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ザナチュラルキラーズです。曲を作って歌ってます。 名前はがん細胞をやっつけるというナチ…

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ザナチュラルキラーズです。曲を作って歌ってます。 名前はがん細胞をやっつけるというナチュラルキラー細胞からつけました。

マガジン

  • 鹿児島3days

    2024.2.8〜2.10 まで。 人生初の鹿児島LIVEで鹿児島に訪れた時の日記です。

  • 曲の素。

    曲ができる、原石のようなエピソード集にしたいと思います。

  • 雪が溶ける前に 初山形.東北3日間

    山形新庄 宮城北仙台 山形米沢 の三日間。 THE NATURALKILLERSとRYOJI ROCKさん2人でまわった旅行記。

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    【通販先行】5月の絵 鯉のぼり 黒 赤 青

    121×136 mm の色紙に書いています。 ▼一点物です ▼ LIVE会場での受け取りご希望の方は、その旨といつどこの会場かをお書き添えください。 ▼サインご希望の方は備考欄にお書きください。 裏面にお宛名、サイン、日付等をお書きします。 (表面不可)
    4,000円
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    【定番】サンキュー8ビートTシャツ 白、黒

    8ビートTシャツをリニューアルしました。 以前のトライブレンドではなく綿のTシャツです。 5.6ozです(以前のは4.4oz) サイズ展開はGM(ガールズのM)、M、L、XL カラーは白と黒 白は文字が黒のラメインク 黒は文字が銀のラメインク 【リニューアルにあたって】 ▼以前の生地だと白はだいぶ透けてしまっていたのですが、生地が少し厚みがあるものを選んだのでそこも解消されました。 ▼基本的にTシャツのサイズに関わらずデザインの大きさは変わらないのですが、GMサイズ用に新たな版を作成したので、GMサイズでも文字とTシャツの大きさのバランスが崩れていません。 ........ ▼ライブ会場で手渡しご希望の方は各SNSのDMもしくは nkrecord@hotmail.co.jp までその旨をご連絡下さい。
    2,500円
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    【通販先行】5月の絵 鯉のぼり 黒 赤 青

    121×136 mm の色紙に書いています。 ▼一点物です ▼ LIVE会場での受け取りご希望の方は、その旨といつどこの会場かをお書き添えください。 ▼サインご希望の方は備考欄にお書きください。 裏面にお宛名、サイン、日付等をお書きします。 (表面不可)
    4,000円
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    【定番】サンキュー8ビートTシャツ 白、黒

    8ビートTシャツをリニューアルしました。 以前のトライブレンドではなく綿のTシャツです。 5.6ozです(以前のは4.4oz) サイズ展開はGM(ガールズのM)、M、L、XL カラーは白と黒 白は文字が黒のラメインク 黒は文字が銀のラメインク 【リニューアルにあたって】 ▼以前の生地だと白はだいぶ透けてしまっていたのですが、生地が少し厚みがあるものを選んだのでそこも解消されました。 ▼基本的にTシャツのサイズに関わらずデザインの大きさは変わらないのですが、GMサイズ用に新たな版を作成したので、GMサイズでも文字とTシャツの大きさのバランスが崩れていません。 ........ ▼ライブ会場で手渡しご希望の方は各SNSのDMもしくは nkrecord@hotmail.co.jp までその旨をご連絡下さい。
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    BIGCATワンマン 記念トート(内ポケット付)在庫限り

    2024.3.15 大阪BIGCATワンマン記念のトートバッグ (内ポケット付) サイズ 横 30 縦 35 奥行(マチ) 10 14.3oz のしっかりした生地です。
    4,000円
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武庫川

武庫川。 地元西宮と尼崎の境目に流れるその川には、 たくさんの思い出がある。 親父とした野球。水の石切り。 友達と遊びにいってトラックにひかれそうになった事。 中学駅伝の練習とその本番。 文化祭の演劇練習。 はじめてのハーフマラソン。 ランニングのレッスン。 こうやって思い出すと、幼少期から、定期的に武庫川に文字通り思い出がある。 どんな思い出もものすごく、数秒ではあるけど、鮮明な映像としてはっきりと覚えてる。 小学生。 知り合いのお兄さんに買ってもらった木のバットで、親父にボール投げてもらって、うたせてもらってた。 へたっぴなぼくにあわせて近くから、優しく投げてくれてた。つまんなかったろうに、ほんとにありがとね。陽が沈むまでの時間。 Nくんと遊びにいって、トラックにひかれそうになって、トラックが止まってくれて助かった事。 高校の文化祭の演劇練習では、放課後みんなで集まって、河川敷で練習してた。 Mくんがなかなかうまくセリフを言えず、何度も何度も最後のシーンをやり直した事。20時ぐらいだったと思う。 大人になって、やり残したことのないようにと、やりたい事、全部経験していこうと、フルマラソンを走る為、ハーフマラソンに参加。はじめてのハーフマラソンはみんな応援に来てくれて、無事完走できたり、それこそなつかしい友達もいて。 マラソンでは、やっぱりこの日が1番思い出深いかな。なんでも一回目の緊張感は特別だ。 ランニングレッスンでもたくさんの方とかかわらせてもらった。ほんとに、いろーんな方が来られて、いろんなお話を聞けて。楽しかったな。 そんな中、最も色濃く残る事。 駅伝。中学2.3年で走ったと思う。 練習自体で武庫川をつかったのは2年の時の方が多かった気がする。 僕が陸上部に入ったのは、ただ楽そうだったから。て理由以外に記憶がない。 当時の心理を深読みすればほかにも理由はあったのかもしれないけど、とにかく、楽そうだなとおもって入った陸上部。 一年から二年で顧問の先生が3人かわったかな。どの先生方もその先生なりのやり方で熱心に指導してくれてた。ぼくはというと、一年の頃は著しくやる気もなにもなかったが、二年の頃、バスケ部が練習の最後にグランドを10周走って終わるという事をしていたので、友達がバスケ部にいたからよく混ざって走っていたら、すこし走れるようになって。走るということがはじめて少し、楽しかった。  駅伝は、全運動部から選抜というシステムで、なんかそこに呼んでもらえて。うれしくて参加してたかな。 二年の時は結局本番にはでてないと思う。   三年になって、誰一人やりたがらない部長を張り切ってやりたいって言ってやらせてもらった。実力的に不適切だったから先生も正直、難色を示してはったけど、やりたい!でやらせてもらった。 ほどなく、新しい先生が赴任してこられて。 体育館で全校生徒の前での自己紹介の言葉は 「一緒に汗かいていきましょう」 だった。なぜか強烈におぼえている。 その先生が赴任してきてからみるみる練習がかわったし、なによりみるみるみんな強くなった。ほんとにものすごいスピードだったと思う。ぼくはと言えば、楽そうで入った陸上部。特段センスも根性もまして頭脳もなく、なのに部長だったから、ここからは逃げ出せない。ほんとにそれだけの気持ちでなんとかぎりぎりやっていたとおもう。部長として、気持ちだけは折れちゃいけないって、思って頑張ってたな。懐かしい。練習がしんどすぎたから、行く前には必ずハウンドドッグでテンションあげていってた。 思えば、音楽の力なるものをその時から、ものすごく享受してる。 ちなみに必ず聞いていたのは、15の好奇心 と ROAD RUNNER で今聞いても涙がでます。 大会当日の事は書き出したらおわらないので、端折って。  エースの友達が1区で高順位で帰ってきて、「県大会いけるぞ!」ていいによってきてくれたのすげーおぼえてる。その友達は友達でもあり僕にとって勝手にライバル視してたし、嫉妬してたな。 ぼくが走ったのは短い区間で2.7kmとかだったと思う。 短い区間。一個でも順位をあげたかった。 当日は張り切って坊主頭にしてきた。風の抵抗を減らそうとか思ったし、ちょっと面白いて思ってだと思う。 結果は2.3個順位を落としたと思う。 実力にそぐわないオーバーペースで失速。 砂場を回って折り返したと思う。そこから失速していった記憶がある。 結局目標にしていた県大会にはいけなくて、3年生はそこで引退。最後に集まって、先生のお話の後、部長からみんなに挨拶みたいなんがあった。 ぼくは人生ではじめて、大泣きした。なにも言えなかった。 忘れられない。1番は悔しかったし情けなかった。けれど、どこかホッとしてる自分もいた事もまちがいない。そして、負けたにもかかわらず、なにか得体の知れない達成感みたいなものも生まれて初めて、ほんとにはじめて味わった。 ほんとに、いろんな気持ちがごちゃごちゃに溢れてたな。   頑張るってめちゃくちゃいい事なんや、しんどくても頑張ったらこんな気持ちになれるんや。 ぼくはどうしてもその先生に認めてもらいたいと思うようになったし、ずっとおもってたと思う。  高校へ行き成人して、いつか胸がはれる、だれしもにわかりやすい、社会的な結果をひっさげて会いにいきたかった。褒めてもらいたかった。 そんな先生の訃報をきいたのは2017年。 最後まで病気と闘いながら、病院を抜け出しては陸上部の指導してたとも聞いた。 2017年という年は僕にとって、なんとも言い難いけれど、ものすごい年になってしまった。母が死に、友達が死に、同僚が死に、先生が死んだ。 いろんな事を教えてもらった。 武庫川。 42歳。夏の夕暮れの武庫川は あの時のままだ。 2020/8/25 15:42 移動中の新幹線の中で。 ..... 以前別のブログに書いたものに、加筆、修正を加えたものです。 この文章を書いた事で、曲をつくりました。 2022.1.26

    • 知覧へ。3日目。

      鹿児島3日目 3日目は昨日行けなかった、知覧に行こうと決めて、オフの日にしては、珍しく少し早起きをしてバスで80分。知覧へ向かった。 結論から言うと、この順番で良かったなと思う。昨日を含めて、桜島→特攻隊の平和会館→武家屋敷。 知覧の特攻隊の平和会館は、もうずいぶんと前から興味があって、それこそテレビを見ているときに、ここに行きたいなと思っていた。 いろんな情報があるから、大体どんな感じなのかは想像できていたし、きっと、まぁ涙なしには見れないだろうなとは思っていたから

      • 桜島へ。2日目。

        鹿児島2日目 2024.2.9 鹿児島での初ライブを、おかけでなんとか無事終えて、ライブ後にお店に来ていた、生きていれば母親と歳がほぼ同じ位のご婦人と少しお話をして。 口調や話し方ののイントネーションが、鹿児島独特のもので、話を聞いているだけで、涙が出そうになってしまった。 鹿児島、鹿児島と言うけれど、そこに何を感じたいのか何を見つけたいのか、なぜ急に鹿児島に惹かれるのか。いろんな要因があると思うけど、一言で言ってしまえば、 母親に会いたい。 それだけである。 会える気

        • 鹿児島へ。1日目。

          初日。2024.2.8 新鳥栖から、鹿児島中央へ向かうホームで。 体が疲れているからか、鹿児島に向かうからか、その両方だと思うけど、昨夜から母親のことが思い出されて仕方がない。 子供の頃、鹿児島に来ると言えば、母方の兄の家、ほぼ一択。 それが僕にとっての田舎、鹿児島だった。 いろんな思い出があるけれど、どうしても最後の日の思い出、母の兄がおそらくもうすぐ癌で亡くなってしまうと言う、その時の事。 もうこれで最後だとわかっていたから、車の中で泣いていた母親のこと。思い出

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        武庫川

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        • 鹿児島3days
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        • 雪が溶ける前に 初山形.東北3日間
          8本

        記事

          元旦、我が家にて。

          お正月はうちに家族が集まって、ご飯を食べる。 テーブルを出して、御神酒を頂いて、おせちを食べる。いわゆるお正月感を踏襲しつつ実に我が家らしい感じで、新年のご挨拶会が開催される。 何となくついてるテレビは、ニューイヤー駅伝。ちなみに箱根駅伝は見ると、考えられないくらいら涙がでるので、すこししんどくて近年見ていない。 先日、中学時代の友人と会った事、駅伝を見た事、母親の残像がはっきり浮かぶお正月の集まりがあった事、そして、それらが導いてくるのは、僕の人生にはっきりと価値観の

          元旦、我が家にて。

          最高

          最高 2017.2以降に作った曲は、大なり小なり母親の死が起因してる。曲なんてものは、そもそもそれまでの人生が全て投影されるから当たり前ではあるけど。 わかりやすく投影されてるのは、お腹へった、レジェンドオブエイトビート、2017の憂鬱、とか他にも色々ある。 【最高】は、母親がもう意識を失ってしまっていた、病院の帰り道に自転車に乗ってる時にサビが歌詞と曲が同時に降りてきた曲。 泣きながら自転車漕いだ。 意識なんてなくてもいい、(いや、もちろんあって欲しい)そこに生き

          あれから12年

          本日は11月11日。自分の1stアルバムを発売、いわゆる全国流通させた日。 なんか、2011年だったのもあって、11月11日にした。 流通てどうやるんや?(流通≒普通にレコード店とかで買えるようにする)から始まって、音も色んなメジャーの方のCDときき比べながらどうやったらちかづけるのかを試行錯誤しまくってた。 何度も何度もやり直して、30時間くらいずっと作業してた記憶がある。 (たぶんあそこまで、寝ずに作業したの、最初で最後の気もする)途中、【太陽光線】のカラオケで泣いた

          あれから12年

          越前そば屋物語 あとがき

          あとがき 武生駅を離れる時に、蕎麦屋さんに目をやると、昨日のおばーちゃんが働いてる。狭い店内をくるくるしながらテキパキと働いている。今日は然程忙しくないのか、まだ昼前だからか、表情は素に近い気がする。 20秒くらい、かな。見つめてしまった。気がついてほしいな、話かけようかな、覚えてるかな、いや、覚えてるわけもないな、と思いをくゆらせた後、これ以上は危険な気がして、改札へ向かった。 どうか、いつまでも、お元気で。 生きているという事は可能性そのもので、やろうと思えば、すく

          越前そば屋物語 あとがき

          越前蕎麦屋物語

          人生初の福井県ということで、空き日の今日は福井に滞在することにした。 こういう時はどこか観光へ行こうとはおもうものの、いつも動き出しがおそく(寝過ぎー)、電車などで行くには一箇所が限界。加えて、電車の時間に限りがあるために、焦って準備し、昨日行きそびれた蕎麦屋さんへ。 人気店なのか、並んでおり、3組待ちだった。丁度時間までに1時間程しかなかったので微妙だったが待つ事にするも、20分程まっても入店できなかったので、諦めて駅へ向かう。 なんせ14:09の電車を逃すともう次

          越前蕎麦屋物語

          コインランドリー物語

          愛用しているランドリーには、洗濯から乾燥まで、まるっと一台でしてくれるオールインワンのスーパーマシンは大小一つずつの2台しかない。 ランドリーの中に入ると、一台はすでに使われていて、もう一台は使われてなかったが、僕のほんの5.6歩先に入店された、少しだけ気難しそうな、歳の頃は70頃だろうか、ご婦人が使用するマシンを選んでいた。 オールインワンマシン選ばんかったらいいなぁ(;д;)と思いながら、そのマシンの前を過ぎて隣のマシンへ移られたので、一応、 「これ僕使っていいですか

          コインランドリー物語

          お昼の時間

          近年はたべるなら蕎麦。お蕎麦がいいなと思う事が増えた。 舌の好みの経年変化は自分でもおもしろい。 今日はお気に入りの蕎麦屋さんで穴子冷やしそばをたべた。とても、おいしかった。揚げ物も昼から食べるにはいい具合でないと、もたれそうになるけど、そんなこともなくおいしかった。 人間、というかおそらく生物が生きていくには、なにかしらの犠牲の上に成り立ってる。何を食べたとしても、命をいただいてる事には変わりがない。 本当の事というのは、ある種の残酷さを内包している事も多々ある。

          お昼の時間

          母の日

          母の日 2017年で賞味期限が切れたココアがずっと米櫃の棚の中につい先日まであった。 今の自分の食生活からは考えられないが、2017年当時はコーヒーといえば、砂糖とミルク入り、ココアも好きでよく飲んでいた。近所のスーパーで買えるココアにもいくつか種類があって、甘くてお気に入りのが1つあった。 9月末だったか、10月頭だったか、少し肌寒い日があったか無かったかくらいの時に、母が買ってきてくれた。 「あんたコレ好きやろ?」というセリフがやたらと残っている。 その後程なく、

          夢の4DAYS

          夢のような4日間を終えて、本当に楽しかったし、嬉しかった。 言葉にしていくのも野暮なきもするけど、本物の横で歌わせてもらえた事、本物の音で歌わせてもらえた事。 同じステージにいれたこと、お話できた事、書き出すときりがないけど、本当に全て。 この4公演が決まった時、もしかしたら、なくなってしまうんじゃないかと、正式発表になるまでドキドキしてた。発表になった時は、あぁ、本当なんやなて、涙がでました。 初日心斎橋の前日、連絡をいただいて、 一曲一緒にやって、チキンジョージ

          夢の4DAYS

          いよいよ、明日。

          明日楽しみ過ぎて、想像しただけで涙が出てくるので、ここで一度 自分の気持ちを一度、吐露しておきます。 僕がジュンスカを聴き始めたのは小学6年の時で、姉から借りたカセットで聞きはじめた。レンタル屋でかりたやつかなんかをダビングしたやつで、曲名は姉の手書きだったと記憶してる。 それから中学生になって、CDなるものが普及し始めて、STAR BLUEまでは全部揃えてた。特に最初の3枚(4枚)は大好きでずっと聞いてたし、もちろん今でも携帯に入ってる。趣向に偏りが激しい僕の携帯に、で

          いよいよ、明日。

          声の正体

          安藤匠くんの 声の正体 という曲をご存知だろうか。この曲は何度聞いても涙がでてしかたがない。 リハでもう涙が出てしまって(違う曲で)、だめだとおもって本番の時は次が出番だったので、トイレに隠れました。笑 おばーちゃんのとのことを歌った歌だけど、僕は母親とどうしても重なってしまう。 褒めてほしかった。 僕もほとんど歌わないけど、 自分の曲、本当だった という曲でそう歌ってる。 そして僕も言い放った暴言がある。 死んだらいいねん。と母に。 一度だけある。 口喧嘩になっ

          声の正体

          ラーメン屋にて

          新潟の中華料理屋さんへラーメンを食べに。 夕方から雨は激しく降ったりよわまったりを繰り返しながら。 ぼくのスニーカーは底がすり減りすぎて、見事に浸水してしまって、びしょびしょの靴下の気持ち悪さを我慢しながらたどり着くも、店内は満席。入り口で待つ事10分程で案内してもらうと、座敷の4人がけのような所に通していただいて。 濡れた靴下なので、すこしバツが悪かったけど、あがりこみ。 ラーメンとミニチャーハンを美味しくいただいた。 昭和の香りが色濃く漂う店内と接客の感じに懐か

          ラーメン屋にて