自戒するにわとり

心に浮かんだことを忘れるために書きます。 植物が好き。農業を教えたり農業したり。うつ病…

自戒するにわとり

心に浮かんだことを忘れるために書きます。 植物が好き。農業を教えたり農業したり。うつ病治療中。♯鬱日記のタグが付いているものは体調記録を兼ねているので気分を害される方もいるかもしれません。ご注意ください。

最近の記事

属したい

 なにかに属していたい。  日々、発生する不安の多くはこれだと思う。  自分のことを認めてくれる人が欲しい。反対に人に否定されることが怖い。人を否定することで自分は正しいのだと主張したい。  すぐに崩れ去ってしまいそうな自分の足場を少しでも固めるためならば、あらゆる方法を取る。もしくは孤独感を忘れられるまでじっと耐える。  疲れているときはだいたいこんな思考。

    • 友人と話す

       最近、悩んでいることが多いなと思っていた。  転勤や、同棲、これから始まる諸々を考えると想像が果てしなく肥大していく。考え始めると私の頭の中のワーキングメモリはすぐにいっぱいになってしまう。そうしてフリーズしてしまったらあとはYoutubeを観るか、ゲームをするか・・・。トイレにいくのも、風呂にはいるのも、食事さえもめんどくさい。  こうなってくるとさすがに日常生活に支障が生じる。平静を装って仕事に行くが、職場の人も見て見ぬふりをしてくれているのかもしれない。  そんなとき

      • 「しょうがない」が増えてきた

        最近の自分の生活を見直すと、「しょうがない」と言っていることが多くなってきたと思う。 ”諦め”のような。過度に期待しないようにすることで、予想と違ったときに自分ががっかりしすぎないようにするための防衛反応。 子供の頃に教えられたことは大概間違っていた。 と、気がつくと考えている。いい年になった大人が情けないとも思うが考えてしまうものはしょうがない。 今もつい出てきた ”しょうがない” 。 この言葉は現状に納得していないときに出てくる。 この言葉はそれ以上”問題”について考

        • 221016note_充実した週末

          音声日記 音声には「COEIROINK on VOICEVOX - Ver. 1.6.0 - CPU」を使用させていただきました。

          お絵かきAI

           自動でイラストを生成する画像生成AIが発表されている。  なんだかSFが現実化したみたいで少しわくわくするが、例えば絵を書くことをお仕事にしている人はどうかなどと考えるとゾッとする。 機械が発達してきて、人がおこなってきた作業を代替する存在が出てきたときに人間がどう感じるのかという質問に対する回答をいま人間が出している真っ最中のような気がする。  そもそも人の仕事を代替するモノはこれまで無数に開発されてきた。洗濯機があるおかげで、個人レベルで服を洗うお仕事は消滅した。本の

          努力主義

          「努力」について考える機会があったので備忘録 努力を経て何らかの成果を勝ち取った話を聞くと、潔いと感じる。がんばれば認めてもらえる、報われると私は思い込みたい。 しかし、そこには落とし穴がある。 努力をどのように計測するのか 成果が出ればたやすく努力をしたという実感が持てるだろう。スポーツの大会で1番になったとか、100時間の残業をしたとか。これらは1とか100といった数値を係数として努力を計測しようとしている。その計測方法はいかにも合理的に見える。AさんとBさんの努力量

          日曜の朝

           休日に早起きしていろいろできる人に憧れる。マラソンしたり、家庭菜園をしたり、旅行に行ったり・・・。せっかくの休みの時間を体力回復だけに充てるのは非常にもったいないと私は思ってしまう。そんなことを考えながらも、特に何もするわけではない。例えばゲームをして今までクリアできなかったステージをクリアするのに充てるのだって十分有効な休みの使い方なのだろうと、こうして文章に書き起こしてみると確かに思うが、なんだか終わったあとに虚しく感じる。  そうこうして、何かしっくりこないという自分

          どうしたものか

           職場の上司が細かいことにまで目くじらを立てるのが嫌だ。  言葉にしてしまえばよくある陳腐な悩みのように思えるが、当事者にとって切実な悩みだ。  はじめは、私はなにか重大なミスをしてしまったのではないかと悩んだ。何か大きなミスをして彼をイライラさせていることで日常の枝葉末節にまで口を出されるのではないか。しばらくするとどうも違うようだということに気づいた。二人でいると私に、周りの人の愚痴を投げかけてくる。だとしたら私の愚痴も誰か他の人に言っているのだろう。  気にするだけ損だ

          どうしたものか

          国葬って何?

           燃えるかもしれないけれど気になったので書きます。  元国会議員の安倍晋三さんを国葬するかどうかで連日盛り上がっています。私には学がないので国葬がどういうものなのかとか、それに国民の税金を使うことがどういうことなのかとか、安倍晋三さんがどういう人だったのかとかはよくわかりません。 ただ、連日の盛り上がりを見ていて気分が悪くなります。  ひとつは、安倍さんの周りの方の心中。安倍さんは公人だったかもしれないけれど、誰かの兄弟で、誰かの夫で、誰かのお父さんで、誰かの友人だったは

          カップ式自販機と伊坂幸太郎氏と文章を書くこと

          普段はほとんど自販機を利用しない。コスパが悪い気がして水筒を持ち歩くようにしている。ティーバッグをいれて氷をいれて、水をいれて、安く済む。わざわざお金を払って少ない飲み物を買うのが私にはどうしても馬鹿らしく思えてしまう。いわゆる貧乏性かも知れない。 そんな私が今日、久しぶりにカップで販売されている自販機を利用した。車の車検があり、作業に3時間ほどかかると言われてしまったのだ。そんなことでいまガソリンスタンドの店舗内でパソコンを叩きながら待っている。そのデスクワークの相棒とし

          カップ式自販機と伊坂幸太郎氏と文章を書くこと

          おつかれさま。 とりあえず今日が終わった。 長いようで短い9時間20分。 その中で僕は何をしたかな。 きっと大したことはしていない。イモムシみたいにもぞもぞ、少しずつじりじり、なんとなく今日を過ごした。 誰かを助けたかな、その分誰かに助けてもらったかな。 数日後の僕はここにいない。 思いやって言った言葉が嘘になる。 これからもよろしくね。 あと100時間もない。 また明日もその内の8時間を刻む。 とりあえずおつかれさま。

          お世話したい中毒について

          今日もおつかれさまです。 特に努力しなくても進んでいくものは時間だ。 あと内臓の動きとか季節の変化とか。 そういったものに対比するように私は能動的になにか生産をしたいと思う欲求がある。例えば畑仕事をしているときに思う。この野菜たちに何も手を加えず放置したらどうなるんだろう。野菜たちには私という人間のエゴに付き合ってもらっている。畑の中に種を撒かれ、物理法則に従って代謝を回し、たまに加えられる天候や人の手入れの影響を受けながらも、花を咲かせ結実し、遺伝子を残す。 それを見

          お世話したい中毒について

          雑記

          大学院を卒業して以来、なにかわからない鬱々とした気分にさいなまれていることが多い。 私の獲得した修士号とは何なのか。なんの役に立つのか。 今のところ同じ大学を卒業した人と偶然出会ったときに思い出話をする程度のことにしか使われたことのない資格。印籠のように決め台詞でも吐きながら卒業証書をかざせばよいのだろうか。 まあそれは別によい。大学で研究という経験をし、論文や学会発表という形で今後頑張っていくための糧を手にしたから。 だがそれも同様の疑問が浮かぶ。なんの役に立つのか。

          忘れ物

          鼻の奥のほうが少ししっとりするのがわかった。 肌の毛が少し立ち上がる。 普段から癖のある私の髪はカールが少しだけつよくなる。ついでに少し頭がいたい。 「これは早めに帰らなければ」 無造作に机の中の教科書やノートをカバンに詰めて昇降口に向かう。 階段は一段とばし。職員室のかどで上履きがスリップしそうになる。 下履に履き替えて外に出たときにむわっとした空気が体にまとわりついた。 土の匂い、草の匂い。 西の空が薄墨色から鼠色にかわる。 名前は知らないがあの山のてっぺんにかかる雲が

          緩衝材の弊害

          今日も精神科の先生に診療を受けてきた。ここ一年半くらいずっとお世話になっている。「君はまじめだから仕事に関しては心配してないけど、自分のことを大切にね。」と言われた。 そう、この一年半この先生に寄り添ってもらったから自分というモノの形が少し認識できたのだ。自分がどういう形をしているのか知るためには、外界のモノに触れて相対的に知覚することが寛容だと、本当につい最近まで私は気が付かなかったのだ。しかし、プライバシーといった概念で事前に保険をかけている現代では自分の形を知覚できるほ

          さもありなん

          身におこること一つ一つに「なんで」って思っていた。 私の身の上話をすればキリがない。 介護もブラック労働も病気もなんで自分に降り掛かってくるのかわからない。 内側からみた自分の周りの世界はおもったよりも過酷で、傷つくことを怖れていたら生きていくことができない。 そもそも傷つかずにいきていけると思っていることが間違いだった。 守られているものだと過信していたのだ。 生きていくにはあんなこともそんなこともある。 誰しもそれぞれに苦悩がある。 だから不幸を嘆いてもしょうがないと思