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小さな声を聴くということ

昨日は朝から歯が痛かった。

痛さに集中力を持っていかれるほどの痛さ。

運よく予約が取れたので、歯医者に行くと痛みのある歯とは別のところが重症だったので治療することになった。

歯を適当に磨いていたわけじゃないけれど、きっと不十分だったんだろうなと反省。

痛みを伴って最近は学ぶことが多い。

自らの身体の声

ところで、今朝は塩谷舞さんの最新刊『小さな声の向こうに』という本を題材に収録して、配信した。

塩谷舞さんの3年ぐらいのことが綴られたエッセイ集だ。

読むと、いろんなことを回想して、あのときの自分と出会える機会がある。

はじめにが全文公開されているので、はじめにだけでも読んでみていただたい。

心の様子を窺いながら言葉を綴る。その結果できた文章は「商品」としては世にだしづらいものばかりではあったけど、書くことは仕事である前に、生き甲斐でもあったことを思い出した。
まるで自分に対してセラピーをしてやるように、文章を書き続けた。

『小さな声の向こうに』はじめに

心理学者の東畑開人さんは、セラピーのことをケアと対比してこのように紹介していた。

ケアとは「傷つけない」「依存を引き受け日常を支える」ことを大事にし、セラピーは「傷つきに向き合う」「非日常の葛藤から成長する」ことを目指す、と言えるようだ。

東畑開人『居るのはつらいよ』

まさに、塩谷さんのエッセイを読むと自分にとってもセラピーになっている気がする。

言葉にする勇気

小さな声はどのようなことなのか。そのことについても、はじめにの部分で紹介されていた。

小さな声〟というのは、物言わぬものたちの声であり、自らの身体の声でもあり、他者と共に生きる上でのさまざまな摩擦であり、そして経済合理性が追い求められる社会の中では掻き消されてしまいがちな「美しいものを守りたい」という叫びでもある。

『小さな声の向こうに』はじめに

まだ言葉になっていないけど、自分のなかにあるものを他者や社会を気にして掻き消ししまうことがある。

ほんとは大切にしたいけど、そんなことは綺麗事であるとか、とはいってもというカウンターが頭に浮かびとどめてしまい消えていく。

そんなまだ言葉にならない声を書こうとする勇気をもらった気持ちになった。

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