- 運営しているクリエイター
記事一覧
「見られる用文化」のはざまで⑩ーどの人も美しい顔を持っている
世の中には、女性を蔑めようとするときに「ブス」と言えばいいと思っている人が存在します。
男性だけじゃなく、女性にもいるし、子どもでさえその感覚を身につけていたりします。
最近、そういう人の言動を目撃した時に、ふと私の心に浮かんだ言葉がありました。
「人の顔をそんなふうに見るのは不幸なことだな。私は私の友達みんなの顔をそれぞれに美しいと思う」
私自身もその思いがふいに浮かんできて、その時初めて
「見られる用文化」のはざまで⑧ーなぜ女同士はいがみ合っているとされるのか
「女同士はドロドロしている」
本当に生きていてめちゃくちゃ言われます、この言葉。私自身はそういう経験がほとんどないので、一体なんのことを言われているのかわからなくて、苦笑いするしかできない言葉です。
ロフトのバレンタイン広告が悪い意味で話題になっていますね。
「女の子って楽しい!」というコピーを銘打ちながら、足を引っ張り合い、マウントを取り合う女性同士を描写する広告。
批判的な声が多く
「見られる用文化」のはざまで⑦番外編ー女の子と友達になれるのは誰か
今回は番外編として、「女の子と友達になれるのは誰か」というテーマで書きたいと思います。
これまでこの連載シリーズでは、「女性は見られる用の存在であるべき」とする「見られる用文化」がこの社会に存在している、という話をしてきました。
生まれて「女の子」と呼ばれた瞬間から、人としてではなく「女」として扱われる瞬間が、折にふれ訪れます。
物心つくかという頃から、「女の子は人目を気にするべき」と教え
「見られる用文化」のはざまで
「見られる用文化」
という言葉を提唱したいと思いまして。
こういうことを考え始めたきっかけは、以前の記事に一度書きました。
「見られる用じゃない」、ただの自分になる
しかしその後も、考えれば考えるほどに、世の女性が直面させられているジェンダー問題の根っこには、ほぼこの「見られる用文化」の問題がある気がしてきたのです。
「見られる用文化」とはなんぞや?ということを説明するにあたり、まずはこ