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大ナタを振るえば問題解決?

歴史を学んだ上で感じることは、現在に至るまで不思議に連綿と続く「全ての問題は大ナタをふるって誰かをどうにかすれば解決する」と言わんばかりの行動、処し方が多いな、と。

歴史学の良い所は過去から現在までどんな事例があったか?ただ事象を追うのではなく、しっかり分析、考察していくと「見える」ものも多いこと。

ただその歴史学では象徴となる「大きな出来事」を記載するから、その背景、周辺事情まで学んだり調べて行かないと押さえきれないですけど。

本来は「問題」って複合的に生じており、「属人」にさせてしまうと上手く解決できないことが多い。その仕組み、システムに因るもの。「属人」ではあるけど、複数の人が絡んでいるもの。

ただなんとなく「誰か」に全ての問題を押し付けて大ナタをふるって排除すればその問題は「解決」したように見える。いやはっきりいって「見せかける」だけでしかない。

なのでどうも「歴史は繰り返す」というパターンが多い。

誰しも「快刀乱麻」に問題の解決を図りたいと思うでしょう。それで成功すれば「英雄」、功績が得られ、失敗したらそれも「大ナタ以前」にしてしまえば良いから。

歴史から学び、しっかり「歴史」として記録、その後検証を経るようにしないと「後世、歴史が判断する」ということが出来なくなり、こういった「大ナタ」の横行は減ることがありません。

結局大ナタを振るった人は「功績」を得、問題の本質は歴史の闇に葬られる。それでは発展性もないし、くすぶり続けて当然。だから繰り返す。

またこの「大ナタ解決法」は悪いことに見栄えが良いため、横行し易いんですよね。全く背景も事情も違うのに「同じような解決法」を取りたがる。

それではまともに解決しないし、あちこちで不具合が生じることは必定。しかしそうなっても当の本人は「解決した」と思っているので解らないまま。

そうやって歴史上多くの強大な国や組織が転覆、衰退していく事例を見ることが出来ます。

歴史を学ぶことが必要だと思うのはそのあたり。その問題解決方法が果たして良かったかどうか。この「歴史は繰り返す」が起きていないかどうかを考察する力が養われる。

「英雄主義」から脱して、丁寧に問題にあたり地道に解決を図る人を増やしていく。その評価がしっかり出来るようにする。

こういった姿勢や進め方を出来るように自分もしていきたいし、伝えて行きたい。「教育」という意味でも、有為な人材という意味でも。

今はあまりもてはやされない「歴史学科」ですが、そういった目を養う為にも如何ですか??


★参考に★

以前に書いた「歴史学」について。また質感が違うnoteになっておいます。



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