「人を信じる」ということに揺らぎ続けている
人を信じるということ。
裏切られても、続けている人がいると尊敬する。
信じることは、簡単ではないと思うから。
約束ひとつにしたってそう。
守ると言ってもらったことを守れないまま、連絡もないこともよくある。
その度に、苦しくなったり、期待するということを手放したくなったりする。
山口周さんの投稿みて、ふとそんなことを思った。
自分に目を向けてみる
それと同時に自分すらも、信じられないことがある。
家を出る前にバッグに入れたと思っていたけど、忘れていた書類。
感動した本の内容をきっと忘れないだろうと思っていても、大概のことは次の日にどうしても思い出せない。
宿題だってそうだった。
次の日に提出しないといけないと分かっていても、明日の自分がなんとかしてくれると思って寝たら、次の日ギリギリまで寝てるなんてこともある。
人の意思なんてものは、そんなものだ。
人の可能性を信じつつも、それでもうまくいかないことを自分がよくわかっている。
人を期待しないのは、寂しい。
だけど、裏切られたりしたくない。
相手も裏切ること前提に騙すこともあるだろうけど、本当は裏切りたくないのに、そうなってしまったなんてこともあるだろう。
そんなことをわかりつつ、許せなくなったり、怒ったり、悲しんだりする過程のなかで、人は悟っていくのだろうか。
まだまだ、よい塩梅なんてものはわからないし、もしかしたら明確には見つからないかもしれない。
それでも少しの期待や信じるという心は持ち続けていたいし、期待によって相手に憎しみを抱くこともしたくはないと思う。
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