見出し画像

飲み物だった言葉たちを今、咀嚼し味わえるようになった

一度読んだときにはさらっと読めてしまった本。
昔はBGMとして聞き流していたJ-POP。
表面だけ舐めて、噛まずに飲み込んでいた言葉たち。

数々の経験を経た今、改めてその言葉に触れれば、何気ないその言葉たちは「無味の水」から「味わいのある大切なもの」に変わる気がするんだ。

エピソード1、「嫌われる勇気」

先日、「嫌われる勇気」を読んで腑に落ちた話をした。
実は、本書自体は高校時代に一度読んでいたものの、その時の感想は正直「フーン」程度のものだった。

自分に自信を持て?自信を持てば世界が変わるの?
あんまり実感ないなあ。

確かに書いてあることは至極全うだと感じたのは事実だったが、そもそもそう迷った経験もなかったため実感・納得の境地まで到達することができず、なぜこの本がここまで大ヒットしたのかも分からなかった。何週間も図書館で予約待ちをして、さらっと読んで、そして大したことないなと静かに棚に返した。

それが今、この就活期間に読んでなぜここまで「救われて」いるのか。

当時は自分の人生を考えるには幼すぎた。
自分の感情に向き合う時間すらもなく、ひたすら目の前の出来事に追われていた。
部活と勉強を中心とした世界観で、未知の領域に足を踏み入れることも少なかった。

大学生になり、その門戸は広がった。
一人暮らしを始めてからは、その視野は無限大になった。

もちろん、経済的事情や人間関係から壁にぶつかることも多々あったが、時に壁の中にも隠しドアを見つけながら多様な経験を積んだ。

そのドアの一つ、「人生」と書かれた部屋に入り、自分自身と向き合い、時にはゲストを迎え入れる中で、隣人という同じ就活生の声を聴く中で、いつしか自分というものがわからなくなってきた。迷いが生じていた。自信を持てなくなっていた。他社からの承認を常に意識していることに気付いた。

その時にこの本を読むのだから、救われるように感じたのも無理はない。
一歩引いた客観的視点も持ち合わせていたため危うく宗教ぽくなりそうだったが、とにかく腑に落ちたのだ。
きっと世の社会人たちも、少なからず自分と同じような経験をした人は感銘を受け、その結果大ヒットになったのだろう。

そう、言葉を咀嚼できた瞬間だった。

エピソード2、「高嶺の花子さん」

最近は作業中に、ラジオNIKKEIのRaNi Musicを聞くことが増えた。自分で作成したプレイリストではなく、その日それぞれの選曲で、今の曲から一世代前の曲まで、ジャンルを問わず幅広く聞けるのが魅力だ。

その日の最初の曲はback number「高嶺の花子さん」だった。

この曲のリリースは2014年。初めて聞いたのもこのころだろう。
当時中学生だった僕はこの曲を聴いて、「歌詞の『主語』、結局行動を起こさんのかい!」と自分のことを棚に上げて突っ込みを入れながら聞き流していただけだった。
一つ一つの歌詞なんてかみ砕こうとしないまま、音楽を音楽として、歌詞をがぶ飲みしていた。

ただ大学生になり数年が経った今、突如流れてきたこの曲に思わず涙してしまっていた自分がいた。
酸いも甘いも多少は経験したからこそハッとする言葉がある。
その言葉たち一つ一つが棘のように、次々と刺さってくる。
あの時の僕。言えなかった後悔。その後の結末。追い打ちをかける出来事。
一つ一つの言葉を受け止めて、ゆっくりと、慎重に、咀嚼していく。
そして真の意味が分かり涙する。

これは恋愛に限らずだ。人間関係の多くに覚えがある。そして就活にも。

この「君」は企業で僕は「知人B」、君が飛び出してくるのを期待している僕は「選考結果メールを待っている僕」と考えてしまったらこれはもう就活病の末期なのではないか、なんて、今でも思えてしまうのだから、きっと就活闇期のあの頃に聞いていたらもっと違う感情を抱いていたのかもしれない。

揺れ動く感情と言葉の味わい

あくまでもこれらは一例だ。
僕はこれからも、経験を経てまた新たな味を見つけるのだろう。
実際、納得を感じた嫌われる勇気も、今はその時ほど衝撃を受けなくなった。その先の気づきを求めて、今は続編を読んでいる。また新たな味わいが目の前に見えている。

言葉の味は経験に左右される。
思い当たる経験がなければただの水。
いい経験であれば一級品の肉になり、思い出したくない経験であればそれは腐敗した固形物と感じるのかもしれない。

今の自分が過去を美化していると感じる前に、その時々の感情に正直に。

ひとつひとつの言葉をじっくりと味わえるように、今後も多くの経験をしていきたいな。

この記事が参加している募集

#人生を変えた一冊

7,914件

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは日々のちょっとした幸せのために使わせていただきます!