「役割意識」に縛られすぎない親でいたい

ぼくは「あなたは〇〇なんだから、こう振る舞うべき!こう意識すべき!」って言われるのが凄く嫌なんですよね。
要は「役割意識の押し付け」をされるのがすんごい嫌。

役割意識ってなんぞや

自分が今いるポジションを明確化して、それに合わせて自分の立ち振る舞い・考え方をコントロールすること、またその為の意識は「役割意識」と呼ばれ、使いようによっては仕事等でいい成果が出せたりするのだけれども…
それを他者から押し付けられたり、自分が役割意識に過度に縛られると、一気にしんどく、生きづらくなっちゃうんだよね。

自分の場合おそらく人生で最初か2番目かくらいに植え付けられた役割意識が「親と子」だったかな。
「男女役割」とのトップ争い。これもまあ大概しんどい。
男だから泣くな、女だからお淑やかにしろ、みたいなの。

親子役割のしんどさ

親から「自分は親だからお前の為に(自分を削って)ここまでして(やって)るんだ!」に類する事を言われるのって嫌じゃない?
そんな事を言われた事がある人ってどのくらいいるかな?

そして、その時にどう思っただろうか?
「こんなに思ってくれてるなんて!うれしい!愛されてる!」
と思っただろうか?
それとも「うぜえ」と思っただろうか。

ぼくの場合、子供としての立場でそれを言われた時の事を思い出すと、ただただ萎縮していたように思う。
「親が自分を削って自分の為に動いてくれてんだから、自分も子供として親の望むような人間でいなきゃ」みたいな抑圧を自分で自分にかけていたというか。

それが頭の中で明確に言語化されてた訳じゃないんだけど、無意識領域でそう感じちゃってたんだよね。
親に望まれた子というロール(役割)を演じる為の意識が、自分が本来抱く感情を押し込めているため、間にいる自分はいつでも板挟みで窮屈な状況。

自分の感じている事を言語化して誰かに伝えられれば多少は楽になっていたかもしれなかったんだけど
子供の頃の自分は感情の言語化がはきわめて下手だったので、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えながらも感情に蓋をしながら生きていく以外に無かったように思う。
そして度々、自分の感情が抑えきれず噴出して自他に対して暴力的になったり、問題行動を起こしていたことも多い。

実際、親になってみて

去年10月に子どもが産まれ、もうすぐ1年。
子どもはようやく1歳になるかというところで、役割意識の押し付けどころか言語コミュニケーションもままならない状況。

子どもが言葉を覚え、それを使い始めたとき
親である自分は子供にどう接していくのか、どう接したいのかはまだはっきりと見えないでいる。

ぼく自身が親から植え付けられた「親子の役割意識」は、いろいろと気づいて言語化し昇華していった今となっては随分消えたように思える。

が、人は幼少期や多感な時期に長きにわたって受けた抑圧が無意識領域の深いところに食い込み、とっさの状況で表に出やすいという傾向がある。
抑圧とはもちろん暴力なんかも含むわけで、虐待の世代間連鎖とはまさにこの辺りの現象が起きた結果であることが多いように感じる。

世代間連鎖を止める為に

近い将来、子どもが「自分の子供として相応しくない」とぼくが感じる行動を取った時、ぼくはその時子どもに対してどの様に接することになるのか、そこが多少不安かな。

勿論、子どもに対して役割意識を強要などはしたくない。
そのために自分が心がけておくべき所はあるだろうかと考えた…ところでぼくは考えるのを一旦やめた。

今の心の動きは、自分に対する「良い親」という役割意識の押し付けでは?と感じたのだ。
役割意識を他人から強要された抑圧は、自分自身の感情と徐々に不一致を積み重ね、後々に問題になるが、自分で自分に強要する役割意識の押し付けも、問題の火種と十分なりうる。まさに自縄自縛だよね。

そもそも、誰かに優しくしようと思って実際に優しく接する事が一時は出来ても、それが役割として演じられた自分でかつ、その役割と自分の感情との不一致が少しでもあった場合、関係は早晩破綻する。そんな経験は何度もしてきた。

これではたぶん、何も解決しない。

親が楽であれば子供も伸び伸び暮らせるんじゃね?

でまあ、いろいろと考えた結果
親自身に余裕が必要であるという結論に達した。

で、自身の余裕にはなにが必要かとなると
まさに「役割意識の放棄」が大きなファクターであるように思う。

最初に書いた通り、役割意識による仕事上の成果というのもあるにはあるので
役割意識の全部を捨てるというより、自己不一致の元となる役割意識をピックアップして捨てていく…という作業が重要になってくるんだよね。

自分を抑圧するものを適度に捨てて、楽しく暮らしてた方が
それを見ている子どももつられて楽しく伸び伸びと育つのでは?と思える。
単純な話だけども、子供は親をよく見ている。なんてことはよく言われる話。

そもそも自分も親の様子を見ながら育ったわけで。その結果がまあしんどいものであった。
世代間連鎖を止めるには、まずこういったところに気づいて目を向けてみることがまず最初に必要なのかもしれない。

そんなことに気づかされたのは、実際に親になってみたこともあるのだけども。
言い換えれば子どもという存在に教えられた、とも思えば
この先自分がどんな親になっていくのか、多少楽しみになってきたかもしれない。

役割意識は多種多様

勿論、役割意識には「男であること」「女であること」「夫であること」「妻であること」
という風に多種多様のものがある。
それらの役割意識を、自分自身の選択として持っているのであれば特段問題も起こらないかもしれないが、もしその役割意識が重荷に感じたり、しんどくなってきたりしたら、一度自分の感情と突き合わせてみることをお勧めしたいと思う。

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中村カズノリ

エンジニアとカウンセラーの二足の草鞋で「カウンセリングエンジニア」と名乗っています。 家族問題(DVモラハラ毒親等)やブラック会社等によるしんどさに対する相談が中心。最近のエネルギーの使い道は主に育児
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