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おもしろさは、ズレを楽しむ寛容さから生まれるかも

先日、おもしろいはどこからやってくるか?という問いを設けて読書会を開催しました。

皆さまはおもしろさは、どこからやってくると思いますか?

ぼくは読書会を通して、2つ要素があるかもと思いました。

それは、ズレ+楽しむ寛容さと主体的かどうかということ。

ズレは、おもしろさをもたらす

お笑いなどでもそうですよね。

ボケは私たちにとって可笑しな行為や言動を表現して、ツッコミはどちらかというと私たちの常識的な眼差しで訂正します。

本や読書会がおもしろいのは、私たちが〇〇だと思っていたことを逆に訂正されるから。

そのギャップが大きければ、おもしろさは、増えます。

感動も予想を超えたときに感動することが多いから、共通するかもしれません。

だけど、そこで大切なポイントがあります。

それは、そのズレを許容できるかが肝になると考えました。

相手から出された自分にはなかったアイデアを皆さんはどう捉えるでしょうか?

もし許容できなかったら、イラッとくるかもしれません。

だけど寛容にそんな意見もあるかもと思えるとおもしろいと感じることが多いです。

主体的であれるか

あとは、主体的であれるかです。

誰かから言われて仕方やると面白くなれない。

言われて、自分で主体的に考えられればいいですが、宿題のようにしなければならないという気持ちだと見つけることは難しいでしょう。

やってみようという気持ちから、新しく自分で発明していくこと。気づいていくこと。

そこからおもしろさはやってくると思います。

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