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エッセイ『平成生まれの怪獣少年』11 ~ウルトラマンの自転車~


いつものサムネ画像のウルトラマンの自転車は、今も一緒に暮らしている父方の祖母に買ってもらったものです。
以前、軽く予告はしたと思うのですが、このウルトラマンの自転車についてのエピソードをお話しましょう。



もらった夢が一番の補助輪


こちらは、1997年11月12日撮影のお写真。
ウルトラマンの自転車を祖母に買ってもらった頃の写真です(わざわざ出来事ごと書いてあって、これ以前の自転車の写真もないので、買ってもらったか届いたかした当日の写真なんじゃないかな、多分)。

で、確かこれは私の家から駅までの間にあった個人経営の自転車屋さんで買ってもらった物ですね。

この自転車屋も多少エピソードがあって、まあ最寄り駅と我が家の間くらいにあった自転車屋なんですね。
とある老夫婦が経営していて、確か私が高校一年生の頃に使うのが最後になったお店です。
旦那さんの方が亡くなってから、またしばらく経営は続いていたのですが、今は既にないお店。
奥さんの方がまた関西人かと思うほど気さくでよく喋る方で、「自転車の修理を依頼してから実際に直るまでにマシンガントークが始まる」……というだけでなく、修理や会計が終わって帰ってからも家に電話がかかってきて「お菓子あるんだけど一緒に食べる?」と誘われるような感じのお店でした(断ってしまった事はいまだに後悔しています)。
一方、亡くなった旦那さんの方は黙々と自転車の修理をこなす温和そうな職人の方だったのを覚えています。
この辺りは、どこにでもある、ごく一般的な田舎の商店街の風景ですよね。



幼い頃の私も、たくさんの自転車が飾ってあるあのお店の中で、「これがほしい」と選んだのがきっと、ウルトラマンだったのでしょう。
子供向けのキャラクター物があんまりなかったのもあるんでしょうが、たぶん、ミッキーやドラえもんと一緒に並んでいても迷わなかっただろうと思っています。



はいこれがサムネのでかい版です。
自転車と私の画像は、なんやらかんやらとニコニコして嬉しそうなものが多いですね。
この自転車に乗っている写真はやたらと多くて、アルバム上では4ページも続くんですが、翌年1998年の年賀状のために私を撮影していたらしく、そこはその関係です。


そういえば、小さい頃にはよく、夢の中にも自転車が出てきた事を覚えています。
茨城の母の実家にこの自転車で行く夢とかを見たかな……?
あとは、外に置いてあるこの自転車が台風で飛ばされて行ってしまう夢なんかも見た覚えがあります。
だいたい、幼稚園以外で出かける時はよく一緒でした(祖母と近くのスーパーや本屋まで一緒に買い物に行く事が多かったのです)から、頭の中からウルトラマン自転車のイメージが離れていく事はなかったのでしょうね。
移動手段というだけでなく、幼い私にとっては、めちゃくちゃ大事なモノでした。



そして、この自転車の補助輪が外される事になったのは、確か小学一年生の時です。
周りがみんな補助輪を外して自転車に乗っているのに対して、私はずっと補助輪をつけたままだったんですね。


だから、母と一緒に来る日も来る日も家の前で練習して、この自転車に乗ろうと頑張りました。
まあ、自転車に乗る練習って難しいうえに、まったく進歩できている感じがなく、ほとんど諦めつつあったんですが、母もそれなりに厳しく指導して、なんとか乗れるようになったのを覚えています。
(これはまあ、母が厳しいのも仕方ない話なんですが、うちは小さい弟もいたので、その関係で遠くに行く時はママチャリの前後に子供を乗せざるを得ない危険な状態で運転する事になっちゃってたんですね。その状態を早々に解決しなければならなかったのでしょう。)


厳しいって言っても、まあ泣くほどでもなく、気が進まない日が多かった中で、ちゃんと継続を促されるって感じでしたけどね。


それから数ヶ月くらいは経ったんでしょう。
初めて乗れた時は、思いがけないほど長い距離を運転する事に成功し、驚いたのを覚えています。
家から数えると道路を三回曲がったところで終わった形で、具体的な終了地点まで今も覚えてますね。
それからまたしばらく練習して、完全に自転車に乗れるようになっていきました。


ああしてちゃんと乗れるようになったのも全部、母や祖母、自転車屋さん、そしてウルトラマンのお陰だったんでしょうね。
私は、「みんな補助輪つけてないのに自分だけ補助輪ついてるのも嫌だけど、練習もめんどくさくて嫌だ」みたいな状態だったんですが、そこが乗れる形になったのはウルトラマンが支えてくれたおかげな気がします。
たぶんですが、ウルトラマンでなければ練習のモチベーションは凄く低い物になってたんじゃないかな。

その後、初めて自分だけで家からちょっと遠くに出かけたのも、この自転車と一緒だったくらいなので、なかなかに助けてくれた相棒だったのでしょう。

それがやがて、今度は弟におさがりされて、また補助輪を付け直して、今度は弟がこの自転車に乗れるようになった形になります。
それにしても、自転車としてはかなり長い現役時代を越したヤツでしたね……。流石にパワフルなやつでした。


たぶん、小学校三年生くらいで今度は別の自転車に買い替え、その後で今度は周りがママチャリになったから中学一年くらいでママチャリに……という感じで乗り換えが進んでいき、弟もこの自転車を手放すと、ウルトラマンの自転車は役目を終えて眠りました。
本当は少し取っておきたかったくらいですが、流石に置く場所もなく……。
まあ、取っておいても蔦や土ぼこりだらけになっていくだけなんでしょうね。


今でも、私の移動手段は大抵自転車で、免許を持っていても結局あまりクルマを使わないし、他県にもよく自転車で行くくらいには自転車に乗っているのが好きになりました。
千葉県内にある私の家から熱海とかに行った時なんかも、どこかでウルトラマンが支えてくれたのでしょう。
横浜なんかは特に、ウルトラマンに導かれて行ったのかもしれませんね。


旅のはじまり。





今回のまとめ:ミキハウスの服は万能。





次回はちょっとウルトラマン以外の記事を箸休めにしようかな。



いっこ前の記事。


これより前のお話はこちらのマガジン参照です。

概要
その1→エッセイの意図と説明

「昭和ライダーとの思い出」編
その2→1997年の『仮面ライダー大集合』ショー
その3→仮面ライダーケーキ、仮面ライダーシンの人形の話
その4→再編集VHSとの思い出話
「クウガとの思い出」編
その5→クウガ視聴当時の事・前編
その6→クウガ視聴当時の事・後編
「ゴジラとの思い出」編
その7→FWまでのゴジラについて書いてあります。
「ウルトラマンとの思い出」編
その8→サンタがくれたソングコレクションについて
その9→ウルトラ兄弟やゾフィー兄さんについて平成世代の私見
その10→ティガ・ダイナ・ガイアの映画


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画像は幼少期の私の思い出の写真なので、無断転載はご勘弁を!


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