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「見られる用文化」のはざまで

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連載「見られる用文化」のはざまで 女性として生まれたその時から「女の子は見られる用」とされる社会通念・現象・習慣について考察し語った全10回のコラムです。
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記事一覧

「見られる用文化」のはざまで⑩ーどの人も美しい顔を持っている

「見られる用文化」のはざまで⑩ーどの人も美しい顔を持っている

世の中には、女性を蔑めようとするときに「ブス」と言えばいいと思っている人が存在します。
男性だけじゃなく、女性にもいるし、子どもでさえその感覚を身につけていたりします。

最近、そういう人の言動を目撃した時に、ふと私の心に浮かんだ言葉がありました。

「人の顔をそんなふうに見るのは不幸なことだな。私は私の友達みんなの顔をそれぞれに美しいと思う」

私自身もその思いがふいに浮かんできて、その時初めて

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「見られる用文化」のはざまで⑨ーまーちゃん

「見られる用文化」のはざまで⑨ーまーちゃん

まーちゃんがすごいです。

…っていきなり言われても、「まーちゃんって誰ですか?」って感じですよね。モーニング娘。'19のメンバー佐藤優樹(さとうまさき)ちゃんのことです。

と言われて、「最近話題のあの子か!」とピンと来た人もいるかもしれません。話題というのはこちらの一件です。

この佐藤優樹さんの発言について、ざっと見たところモーニング娘。ファンの方々にもおおむね好意的に受け止められているよう

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「見られる用文化」のはざまで⑧ーなぜ女同士はいがみ合っているとされるのか

「見られる用文化」のはざまで⑧ーなぜ女同士はいがみ合っているとされるのか

「女同士はドロドロしている」
本当に生きていてめちゃくちゃ言われます、この言葉。私自身はそういう経験がほとんどないので、一体なんのことを言われているのかわからなくて、苦笑いするしかできない言葉です。

ロフトのバレンタイン広告が悪い意味で話題になっていますね。

「女の子って楽しい!」というコピーを銘打ちながら、足を引っ張り合い、マウントを取り合う女性同士を描写する広告。
批判的な声が多く

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「見られる用文化」のはざまで⑦番外編ー女の子と友達になれるのは誰か

「見られる用文化」のはざまで⑦番外編ー女の子と友達になれるのは誰か

今回は番外編として、「女の子と友達になれるのは誰か」というテーマで書きたいと思います。

これまでこの連載シリーズでは、「女性は見られる用の存在であるべき」とする「見られる用文化」がこの社会に存在している、という話をしてきました。

生まれて「女の子」と呼ばれた瞬間から、人としてではなく「女」として扱われる瞬間が、折にふれ訪れます。
物心つくかという頃から、「女の子は人目を気にするべき」と教え

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「見られる用文化」のはざまで⑥ーアイドルは「見られる用」にならなくていい

「見られる用文化」のはざまで⑥ーアイドルは「見られる用」にならなくていい

ショッキングなニュースがありました。アイドルグループNGT48のメンバー、山口真帆さんが暴行被害にあった事件のことです。

アイドル活動をしているために被害に遭った女性がいるということ自体、近年繰り返し起こっていることですが、痛ましくショッキングです。
しかし今回はそれだけでなく、運営が事実を隠蔽し然るべき対処をしなかったために、被害者である山口さん本人がリークせざるを得なかったという事態が、より

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見られる用文化のはざまで⑤-Aマッソ(後編)

見られる用文化のはざまで⑤-Aマッソ(後編)

あまりに長くなってしまったので、前後編に分けました(笑)
前編はこちら。

Aマッソの摩擦とジレンマ Aマッソの笑いは、ほとんど「女の領域」とされる容姿やエイジズム、ファッション、恋愛などとまったく関係なく展開されている…ということを前編までで語ったわけですが。

しかしおそらく、彼女たち自身は、狙ってそれをしているわけではなく、好きなお笑いを追求してきた結果現在のスタイルになった部分が大きいので

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見られる用文化のはざまで④ーAマッソ(前編)

見られる用文化のはざまで④ーAマッソ(前編)

はい。今回のテーマ、Aマッソです。前回までの連載からいきなり話がぶっ飛びますが、私が今大好きな女性お笑いコンビです。

単純に大好きというのもあるのですが、すごくこの人たちについて、ジェンダーの観点から語りたいことがふつふつと湧き上がっています。
そもそもお笑いの世界とは、「女性は見られる用であるべき」とする「見られる用文化」と、とても複雑な関係にある世界だと思います。

さておき、まずはAマ

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「見られる用文化」のはざまで③―本当に「わたしは、私」か?

「見られる用文化」のはざまで③―本当に「わたしは、私」か?

書きかけの記事があったのですが、女性の「見られる用文化」に関わることで、正月早々気になるトピックスが浮上したので、そちらを先に書きます。

最近話題の西武・そごうの広告です。

すでに出ているいくつかのわかりやすい批判を紹介します。

このことに関して、「見られる用文化」の観点から考えるとどういうことになるだろう?と考えていました。
すると、こんな言葉が頭に浮かんできました。

「その私、

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「見られる用文化」のはざまで②ー「男まさり」な少女時代

「見られる用文化」のはざまで②ー「男まさり」な少女時代

連続コラム『「見られる用文化」のはざまで』の第2回です。(→前回記事はこちら)

前回「見られる用文化」という言葉を提唱したい!と息巻いてましたが、よく考えたら同じ意味の用語が社会学とかフェミニズムの分野にはすでにあるかもしれません。
まあでももっと勉強していく先に「私はこのことが言いたかったんだあ!」というアハ体験があっても、それはそれで良いんでないかと思って恥を覚悟で書いてまいります。

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「見られる用文化」のはざまで

「見られる用文化」のはざまで

「見られる用文化」

という言葉を提唱したいと思いまして。

こういうことを考え始めたきっかけは、以前の記事に一度書きました。

「見られる用じゃない」、ただの自分になる

しかしその後も、考えれば考えるほどに、世の女性が直面させられているジェンダー問題の根っこには、ほぼこの「見られる用文化」の問題がある気がしてきたのです。

「見られる用文化」とはなんぞや?ということを説明するにあたり、まずはこ

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