクトは必ずあるのだ。

私の人生の多くは嫌なことや苦しいことだった。

当時は死にたくもなったが、乗り越えた先にある景色を無駄だと思ったことは1度もない。

ある意味でその経験を子どもに強要することになるかもしれない。

しかし、人生は上手くいかないことの方が圧倒的に多い。

その経験を宝だと思えるように、親が責任を負えるうちに、嫌なことや苦しいことはたくさん経験して損はないだろう。


努力は必ず報われるものじゃない


親や大人という生き物はやたら子どもに綺麗事を言いたがるが、それが絶望を招いてることに気付かない人も多いのではないだろうか。

「努力すれば必ず報われる、だから頑張れ」

というのは、ひどい建前の綺麗事だろう。

努力することは決して間違いではない。

頑張ること、一生懸命に取り組むこと、夢中になること、結果に関わらずやり遂げること。

これらはとても大切で、意味がある。

だが、努力したからといって必ずしも思い通りの結果が手に入るとは限らない。

それが自分ひとりだけの努力ならまだしも、誰かやなにかによって、今までを水の泡にされることも大いにある。

そんなとき彼らはきっとこう言うだろう。

「努力が足りないからだ」

と。

散々子どもを持ち上げて、結果が報われなければ叩き落とし更に努力しろと追い討ちをかける。

頭に虫でも沸いてるんだろうか。

私は自分の子どもにそんなことを言いたくはない。

最初からこう言う。

「努力が報われるとは限らない。頑張りを無駄にされることもある。それでもやることに意味があるから、今は分からなくてもいい。ただ目の前にあることを一所懸命にやってみろ。結果は後から付いてくる。」

夢を見せる気も、綺麗事を吐かす気もない。

子どもが生きるのは現実で、親や大人が与える幻想の中じゃない。

「どうして子どもができるの?」

「コウノトリさんが運んでくるんだよ」

そんなことを教えておいて、いざ小学生中学生で妊娠したら発狂するような親に育てられる子どもの身になってほしい。

中出しセックスするから妊娠するんだよ。

綺麗事を吐かしてるのは、子どもをバカにしてるのと同じだ。


幼いうちから自分という人間を知っておいてほしい


私は自分を知ることにとても苦労した。

物心ついた頃から「変わった子」と言われ続けていたからか、普通というものを探しながら生きてきた。

みんなと同じ、普通。

それが一体なんなのか分からないまま成人を迎え、この頃ようやく分かってきた。

自分を愛せない人は他人を愛せないし、自分を知らない人は相手を知り得ない。

これは事実だと思う。

まずは自分という生き物を把握していなければ、人生の帰路に立たされたとき右往左往するだけだろう。

先ほども述べたが、私は子どもが一定の年齢に達するまで親として全責任を負う。

逆に考えると、親が責任を負えるうちはどんなことをしても子どもが責任を問われることはないわけだ。

そうしていられるうちに、自分という人間について知ってほしいと強く思う。

どんなことに惹かれて、どんなことを嫌だと感じるのか。

なにがすてきに見えて、絶対に見たくない景色はなんなのか。

全部を幼いうちから把握することは難しいだろうが、経験と共に自分を知ることを覚えておいてほしい。

そうして自分が幸せでいられる一定の目安が分かれば、必要なものと不要なものを分けて考えられるだろう。

なにも分からないまま「みんなそうしてるから」と人生の選択を続ければ、いずれ「ああしておけばよかった」と思う日が来る。

私は社会のはみ出しものになっても好きなことをしてきたから、ここまで後悔せずに生きてこれた。

前科者がなにを偉そうにと思われるだろうが、自分を抑圧して言い訳を並べて死ぬよりずっと幸せだと「私は」思う。

何度でもいうが、人生において重要なのは「私」だ。

友人でも雰囲気でも同調でもなんでもない。

私が私の人生を決めて、私が私の人生を生きて、私が私の人生の責任を負うのだから。


集中することより夢中になれるものを見つけて


集中には限界がある。

仕事も勉強もどんな取り組みも、集中力は思っているより短い時間で切れる。

しかし、夢中になれることに時間は関係ない。

自分が思うだけ没頭できるし、気付けば時間が経っているものだ。

私は普通科の高校を出ただけで、特殊な資格は持っていない。

更に少年院卒という烙印もあるので、子どもに「勉強して立派な大学を出て手に職をつけなさい」などと偉そうなことを言える立場にはない。

だが、こんな私でも食うに困らないくらいは稼げているし、収入と学歴が必ずしもイコールにはならないと知っている。

だから自分の子どもが勉強嫌いでも頭が悪くても全然構わない。

むしろその方が私の子どもらしくていいじゃないかとすら思う。

親や大人から強要されて行うことは、集中力によってカバーする他にないだろう。

逆に子どもの意思でやりたいと思うことなら、集中力より夢中力の方が勝って目まぐるしい吸収力で伸びていくはずだ。

親として子どもに「なにに興味がある?」と選択肢を用意する必要はあると思うが、子どもがなにを選ぶか強要する必要はないと私は思う。

その中から勉強を選ぶか、スポーツを選ぶか、はたまた絵を選ぶのか、それは子どもの感覚次第だろう。

人生の中で「絶対にやらなくてはいけないこと」はそう多くない。

漢字の読み書きと簡単な足し算と引き算ができて、エクセルとワードが使えれば、最低限の収入を得られる仕事には就ける。

一応義務教育まで出ておけば就職できる会社はあるし、会社員になるのが嫌ならフリーランスになればいい。

親が形に囚われてしまったら、子どもの選択肢は必然的に狭まる。

私はなんでもいいから、自分が楽しめることを1番に頑張ってくれればそれでいいのだ。

それが勉強でなかったとしても、生きる上で大した問題ではない。


金銭的に自立しなさい


昔の私はお金がなければ川原の雑草と水で生きればいいと思っていたし、実際にそうしてホームレスも経験した。

お金があるないでなにが変わるのか分からず、仕事のために生きる人に疑問しかなかった。

しかし、生きるためにはお金が必要だ。

時に命よりお金が優先される今の世の中で、子どもにお金の意味を教えない親はなかなかの毒親だと思う。

私の両親は普通の会社員だけれど、母はずっと競馬と株で稼ぎを増やしてきた。

祖母に至っては働かない祖父と3人の子どもを、株で養ってきた人だ。

代々女が働き男は寝そべってた家系だからなのか、我が家系は女の方が圧倒的に稼いでいる。

昔はそんな祖母や母に「お金を稼ぐより家庭を大切にしろ、子どもを見たらどうだ」と言う人がよくいた。

子どもだった私はまるで被害者のように他人から扱われることもあったが、綺麗事を吐かして権利を主張し努力をしない人になにを言われても気にならなかった。

これからの時代、性別に関係なく金銭的に自立していることは生き抜く上で必須だろう。

結婚して専業主婦(主夫)になって…なんていうのは、かなり非現実的な時代だ。

お金や子どもを理由に離婚しない仮面夫婦は世の中たくさんいるが、彼らが幸せだとは思えない。

金銭的自立はある意味で自由を得られる方法であり、他人に依存せず生きることで自分の人生を謳歌できる側面もある。

誰かやなにかにすがって生きるのもいいが、これから先、そう簡単にはいかなくなるだろう。

立派な学歴も、立派な肩書きも要らない。

人の立場に立ち物事が考えられ、世の中の仕組みを理解し、上手いこと美味しく稼げれば親としての心配はない。

私は子どもが20歳になるその日に、1000万を渡せるように貯蓄している。

そのお金を消費するだけの人間になるのか、はたまた投資に回し増やす人間になるのか、今から楽しみである。


子どもに夢を見せるのはテーマパークの仕事


私は9月入学に賛成だが、世の意見を聞いていると大人の事情が優先されているように感じる。

教育現場が混乱すると反対している人がいたが、大人の事情で子どもの将来を決めていいものかと思うのだ。

なにより、コロナで現場が混乱してるのは教育に限らないだろう。

好きで個人事業主になっておきながらこんなときだけ声高々に国に救済を求めるのも私は違うと思うし、それと同じように、悲劇のヒロインを気取るのもいい加減にしたらどうかと思う。

子どもに夢を見せるのは、テーマパークの仕事だ。

親や大人のすることではない。

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