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怪我をしたのは手と足だけど…

 起立性調節障害で学校を休みがちな次男坊。
 筋力も落ちてます。
 学校に行けた日は、ぐったりして帰ってくることも多々あります。
 今日は、何とか給食の前に登校できたわけなのですが、どんな顔して帰ってくるのかなと不安と期待で待っていました。

 そしたら号泣での帰宅。
 両手をケガして、足もケガして、服が破けていました。
 まぁ、ひどい泣きっぷりなわけです。
 年齢にそぐわない泣き方なんですけれども、これは恐らく他の理由もあるなと思って
 次男の話しを聞いてみました。

 要領得ません笑

 落ち着かせて話しを丁寧に訊いたら、どうもこけた時に、早く立てとかそれくらいみたいに、言われたようです。
 それがとても悔しかったとか。
 こけたことに対しても、バカにして笑われたとも言っていました。

 手足のケガも辛かったのですが、彼の中では笑われたことが一番こたえたわけです。

 という流れの号泣っぷり。
 あまりの泣き方に、私は噴き出してしまいましたが、自分の心を落ち着けて話をしてみました。

 さて、笑った子の気持ちとはどんなところにあるかです。

 要は自分より不幸な人を見て、笑うことによって、自分の方が上に立っているというのを確認したいだけなのです。

 本当に幸せな子が、けがをして泣いている子を見て、笑うんだろうか?
 あぁ、こけたな、泣いている、痛そう。立てるかな?
 そんな風に思うんじゃないかなと。
 あなたなら、どんだけ嫌いな人であっても、こけて怪我をしている人を見たらどう思う?
 大丈夫かなって思わない?
 あいつこけたな、って笑う?

 彼は否定しました。
 どれだけ嫌いであろうと、こけて怪我したことは、気の毒で可哀想だから心配になる。
 そんな返答をしました。

 そこなんだよ。
 笑った子は、きっと幸せを感じていないから、自分よりも不幸な子がいると、自分よりも下の人間がいると思って安心するんだよ。
 可哀想な子なんだよ。

 敢えて可哀想な子、と、次男に分かりやすい言葉を使いました。

 悔しさでずっと泣いていた次男は、納得できたようで少しではありますが、悔しいのが減ってきたと言っていました。

 本当に気持ちの余裕がある人は、大人であれ、子供であれ、人の不幸は喜ばない。
 そしてその幸せは、誰によって作られるかというと、自分の中にあるのです。
 子供のうちは親との関わり合いも大きいかと思います。
 不思議なことに、次男坊は、家族が一番と思っていて、それを信じています。
 私は決していい親ではないのですが、次男は私を大事に思ってくれています。
 長男には無い熱量で、びっくりすることがあります。

 お父さんはこんな話してくれないでしょ
 と、主人を引き合いに出す私笑

 次男坊はさらりと言いました。
 お母さんはためになる話をしてくれて
 お父さんは笑える話をしてくれる
 役割が違う

 彼の中でしっかりと、親の特徴を捉えて、求めているものも違うのは成長だなと思いました。

 手足の怪我はいつか治ります。
 気に入っていた服も、つぎ当てれば着れると本人が言いました。
 心の傷は、きっと消えはしません。
 いつまでも残るのですが、平気になって来るでしょう。

 こうやって悔しかったり悲しかったという気持ちがわかって、成長出来たねと伝えると、小さく頷いていました。
 同じような人を見た時に、助けれるねとも伝えました。

 発達にも問題を抱え、人よりも成長が遅い面を持っているうちの子たちですが、こうやって他者に対する思いやりとはどんなものか
 というのを学び取っていける気持ちがあるのは、親としては嬉しいです。

 長男も軽い反抗期ですが、そのことも次男は察して、つかず離れずの付き合い方をしています。
 色んなことを経験し、辛い気持ちを抱えたりしながら、思いやりや感謝を持てる人間になってもらいたいなと思うこの頃です。

 私はというと、実は個人主義なので、他人のことは知ったこっちゃないというのがベースにあります。
 本来の自分はどうなのだろうかと考えると、小さなことに心を揺さぶられる小心者なのですが
 こういう部分が、子供には遺伝子内で欲しいなと思っています。

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